1-4 もう耐えられなかった
「飲むの早くないか?」
「コレくらいどってことないすよ」
ヤツはそう言って笑っていた。
「村瀬もようやく飲める歳になったからなぁ」
そう言って四角い顔の御仁も赤ら顔で、うははと笑った。
だけど僕の記憶が確かなら、村瀬は入社したその年からビールを飲んでいたような気がする。そしてその時には、周囲に居座る誰もが彼の年齢を尋ねなかったし、窘めもしなかったような・・・・
みんな姑息だなと思った。
「オレはおまえたち二人を応援しているんだ。うちの連中は今ひとつ熱意が足りんというか覇気がない。何かやっちゃろうというチャレンジ精神だよ」
そう言ってジョッキを煽ると、半分ほど残っていた中身は一瞬で消えて無くなった。
「毎日同じコト繰り返しているとイヤになることもあるだろうが、それは間違っとる。同じ事を繰り返しているからこそ、不便だと思うことや、もっと上手くやる方法だのを見つけるコトが出来るんだ。
それが仕事を良くするアイデアに結びついてゆくんだよ」
「トヨシマ自動車が世界に広めたカイゼンっすね」
村瀬が合いの手を入れ、「その通り」と那須山さんは握り拳を作って力強く首肯した。やけに暑苦しかった。
顔には出てないがもう酔いは回り始めているらしい。そして「ナマお代わり」と店員を呼んだ。
「下駄さん、元トヨシマの社員だったんでしょ。何で辞めちゃったんすか」
そう言いながら、村瀬もまたつられたようにジョッキを空けてお代わりを頼んだ。
「あんなデカい企業に勤めていると、自分が只の歯車なんだって思い知らされるんだよ。だんだん何の為に働いているのか判らなくなっちまうんだよ」
「勿体なくないっすか?月給ウハウハだったんでしょ」
「大花田に務めて手取りは半分になったな。嫁さんも激おこだったが、オレは後悔していない。何せ仕事のやり甲斐はダンチだ。自分のやりたいこと、やってみたいことをスルリとまかせてくれる。
トヨシマじゃあ考えられん」
そう言って皿の上にあった最後の手羽先を一口で平らげた。
骨は吐き出すだろうと思って居たのに、そのままバリバリとかみ砕いて呑み込んだのには驚いた。鶏の骨って縦に割れるから喉や胃に刺さりやすいと聞いたけど、大丈夫なのだろうか。
「大きな会社ってのは、何をするにつけても理由と具体案を文章にして計画表をつくり、必要な費用と予想効果を数字で見積もって提出しなきゃならん。
しかも要望書には上司やそのまた上の管理職などハンコが一〇ほど必要だ。
一人でもダメ出しされたら全てがおじゃん。書類作る時点で萎えちまう。
こちとら毎日現場で汗水流しているんだし、デスクワークオンリーの仕事じゃねぇんだ。現場作業の合間に作れって言われても、何なんだって気分になってくる」
「ソレはキツイっすねぇ」
「だろ?だからオレは思うんだよ。仕事はがんじがらめじゃなくて、程よく自由でやり甲斐がなきゃダメだ。給料が足りないってんなら頑張って駆け上がればイイ。
やる気のある人間にやる気を起こさせる職場がオレは好きだな」
「おれも班長になって二〇〇〇円上がったっすよ。微々たるもんすけどね」
「最初はそんなもんだ。ソレよりも資格免許はバンバン取った方が良いぞ。大花田は基本給よりも職能給の方に重きを置いているからな」
「おれは粉塵作業の特別教育取りたいっす。あれ持ってないと作業長になれないんすよね。あとフォークリフト」
「フォークは国家免許で少しハードル高いが持っていて損はないな。アチコチの職場で使い勝手がいい」
那須山さんはよく喋った。それに合わせて村瀬も良く話し、そして笑っていた。二人はもう完全に意気投合してしまっている。
飲み物はビールからチューハイになり、そして日本酒になったが飲むペースが変わらない。胃袋に消えて行く食物とアルコールの量が増えてゆくにつれ、次第に声量も大きくなっていった。
けれど本人たちはそれに気付いているんだか、いないんだか。
話すごとに周囲の席からチラホラと視線が刺さってくるのが居心地悪い。
「光島ぁ、飲んでるか」
村瀬がトイレに立った隙に大きな声が僕を圧倒した。真正面から些か怪しい光りを放つ酔眼が、にかっと笑ってねめつけている。
片頬で苦笑を返すことしか出来なかった。
「此処だけの話だが、オレは村瀬よりもお前を買っている。今はヤツに追い抜かれちまったが、コツコツと地道に足元を固める仕事っぷりには感心しているんだ。
外野なんて気にするな。お前のペースでいけ。応援して居るぞ。
だが、もうちょっと欲張りになってもイイと思うがな」
そう言って肩をばんと叩かれた。那須山さんは、がははと笑っている。
そろそろ別の飲み物はどうだ、此処のチューハイはけっこうイケるぞ、食い物も殆ど減ってないじゃないかと色々とせっついて来た。
確かに僕は此処に来てからというもの、殆ど飲んでいなかったし食べても居なかった。
叩かれた肩が地味に痛かった。
そして胃袋の辺りも急に痛くなった。少し口を着けていたジョッキをそのままテーブルに置いた。中身は殆ど減っていなかったが、飲む気はすっかり失せていた。
そして「今夜はもうこの辺で」と席を立った。
もう耐えられなかったからだ。
「おいおい、まだ大して飲んでないだろ。明日は休みだし、まだ宵の口だ。遠慮する必要ないんだぞ」
そう言われても、もう小一時間は経っている。
「いえ。あんまり強くないんで。今日は誘って下さってありがとうございます。ごちそうさまでした」
そう言ってペコリと頭を下げた。物言いたそうな顔だったが「そうか」という返事と、タクシーを呼ぼうかという申し出があったものの、「歩いて帰りますから」と固辞して店を出た。
店の敷居を跨ぐ際にトイレから村瀬が戻って来て、那須山さんがヤツに掛けた大声がちらりと聞えた。「おまえはアイツみたいになるなよ」とか何とか。随分と憤慨した口調だ。
ヤレヤレという気持ちでやれやれと溜息をついた。
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