第7話 キスにキスを重ねる

 ガチャン



「(はぁ、しんど……)」



 なんて。

 そんな事を皇羽さんが思ってるとは、露知らず。玄関のドアが開く音を聞いた私は、すかさずトイレに閉じこもった。



「萌々……? 寝てんのか?」



 現在、午後7時。

 さすがに、そんなに早く寝る私じゃない。



「萌々……?」

「……」



 なんで返事をしないかと言うと……もちろん、無理やりキスしてきたから。病人のくせに、そういう下心だけは元気で変態な皇羽さん。


 だから灸を据えようと、居ないふりをして、また困らせてやろうと企んだのです。



「(ふっふっふっ、皇羽さん。いい感じに困惑して私を探してるな)」



 大体。お昼に出かけたきり、こんな時間まで帰ってこないのも腹立つ。病人じゃなかったの? 私が学校を休んだ意味は!?



「(絶対に素直に出ていってやらないんだから……!)」



 トイレのドアをソッと開けて、皇羽さんを覗く。すると、ちょうど寝室から出てきた所だった。



「いない……。まさか、またアイツ……」

「(ぷぷーっ!)」



 仕返し楽しい――と思っていた。

 けど、



「迎えに行ってやらねーと……」



 そう行って急いで玄関に向かう皇羽さん。直後に一瞬よろけたかと思うと、体勢を崩して、大きな体を思い切り床にぶつけた。


 ガタガタン!!


 大きな音が鳴る。私はビックリして、ただ皇羽さんを見つめていた。


 あの皇羽さんがこける?

 あんなにフラフラする?



「(絶対、調子悪いんじゃん…)」



 そんな状態で、全く躊躇せずに「私の事を探しに行く」なんて……。あっさり決めないでよね……。



「(お昼は元気そうだったけど、きっと熱がぶり返したんだろうなぁ……)」



 皇羽さんはフラフラ起き上がって、玄関まで行く。そして時々ボーッとしながら、長い時間をかけて靴を履いた。


 ハラハラしちゃうんだけど……。

 ちょっとあの人、大丈夫なの…⁉


 だけど心配する私をよそに、困ったことにこの人は。



「待ってろ……萌々」



 私の心配ばかりしてる。



「(私の事より、自分のことでしょ……っ)」



 今にも倒れそうな皇羽さん。あれは絶対に、調子が悪い時の顔だ。今にも倒れそうな人の顔だ。


 だけど皇羽さんは玄関の取っ手を握って、一言。



「もう絶対……一人にさせねぇ」



 そんな事を言っちゃった。


 今の皇羽さんの気持ち全て、私に向いている。ハッキリと分かる。あんなボロボロの状態でも、皇羽さんの頭の中にあるのは私。


 私のことだけ――



「……っ、ば、」



 バカじゃないの――!!


 聞くに堪えかねた私は次の瞬間、勢いよくトイレから飛び出して、皇羽さんを背中から抱きしめた。


 ギュッ



「え、も……萌々?」



 私を見て、すぐに反応した皇羽さん。

 目にもとまらぬ速さで自身の向きを変えて、正面から私を抱きしめ直す。


 そして大きな体が揺れるくらいに「はぁ~」と深いため息をついた。



「よかった、いたんだな……」

「~っ、」



皇羽さんの体が熱い。やっぱり、こんなに調子悪いんじゃん……。なのに、なんで私を探しに行こうとするかな。皇羽さん、お人よしすぎるよ。優しすぎ。


 お願いだから、ゆっくり休んでよ……っ。



「いま皇羽さんが出ていったら、私……また一人になるじゃないですか」

「萌々……」


「だから……行かないで。ここにいてください」

「っ!」



 キュッと。皇羽さんの背中に手を回す。


 今まで抱きしめられた事は何度かあったけど、私が抱きしめ返したのは、たぶん今が初めて。


 皇羽さんはそんな私をチラリと見た後、すごく悔しそうに「クソッ」と舌打ちをした。



「卑怯くせぇ。調子悪くて意識朦朧としてる時に、そんな事しやがって……」

「意識朦朧って……。その状態で、どうして起きていられるんですか。バケモノですか」

「うるせぇよ……」



 見上げると、顔を真っ赤にした皇羽さんと目が合う。熱のせいで目が潤んでいるのが妙に色っぽくて……少しドキッとした。



「どうせなら……俺が元気な時にしろよな」

「ハグを? なぜ?」


「なんでって……お前が俺を抱きしめてるんだぞ? 覚えておきてぇだろ、普通」

「(”普通”……なんだ)」



 いや、っていうか。


 ちょっとドキドキしてる私がいるんですけど……。甘い言葉にクラッと来て、不覚にもドキドキしちゃったんですけど……!



「(ないない。ナイナイ! ドキッとしたなんて、気のせい!)」



 自分に喝を入れ直し、皇羽さんの肩を担ぐようにして、私の首に腕を回す。

 すると、その時。


 露になった私の首を見て――皇羽さんは目を見開いた。



「おい、それ……」

「え?」


「首、どうした……」

「首……? あ、そうですよ!

 よくもやってくれましたね、皇羽さん! 私に無理やりキスして!」


「キス……?」

「とぼけたって無駄ですよ!」



 この期に及んで、知らないふりをするなんて!


 だけど、チラッと見た皇羽さんは、本当に驚いた顔をしていた。

 え、なんで?

 まさか、お昼にしたことを忘れたの? 高熱のせいで……⁉


 それは許されない‼



「忘れたなら、皇羽さんが回復した時に思い出させて、何時間でも説教しますから! 今はさっさと寝てください」



 半強制的に皇羽さんをひきずって寝室へ行く。いや、重すぎて疲れるよ。なに食べたら、人ってこんなに重たくなるの⁉


 だけど次の瞬間。


 ふわっと、全ての物が軽くなる。私の首に回っていた皇羽さんの腕も、二人分の体重がかかった私の足も、なにもかも。



「ん? って何やってるんですか、皇羽さん!」



 不思議に思って見ると、なんと皇羽さんが私をお姫様抱っこしていた。

 いや、なんで?

 さっき「意識朦朧」とか言ってたのに、どうして人一人担げるの⁉ 恐怖しかないんですけど!


 だけど、私の事なんて知ってか知らずか。皇羽さんは寝室に入り、ベッドに勢いよく私を落とす。


 バフッ



「わ! ビックリした!!」



 そう言った私が、更にビックリするのは――一秒後。



「なんで、キスなんかされてんだよ」



 ギシッと音がしたかと思うと、私の上に皇羽さんが跨っていた。


 ん⁉

 ベッドで、私の上に皇羽さんが乗ってる⁉



「ちょっと何やってるんですか! のけてくださいよ! これじゃあ、お昼の二の舞です!」

「……へぇ、昼もこうやって押し倒されたのか」

「(なんで更に怒ってんの⁉)」



 自分がやった事でしょ⁉


 と、言いたかったのに言えなかった。なぜなら、皇羽さんの顔がすぐ近くまで迫っていたから。



「キス、されたのかよ。ココにも?」



 ココ――と言って、人差し指で私の唇をツンツン触る皇羽さん。上の唇も、下の唇も。じれったく、そして色っぽく――

 って!

 どうして、すぐそういう雰囲気にしようとするかなぁ⁉高熱出てるときくらい、変態精神を捨てたらいいのに……!



「私がキスを許すわけ無いでしょう!? 口は未遂ですよ未遂!」



 腹が立って、皇羽さんを下から押し返す。もちろんビクともしないわけだけど……。



「皇羽さん、私の手が限界です。退いてください」

「……奇遇だな。俺の我慢も限界だっつーの」

「意味がわかりません! いいから、早くそこを、」



 退いてください――


 と言う前に。

 皇羽さんは、お昼にした時みたいに、私の首に唇をあてがう。


 そして、ちゅっと。

 私の首に、音を出して口付けた。



「~あッ、」

「……ん」



 皇羽さんの唇が熱くて……触られた所も、伝染していくみたいに熱を帯びていく。

 これは――危険だ。



「皇羽さん、も……やめてッ」



 すると。お昼と同じように、肌を引っ張られる感覚と鈍い痛みがした後。皇羽さんは私から唇を離した。

 そして私の首を見て、「ふん」と悪態をついた後。



「ばーか」



 それだけ言って、グラリと皇羽さんの体が大きく揺れる。その直後、私の横に倒れ込んだ。どうやら、我慢の限界だったらしい。



「さっきのは、起きとくのが限界って事だったのね……」



――俺の我慢も限界だっつーの



「はぁ、本当。皇羽さんと暮らしてると心臓に悪い……」



 ベッドから降りて、皇羽さんに布団をかける。

 その時に、ある事に気づいた。



「あれ? 皇羽さんの右手首が赤くなって腫れてる……あ、さっき盛大にコケた時!」



 どうやら手首から着地したらしい。加えて、私をお姫様抱っこしたり、ベッドに押し倒したりしたから……どんどん悪化したらしかった。何やってんの、皇羽さん……。



「はぁ。湿布……どこかにあるかな?」



 風邪薬もなかったくらいだから、湿布なんてないに決まってる――なんて思いながら、部屋を暗くして、ドアを閉める。


 その時に、私の首に二つのキスマークが仲良く並んでいるなんて……

 この時の私は、全く気付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る