アオハル♂ストライカー
熊谷 雅弘
第1話:敗戦からの
ピッ、ピイイィィ――…
長いホイッスルと同時に、栗林泰斗は両膝をピッチにつけて崩れ落ちる。
――負けた…
全国高校総合体育大会、インターハイのサッカー競技神奈川2次予選、新横浜公園内にある日産フィールド小机で行われた私立桐栄学園高校vs神奈川県立鷲ヶ峰高校の準決勝は、桐栄学園の勝利で終わった。
スコアは1-0。
6月中旬の空はどんより曇っているが、蒸し暑いのもあって両校の選手たちは皆、ユニフォームの上から下まで汗びっしょりだ。
それでも選手たちはセンターサークルに整列し、礼をして互いの健闘を称え合っている。
2年生ながらレギュラーの泰斗だが、5月初旬の1次予選1回戦から今日の試合を含めて7試合を走り抜いてきた両脚は、悲鳴が上がる寸前だ。
敗戦がその疲労感を、よりいっそう濃くしている…
「――くっそぉぉ…」
隣を歩く2年生の岩上貴芳が、汗まみれで褐色肌の顔を右腕で拭っている。
貴芳は、コロンビア人とのハーフだ。
「お疲れさまぁ~」
「ナイスゲーム、ナイスゲーム!」
ベンチでは女子マネージャーの和泉陽菜と控え選手たちが、戦いを終えたイレブンたちを
「――…あれ?悠真は?」
振り返るとピッチでは、2年生のエースストライカー佐々木悠真が、桐栄の二人の選手と言葉を交わしている。
会話をしている時はにこやかだったが、こちらに歩いて来る悠真の表情は、敗戦の悔しさで鬼の形相に変わっている。
「知り合いか?」
戻って来た悠真に、貴芳が
「あいつらとは、ジュニアユース多摩川で一緒だったし、U17でも一緒だ」
ジュニアユース多摩川はサッカーJ1の強豪、多摩川リバティの傘下で、数多くのJリーガーを輩出している下部組織だ。
「スッゲぇな、さっすがU17日本代表メンバー…」
貴芳が
けんもほろろの悠真に、貴芳は顔をしかめるしかなかった…
★
「――まぁ、でも、これで…」
気を取り直した貴芳が右腕を廻して、泰斗と肩を組んで歩く。
「この夏に心置きなく、彼女作りに励めるな」
「――岩っちってさぁ…」
周囲を伺って、囁きかける泰斗。
「マジ、空気読まねぇな」
「なぁにが空気だよ。空気が性欲、満たしてくれんのかぁ?」
「バカ!声がでけぇって…」
「それによ、インターハイの日程が良くねぇし」
インターハイサッカー競技本戦は、7月下旬から8月上旬まで行われる。
「夏のまっ盛りはよ、海でビキニ姉ちゃんに、花火大会で浴衣姉ちゃん――」
「だから、声がでかいって」
「なぁにが悲しくて、福島くんだりまで行ってサッカーなんて――」
「福島がどうしたって?」
聞きつけた3年生の津田伊織が、絡んできた。
「やっぱ2次予選で決勝まで勝ち進んで、福島行きたかったよなぁ」
インターハイサッカー競技は、酷暑対策で福島県固定で行われるのだ。
「Jヴィレッジって、すっげえデケぇんだろ?行ってみたかった――」
宙を仰ぎながら想いを語る伊織をさて置いて、泰斗と貴芳がコソコソ歩き去って行く…
「まいっちゃうよなぁ、ああいう熱血少年…」
「岩っち、マジで口悪ィな」
「とにかくよ、負けたのはしょうがねぇ。秋の選手権予選で、リベンジしてやりゃいいんだ!」
「そうだな」
熱く語る貴芳に、
「その前に、この夏こそ彼女作って、ぜってぇ童貞を捨てるんだぁ!」
「だからぁ、声がでけぇって!」
「じゃあ泰斗は、童貞のマンマでいいのかよ?」
「そ…、そんなの嫌に――」
「だろお?だろおぉ?」
スケベ盛りの少年が二人、肩を組み合い敗戦の悔しさはどこ吹く風で、ピッチをクラブハウスへと歩いて行った…
★
★
トボトボと泰斗と貴芳が、フィールド横の小道を小机駅へと向かって歩いている。
敗戦したことで疲労感が一気に濃くなってしまい、足取りも重い。
初夏の陽は長く、午後5時を回り曇り空ではあるが、周囲は真昼のように明るい。
蒸し暑いのも重なって、二人の
「――痴漢ぁん~!!」
泰斗と貴芳の耳へ、いきなり若い女子の叫び声が飛び込んで来た。
「――うわっ?!」
背後から猛スピードで、泰斗の横を誰かが駆け抜けて行った。
隣を歩く貴芳が、眼を丸くして驚いている。
――あいつが、痴漢?
怖がる通行人たちが避ける中、痴漢の男が駆けて行くが――
シュンンッ!!
次の瞬間、何かが猛スピードで横を抜けて行ったかと思うと――
バンッッ!!
走る男の背中に、サッカーボールが見事に命中した。
たまらず男が、もんどり打って倒れてしまう。
――なんなんだ?!
訳が分からない泰斗と貴芳が振り返ると、制服と思しきブレザーを羽織る少年が、こちらに駆けて来ている。
少年の手前には、こちらに駆けて来る少女の姿も…
その少女の後方には、
――あの
呆気に取られる泰斗の横を、男の背中で跳ね返ったサッカーボールが、転々と転がって行く。
――あの距離から、蹴ったっての?
駆けて来る少年と男との距離は、ゆうに20メートルは超えている。
蹴った時点では、もっと距離があったはず…
「つかまえてぇぇッ!!」
駆けて来る膝丈ジーンズの少女が叫ぶので振り返ると、男が立ち上がって駆け出している。
――ヤバっ?!
「ヘイッ!」
膝丈ジーンズの少女が、サッカーボールを蹴って泰斗にパスする。
泰斗の前方へと転がる、見事なパス――
――しゃあッッ!
二歩ステップを踏んだ泰斗が、ジャージを履いた右足を振り抜いた――
バンッッ!!
ボールは男の後頭部に、見事に命中。
たまらず男が、転がってしまう。
同時に泰斗の横を、
――よかったぁ…
日産フィールドの警備員たちに男が取り押さえられるのを、泰斗が安堵して見ている。
――あれ?岩っちは?
振り返ると、先程まで蹲っていた少女に、貴芳が抱き着かれているという、驚愕の光景が…
――はあぁぁッッ?!
「――スゲぇな、キミ!」
見ると、ブレザーを羽織る少年と、膝丈ジーンズを履く少女が、ニコニコして立っている。
「いや、そっちこそ…」
謙遜する泰斗を、
「俺は背中だけど、キミは後頭部だもんなぁ」
少年が称賛している。
「でも、なんでサッカーボールを?」
「俺もサッカーしてるから」
――だろうな…
そうでなければ、あの距離を命中させられるはずがないと、泰斗が納得している。
「俺は、京都にある二条高校の峯岸」
少年がスッと、泰斗へ右手を差し出す。
――二条高校?!
サッカー全国高校選手権大会常連校である私立二条高校と聞いて、泰斗が内心で驚いている。
インターハイへの出場を決めた桐栄学園の、偵察にでも来たのか?
道理で、キックの精度が抜群…
「キミは?」
峯岸から問われた泰斗は、答えるのを
――恥ずくって、言えねぇし…
★
「みねぎしィィ~!」
見ると、ブレザーの制服を着る少女がこちらに向けて叫んでいる。
「おう!いま行く!」
峯岸が大声で返事をしていると、
「け…、県立鷲ヶ峰――」
「え?」
「鷲ヶ峰高校の栗林…」
「――そっか…」
かげりなく、自然に峯岸がニッコリ笑った。
「インターハイは残念だったけど、選手権では対戦しような!」
軽く右手を振った峯岸が駆け出して行った…
パチパチパチパチ…
見ると、膝丈ジーンズの少女が傍らに立っていて、拍手をしている。
「いいよねぇ~、男の友情ぉ」
「いや――、そんな…」
右手で後頭部を掻いて、泰斗が照れている。
「と、ところで大丈夫なの?痴漢に抱き着かれた娘は?」
言いながら泰斗が振り向くと、今度は貴芳が
――はあぁぁ~??
「――ああ、あれ…」
ジーンズの少女が、腕組みして呆れ顔をしている。
「キミの友達に抱き着いちゃったのを、謝ってんでしょ」
「いや、なんで抱き着いちゃって――」
「わかんないけど…、怖かったんでしょ」
――いや、答えになってねぇし…
「――カノジョ…、なのかな?」
「え?」
泰斗が、呟いたジーンズの少女の方を見る。
口をへの字に曲げ腕組みをして、立ち去って行く峯岸と少女の方を見つめるセミロングヘアの少女…
――カ…、カワイイ…
「――なに?」
泰斗からの視線に気づいた少女が、怪訝な顔をすると、
「あ――、いや…、キミのパスが、あまりに絶妙だったから…」
苦し紛れな言い訳をする泰斗。
「あたしも、やってたから…」
「え?」
「優梨恵ぇ~!なにやってんのぉ~!!」
痴漢された少女を介抱をしていた茶髪少女が、こちらに向けて苛立って叫んでいる。
「ごめんね。菜々子が警察へ行くのに、付き合わないと」
「あ…、そうなんだ…」
「じゃあ、またね!栗林くん!」
「え――?!」
優梨恵と呼ばれた少女が、手を振りながら駆けて行く。
手を振り返しながら泰斗は、妙な違和感を感じていた…
――また、ねぇ…?
★
「なんだよ泰斗ぉ…」
ハッと気付くと、貴芳がこちらを思いっきり睨んで、歩み寄って来ている。
「おまぇ~、あんな超絶カワイイ娘と、知り合いなのかぁ~?」
「あ――、いや…」
「てめぇ、いつの間にぃぃ――」
「い――、岩っちこそ、なんだって抱き着かれて…」
「知らねぇよ。大丈夫?って声かけたら、あの菜々子って娘がいきなり…」
「いっ?!」
「多分、変な男に抱き着かれて、そこへ白馬の王子さまが現れたから思わず――」
「はあぁぁッッ?!誰が王子さまだってぇぇ?」
「お――、おまえこそ、なんだってあの娘とぉ!」
――…あれ?
ふと貴芳の足元に視線を向けると、
一気に冷静になった泰斗がおもむろに拾い上げると、表紙には金色文字で生徒手帳との印字がされていて…
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