1-3 見ているコッチが心配になる
最初は何かの聞き間違いかと思った。
次はサプライズ的な祝辞ジョークかなとも思った。
だが残念ながら僕の耳が故障していた訳でもなく、壇上に立つ初老のオジサンの小粋な演出でもなかった。聞いた通りそのままの意味内容で、本社工場も丸ごと閉鎖するとたたみ掛けられて、仄かな一抹の希望も瞬時に吹き飛んだ。
成る程。世の中には、不条理と呼ばれるモノが大手を振って闊歩しているらしい。想像以上だ。
コレでも物心ついた頃から義務教育を経て大学を卒業したいま現在まで、その手のままならない現実には少なからず遭遇し、そして翻弄されてきた。
だがしかしコレはないのではないか?
何故に新たなスタート切ったその当日に、目的で在り目標であったものが目の前で、こうもアッサリきれいさっぱり雲散霧消せねばならないのか。
開いた口が塞がらないとは正にこのこと。
云うべき事を言い終えて壇上から下りる社長から何とも妙な視線をいただいたが、文字通りあんぐりと口を開けたまま固まっていた僕は、それを気にする余裕すら無かった。
ただ、入社する前に教えてくれよと思った。
そして面接の時に、楽器製作部門の子細を訊ねた途端向けられた面接官の微妙な表情と、「何処に配属されるのかは希望通りにならない事が多い。過剰な期待はしないように」という、実に歯切れの悪い台詞を思い出していた。
入社式を終えると人事課の課長から、翌日より研修旅行に入ると説明を受けた。
当社が運営する四つの工場をバスや列車で移動。順次見学し、最後は本社のあるこの地に戻って来るという日程だ。その後はそれぞれの赴任地に移動してもらう、と伝えられた。
会社の名義で予約されたビジネスホテルに入り、ツインの部屋に押し込まれた。同室の新入社員に「よろしく」と言われ生返事で返したところまでは憶えているが、それ以上何を喋ったのかはまるで記憶に無かった。
各地の工場と言われたが、現在この会社が持っている工場は四つ。本社工場は前年度三月末日をもって閉鎖されて営業用に事務棟だけが残り、実質三つの工場で運営されている。僕が配属を目論んでいたのは、この閉鎖された本社工場にあった楽器部門だった。
だというのにコレはどんな嫌がらせなんだろう。
しかも三つある工場のうち一番新しい工場は本社とは遠く離れた他県にあって、同期の新入社員であった村瀬と共にその工場へ配属となった。
工場見学のためバスで移動している最中に、同行していた人事課の女性から「コレが君たちの配属先ね」とコピー用紙を手渡された。
そしてその一番新しい工場の見学が終わった時点で、他の連中が本社へと帰っていくバスから僕と村瀬だけが下ろされて、本日からこの工場に配属だと言い渡された。
「工場見学は此処で最後なのだし、どうせ君たちはこの工場に勤務だ。移動の手間が省けて良いだろう」
人事課の課長がそんなふうに言って笑ったのを憶えている。
そのまま村瀬と共にとり残されて工場の玄関に立ち竦み、人事課の課長や事務員、そして同輩の新入社員たちが乗ったバスを言葉も無く、ヤツと二人でただぽつねんと見送った。
何とも言えない体験だった。
当時は会社の人事はこんなものなのかと思って居たが、今にして思えば随分とぞんざいな対応だ。何しろ正式な赴任命令はそれから一週間後に通達されたからだ。
一方、僕と村瀬以外の同輩は本社待機という名の休暇の後、通達と辞令を受けてから改めて移動して行ったらしい。
かなり後に為ってからそのことを聞かされて、何だかなぁという気持ちになった。
怒るよりも入社式の時のショックが大きかったので、些細なコトでは腹も立たなくって居たからだ。そしてそのままこの工場で研修期間を終えて、そのまま現場に配属となり、そのまま日々の仕事に追われ、そのままこの見知らぬ土地に居着くようになった。
かくしてズルズルとなし崩しのまま時は流れ、此の身は此の地にて現在に至る。そういう訳なのである。
タイムカードを押した後、真っ暗な駐輪場から自分の自転車を引っ張り出してサドルに腰掛けた。その瞬間、誰かに呼び止められたような気がした。
何だろうと思って周囲を見回したが誰も居ない。がらんとした駐車場を照らす野外灯が閑散とした空気を演出しているだけだ。空耳かと思ってペダルを踏もうとしたら、「シカトするな」とまた声が聞えた。
「気付いたくせに、そのまま行こうとするなよ」
呼びかけのあった暗がりの中に目を凝らしてみたら、デニム地のジャケットを着た男性が眉毛を八の字にして笑いながら歩み寄って来るところだった。
隣班の班長、那須山さんだ。四角い顔の輪郭に太い眉が特徴的で、皆から「下駄さん」などと言われている。失礼な呼び方だなと思いもするのだが、本人は気にしている様子などまるで無かった。
この後何か予定があるのかと聞かれ、「無い」と答えたら飯食いに行こうと誘われた。
「いや、その、給料日前で懐具合が」
「若いヤツの財布なんざアテにしてないさ。奢ってやるから安心しろ。それに確かおまえは下戸じゃあなかったよな?」
そんな風に言われたら断りづらい。しかもアルコールもワンセットのようだ。
確かに部屋に戻っても録り溜めた映画やTV番組を見るのが関の山で、カップ麺やコンビニ弁当にも些か飽きてきたところではあった。だから「じゃあお言葉に甘えて」という話になった。
「おまえの他にもう一人居るが、一緒でも構わんよな?」
那須山さんはそう言って背後の暗がりに目配せすると、ソコから出てきたのは村瀬だった。
行き先は中華料理の麗火苑だった。工場から少し離れているが、以前何度か会社の慰労会や歓送迎会をやっているので自分達には馴染みの店だった。
「下駄さん、ゴチっす。いっただきぃ」
最初の一皿が運ばれてきたときに、村瀬は真っ先に箸を伸ばしていた。
「おう、どんどん食え。しかしもう三年か。早いものだな」
「此処で四度目の花見の季節っすよ。そう言えばまた、お寺だか神社だか知りませんが寄付が回ってきましたよね。なんすかアレ、毎年毎年。出さなきゃならんもんなんすか?俺はスルーしてますけど」
そう言えば春になると新入社員の顔ぶれと共に回ってくるな。全然気にも止めてなかったけれど。
「なんだ、誰かから何か言われたか」
「課長からっす。毎年集まりが悪い、今年は出来る限り集めろ、と愚痴られました」
「ほっとけほっとけ。工場長や役職の人間とか、金と責任の有るヤツに任せとけ。地元神社の関係者が春の礼祭用の基金を集めてるんだ。
加茂池の脇にある古びた神社なんだが、由緒ある土地神さまだとか何とか。神社の修繕費や、神主呼ぶために地元の爺さんや婆さんが騒いでいるダケだ」
「祭りとかやってましたっけ?」
「お前の考えて居る祭りじゃないぞ。タダの神事だ。神主が
「屋台も無しで?」
「無しだな」
「しょぼ。そんな下らない事に金せびるんすか」
「古い地元民には大事なことなんだろう。爺さん婆さんは暇持て余してるからな。だが拝殿の奥に在るご神体は拝ませてもらったぞ。ちょっと変わった神様だったな」
駆けつけ三杯ではないが、那須山さんはもう三杯目のジョッキを空けるところだった。頼んだ料理はまだ餃子と回鍋肉しか出てないのに、随分なペースだ。
僕はそれほど飲めるわけではないので、まだ一杯目のナマをようやく半分飲んだところだった。
そして隣に座る村瀬は那須山さんと変わらぬペースでジョッキを空けている。この細身の身体の何処に入っていくのかと、見ているコッチが心配になる程だ。
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