第2話 テレビの中の人③

「皇羽さん、私……」

「……」

「ん? 皇羽さん?」



 体を離して皇羽さんを見ると、なぜだか頬を染めて、息荒く私を見ていた。それはもう、変態的な目つきで…。



「お前”何でもする”なんて……。そんな事言うんじゃねーよ。俺みたいな良心的な奴だから良かったものの、」

「ぎゃー!! 近くに寄らないでください、このヘンタイ!

 それに”何でもする”なんて言ってません! 家事をする、って言ったんです!」



 バシッ



「叩くことねーだろ! まだ何もしてねーよ!」

「”まだ”ってなんですか! それに忘れたんですか⁉ 私のファーストキスを奪ったのは、どこの誰ですか!!」

「!」



「ファーストキス」の言葉を聞いて、皇羽さんはピタリと止まる。驚いた顔で、尚も頬を赤くさせて……。


 そしてなぜだか、時折ちょっと嬉しそうに頬を緩ませながら、私を見た。



「初めて……だったのか?」

「……〜っ、知りませんよッ」



 食べ終わったお皿を洗おうと、キッチンへ向かう。手にはたくさんの食器。気を付けて歩かないと……。


 だけど、その時――


 グイッと、私の肩を皇羽さんが掴む。


「危ないですよ、食器が落ちちゃ、」



 落ちちゃう――と最後まで言えなかった。

 だって私は、



「えッ⁉」



 皇羽さんに、また唇を奪われてしまったから。

 いや、奪われそうになったから。



「皇羽、さん……?」



 皇羽さんは私の顔に限りなく近寄り、そして止まっていた。

 キスをするのかと思っていた私は目を閉じていたけど……予想していたものは全く来ない。

 代わりに、皇羽さんのため息が降りてくる。



「はぁ……萌々さ。もうちょっと警戒しろよ」

「さ、最大限にしてますが……⁉」



「嘘つけ。迫られてすぐに目を閉じるような女は隙があるんだよ。本当に奪われたくなかったら、誰にでも気を許さねぇことだな」

「本当に、奪う……?」



 意味が分からなくて首を傾げる。すると皇羽さんは「未遂だ」と私から顔を離して笑った。



「朝、チャラ男の前でしたキスは未遂だ。チャラ男にキスしてるように見せたんだよ」

「……え、でも”ふにゅ”って!」


「それは俺の指」

「……はぁ?

もー……、なんですか一体……」



 私が持っていた大量のお皿は、いつの間にか皇羽さんが持ってくれていた。力が抜けて、ヘナヘナとその場に座る。


 だってファーストキスって言ったら……ね。やっぱり大切にしたいって思ってたから……。そっか。



「良かったぁ……」



 はあ、とため息をついて安心していると、上から「気に食わねーな」と皇羽さん。見上げると……どうやら不機嫌らしい。眉間にシワが寄っていた。


「俺とキスするのが、そんなに嫌だったのかよ」

「ファーストキスは好きな人としたいって、女の子なら皆が思ってますよ……」


「つまり、俺の事は好きじゃねぇと」

「今日会ったばかりで、どうやって好きになれって言うんですか!」


「……ふん、知らねーよ」



 もうヤダ、何この人……。何に対して拗ねているか分からないし、私の何に怒っているか分からない。


 未確認生物を目の前に、もう一度ため息をつく。すると、私の顔に影が落ちた。どうやら皇羽さんが近づいてきたらしい。



「どうしたんですか?」

「……頬にソースついてる」

「へ?」



 ちゅっ



「……?」



 ん? 今、何が――?


 皇羽さんを見ると、自分の唇をペロッと舐めて、なぜか勝ち誇ったような顔。そして「仕方ねぇから約束してやる」と、上から目線。



「ウブなお前に免じて、口にはキスしねぇ。けど口以外は……分かるよな?」

「え、ちょ、」


「じゃ、ごちそーさま」

「……」


??????


 皇羽さんが、私のほっぺにキス?


 からかってるだけとか、意地悪でとか……そういう理由だよね? いや、それでもキスしないでほしいんだけども……。



「(やっぱり皇羽さん、謎すぎる……)」



 あの人を理解できる日が、永遠に来ない気がしてきた。


 そして――次の日。


 パチッ


 目を開けた瞬間に、私の顔が真っ青になる。だって顔だけは良い男の人が、ベッタリと私にくっついていたから。


 あぁ……神様。

 私、何か悪い事しましたか……?



「(なんで皇羽さんが隣で寝てるのー⁉)」



 今日も今日とて、波乱の予感になりそうです!

 ◇



「いつまで怒ってんだよ、萌々。つーか、お前に怒る権利なんてないからな」

「そこは権利ください。私だって人間です」



 起きて衝撃を覚えた後。私の絶叫で、皇羽さんも目を覚ます。

 起きてすぐに始まったのは――話し合い。



「なんで皇羽さんが同じベッドに寝てるんですか、犯罪ですよ……‼」

「自分のベッドで寝て何が悪いんだよ。何もかも一人分しか置いてねぇんだ。ベッドだって、これ一つに決まってるだろ」



 そんなことも分からねーのか――という副音声つきで、私を見下ろす皇羽さん。整った顔だけあって、迫力満点……。



「じゃあ私がソファに寝ます! 皇羽さんと一緒だと落ち着きません!」

「朝まで爆睡してた奴が言えることかよ」

「~っ‼」



 あぁ言えばこう言う!


 ムキー!! と怒っていると、皇羽さんは自分の部屋に入って、秒で着替えて出て来た。オーバーサイズの服とスラッとしたズボンが、悔しいほどよく似合ってる。


 思わず見入っていると、皇羽さんは私に向かって「これ着とけ」と服を投げてきた。



「そのボロボロな格好じゃ外も行けねーからな」

「え、どこに行くんですか?」


「買い物」

「買い物……あぁ! ベッドを買ってくれるんですね!」



 皇羽さん! やっぱりあなたは優しい人なんですね!――と思った直後。

「ちげーよ」と、皇羽さんが否定した。



「お前の服とか、色々買いに行くんだよ。全部焼けたんだろ? パジャマも、あ~それと。

 下着も、だよな?」

「え!」



 どうやら、この人はバッチリ聞いていたらしい。

 焼けていくアパートの前で、私が叫んでいたのを。



――だけじゃなくてパジャマも!!

――じゃあ下着も……!?



 思い出して赤面していると、皇羽さんが「くく……っ」と笑いを堪えていた。



「お前本当、隙がありすぎ」

「ほ、ほっといてください!」



 皇羽さんの投げた服を拾って、寝室に行く。「覗かないでくださいね」というと、皇羽さんは「保証は出来ねーな」と意地悪く笑った。


 呆れ半分に「はいはい」と相槌を打って、扉を閉める。お着換えスタートだ。



「お~メンズだけど、私でも着れそうな雰囲気の服!」



 綺麗な服にみとれて、私は気づいていなかった。


 私の言いつけを守って、きちんとその場で待機していた皇羽さんが。

 小さく呟いたのを――



「”ほっといてください”、か。それが出来たら苦労しねーよ」



 その時。着替え終わった私が扉を開く。白シャツにズボン。

 うん。無難な感じ……だけども。



「あの……もうちょっと小さいシャツないですか? さすがに私が着るとブカブカ過ぎて……」

「……」



 今にも肩からシャツがずり落ちそうになっている私を見て、皇羽さんが近寄ってくる。


「え、ちょ、なんですか。ちょっと皇羽さん!」



 静止を振り切って、ついに皇羽さんは私の目の前で止まる。そして私の肩に手を置き、そのまま……下へ力を込めた。


 ズルッ


 今にもずり落ちそうだったシャツは、皇羽さんの手で簡単に肩から外れる。二の腕辺りまで、肩が露わになってしまう。



「きゃ! ちょ、やめて皇羽さん!」

「……はぁ」



 私の悲鳴を聞いて、なぜか皇羽さんはため息をつく。露わになった私の肩に頭を置いて、なんだか沈んでいる様子。


 いや、沈みたいのは私なんだけど! 下着の紐見えてるから! 丸見えだから、今すぐ隠させて……!


 だけど――



「たまんねぇな……」

「っ!」



 皇羽さんの呟いた時に漏れた吐息が、私の肩にかかる。くすぐったくて、思わず声が出てしまった。



「ひゃッ、皇、羽さん……!」

「……」

「(あ、ヤバい)」



 理性プッツンだけはやめてください。

 お願いします!


 祈りを込めながら、座り込むという最大の防御姿勢をとる。シャツも光の速さで元の高さに戻した。皇羽さんに「なんで隠すんだよ」とかグチグチ言われそうだけど……自分の身が一番大事!!


 だけど、皇羽さんの口から出てきたのは――意外な言葉。



「お前は、自分が可愛いって事をもっと自覚しろ」

「……はい?」


「こんなのと毎日一緒とか……はぁ。俺の身にもなれよな」

「いや、むしろ私の身を案じてほしいのですが…」



 皇羽さんの言葉が誉め言葉なのか悪口なのか分からないけど……。こんなケモノみたいな人と一緒に衣食住を共にしている私の身が、とても心配。


 私、いつまで無事でいられるのかな……。


 バサッ



「わ⁉」

「着替えろ」



 再び白いシャツが飛んできて、私の頭にパサッと引っかかる。

 なに? これ。



「今萌々が着てるのは、俺だって大きいサイズだからな。そっちが本当」

「なんでわざわざ大きいの着させたんですか?」


「俺が見たかったからに決まってんだろ」

「……」



 そうですか――とはならなかった、その後。


 また口喧嘩をした後に、時間がかかりながらも各々身支度が完成する。そして必要な物を買い出しに、皇羽さんと初めてのお買い物に行くのだった。

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