1-2 衝撃的かつ、致命的な一言
そもそも、最初から望んでこの会社に入った訳ではなかった。
株式会社「大花田木工所」
業務内容は加工用の原材の仕入れから製材、そしてそれを基にした家具や楽器の製造とあった。製材や家具には何の興味も感慨も無かったが、楽器という部分に興味を惹かれた。
中学から高校までずっと吹奏楽部に所属していたし、大学に入ってからも個人の小さな楽団に入るくらいに演奏にのめり込んでいたからだ。
楽団といっても大したものじゃない。会社勤めをしている演奏の好きな一般の社会人達が声を掛け合い集まって、皆が持ち寄った募金で場を借り、年に何度か定期演奏をする程度のささやかな集まりだった。
演目は特に拘らなかった。
クラッシックも演じればフォークソングやジャズもやるし、ポップスやアニメソングもやった。要は学生達が演奏する吹奏楽部の社会人バージョンといった所だ。
演者は皆年上で年齢も完全にバラバラ。だが楽器を持てば皆同じ奏者だ。一緒に演奏していれば只それだけで楽しかった。
自分は管楽器、オーボエの奏者だ。
都合一〇年近く練習し演奏し続けている。なので並み以上には吹けるという自負はあった。
だがあくまで並みよりちょっとマシという程度。プロの楽団やオーケストラに入れるほどの実力も無ければ、本職の奏者を目指すほどの気概もない。あくまで部活の延長でしかなくて、今はそれが高じて趣味に変じただけの話だ。
他に打ち込めるモノが見つけられなかったダケのこと。それ以上でもそれ以下でもなかった。自分の実力は自分が一番良く判っている。
だが音楽が好きかと問われれば、迷いなくそうだと即答できた。だからせめて仕事も音楽に連なる仕事に就きたい、そう成りたいと密かに願い続けていた。
なので何とか出来ないものかと成績と突き合せ、数多の社員募集とその要項を必死で読みあさり続けたのだ。
大花田木工所の業務内容とその子細にはピアノ、オルガンの製造とあった。惹かれると同時に悩んだ。弦楽器は自分の専門外だ。
しかもピアノは楽器の王様とも呼ばれている。吹奏楽部で伴奏ならば一時期やっていたがあくまで間に合わせ。それ以上じゃなかった。
しかし、最高峰の楽器を作るという仕事にはそそられるものがあった。
他の音楽専門の会社からは新入社員の募集が殆どなかった。僕が在学していたのは地方の無名な一般大学だし、有望株と見なしていたのは芸大とか音楽専攻の学部とかそっち方面重点なのかも知れなかった。
そもそもそんな有名どころは、余りに敷居が高すぎるという引け目もあった。自分は所詮素人に毛が生えた程度の奏者でしかない。
他にも求める会社が皆無という訳でも無いのだが、在っても問屋や楽器店そのものの募集であったり、仕事の内容が今ひとつ釈然としなかったり、琴線に触れる案件がてんでみつからなかったという事情もあった。
就職課の教職員にも、音楽に拘らず別の道を模索してはどうか、仕事と趣味とを混同しない方が良いとアドバイスもされた。だが、普通の会社員になるという自分がてんで想像出来なかった。
世間で言われる「社会人」なるものが学生の自分には完全に未知の世界で、丸きり何も判らない不安があった。
ならば毛先ぶん、ほんの少しでも、自分の見知った世界とその延長につながるものが在るのなら、そちらの方が余程に馴染みやすいのではなかろうか。
そう考えたのだ。
散々に悩み悩んだ挙げ句、「大花田木工所」に決めて入社した。
そして働き始めてようやく、学生の思い描いた未来図など視野が狭く底の浅い幻影であったのだなと、身を以て知ることになった。
最初のショックは入社式その当日だった。
大花田木工所は正社員数二〇〇人ほどの中小企業だ。入社試験は高校卒業の学力相応。ヘタをすれば中学生でも合格点がもらえるのでは思える程度のレベルで、むしろその敷居の低さに面食らった。
入社式で本社に集まった新入社員の数も少なくて一〇人にも満たない。男ばかりで女性は居なかった。
就職活動の際、就業者の大半をパートや人材派遣会社からの人員でまかなっていると知ってはいた。しかしこうしてそのささやかな規模を目の当たりにすると、少なからず戸惑ってしまう。ニュースなどで見かける大勢の新入社員が集う入社式、大講堂などでの大仰な式典とは比べるべくもない。
果たして自分の選択に間違いはなかったのか。
そんな不安と、大企業では無いのだからと、自分に言い聞かせようとする気持ちとが入り交じっていた。
小さな会議室でパイプ椅子に座り、五メートルと離れていない壇上に立った社長直々に祝辞を受ける事になって、何だか拍子抜けした。まるで学校の授業の延長みたいな印象だったからだ。
と同時に、アットホームな雰囲気の会社なのかなと思いもした。規律規則でガチガチに固められ、同輩同士でノルマの達成や熾烈な昇格競争に翻弄されるよりは、余程に気楽なのかもしれない。そう考えることにした。
壇上に上がった社長もまた、何処にでも居そうな初老の男性だった。饒舌とは言い難い物言いで「みなさん入社おめでとう」と言った。
白と芥子色のストライプ柄のネクタイが少し左に曲がっていた。隣に座って居た自分と同じ新入社員の男が、微妙な顔で目配せをしてきたのが印象的だった。
彼の真新しいネクタイは曲がってはいなかったものの、新品のスーツは着こなせては居らずまるで似合っていなかった。何だか七五三の子供を連想させた。
だがそれはきっと自分も同じだろう。
そして祝辞の最後に、我が社は業務の拡大及び合理化の為に組織再編の最中です、と宣った。その為にきみたちの新しい力が必要なのです、とも。
そして、本年度より利益の見込めない楽器類制作部門を廃止する、と聞かされた。
は?
いま何て言った??
それは衝撃的かつ、致命的な一言だった。
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