第4話 殺人計画メモ
陽介少年は、いよいよ小学六年生になった。
成績はうなぎ上りとなり、小学校4年生の時点で、すでにクラスではトップクラスの成績だったのだ。
6年生になったのだから、
「中学受験くらいするのではないか?」
と親も思っていて。
「受験して、いい学校に行ってくれれば、まわりに自慢できる」
というくらいに考えていたのだ。
陽介少年とすれば、親がそれくらいのことを考えているということくらいは、百も承知であった。
「そんなことは、分かり切っていて、別に、それを気にすることなどない」
と思っていた。
もし、これが陽介少年でなければ、
「優秀な中学に入って、親を見返してやろう」
と思うだろう。
しかし、
「ここで有名中学に入ってしまうと、それこそ、親の思うつぼだ」
ということも分かっていた。
「どうして、中学受験をシナカッタのか?」
というと、それは、
「親のためではなく、自分のためだ」
と思ったからだ。
「確かに、今まで、高学年になってから、勉強しだしたことで、一気に頭がよくなり、成績もまわりをごぼう抜きにするほどであり、自信を持つのは当たり前のことだ」
といってもいいだろう。
それは、
「いくら成績がうなぎ上りであったとしても、新しい中学に入り、そこが進学校であれば、今の自分の成績は、小学校では、群を抜いてのトップクラスであったとしても、集まってくるのは、他の小学校で、同じように群を抜いての成績を収めた連中なので、要するに、最初からレベルが高いところに在籍する」
ということになるのだ。
だから、そのレベルがどれくらいのものなのかが分からないので、ひょっとすると、
「中学校では、最低ランクの成績になるかも知れない」
と思うのだ。
もっとも、今までずっと、
「トップクラス」
ということを鼻にかけるかのように過ごしてきた人が、急に、レベルの高いところに入学して、そのレベルの高さを痛感させられるとすれば、
「必死になって追い付こうとする」
ということになるのか、あるいは、
「もう無理だ」
といって、簡単にあきらめてしまうかということになるだろう。
ただ、それは、
「そのレベルの高さというものを意識せずに入学してきたことに気づかなかった自分に対しての、情けなさからくるものであれば、まだ救いようがあるが、ただ諦めるというのであれば、下手をすると、人生をあきらめるということに繋がりかねない」
ということになるのでないだろうか。
中学校で、そのことに気づかされて、すでに自分が分からずに、悪い先輩などにそそのかされたりして、
「万引き」
などという、ちょっとした犯罪に手を染めてしまい、そのまま、退学処分になるということもあるだろう。
ただ、中学校は、
「義務教育」
なので、
「私学を退学になっても、公立の中学校にいけばいい」
ということになる。
中には、
「子供の将来を考えて」
ということで、引っ越しなどをして、
「誰も知らないところで住むことで、新しくやり直す環境を与えてあげよう」
という親もいるだろう。
しかし、実際には、
「子供のため」
ということではなく、
「自分たちが、近所の人から白い目で見られる」
ということが嫌で、引っ越すということが本音であろう。
子供の気持ちは関係なく、
「子供のため」
という言葉を免罪符にして引っ越すことが、
「親としては、子供にしてやれること」
ということで、
「子供に対しての恩着せ」
くらいに思っているのではないだろうか?
何しろ親とすれば、
「子供が行きたいと言ったから、私学にやったのに」
と考えているだろう。
それを、
「成績も落ちた」
しかも、
「万引きで捕まる」
という絵に描いたような転落人生を歩んでいるところで、
「親と子の利害が一致した」
ということで、
「どうすればいいのか?」
と思っていたことを、引っ越すことで、
「それぞれに納得できる結果として、やり直すことができる」
と考えたのだ。
しかし、その光景は、
「逃げるようにして」
ということであるが、逃げ足が速いだけに、後ろめたさはないのであった。
だが、
「反省がない」
ということなので、もし、
「また同じようなことがあれば、普通に同じことを繰り返すだろう」
ということになり、その理由がどこにあるのか分からずに、結局、
「まわりが悪い」
ということで、
「何としてでも、自分たちの正当性というものを認めさせよう」
と考えるのであった。
だから、
「親が子供の気持ちを分かっていないと、どういうことになるのか?」
ということが見えただけに、中学受験などをして、もし、自分が最低ラインになってしまった時、
「何とかできるのだろうか?」
と考えると、その自信がないことで、中学受験は辞めた。
高校は義務教育ではないので、受験は必須なので、仕方がないところがあるが、だが、受験は皆することなので、それだけ、
「中学側から、高校側というものへの見方や、レベルの検討というものがしっかりできる環境にある」
ということになるであろう。
それを考えると、
「小学生で、お受験というものは、必要ないのではないか?」
と感じたのだ。
ある日のことだった。
親は、子供のことが日に日に怖くなり、
「まさか殺されるというようなことはないよね」
と、母親は、びくびくしながら暮らしていた。
そんな話を誰にも相談できるはずもない。そんなことを話しても信じてくれるわけはないし、
「あなた、子供が信用できないの?」
といわれて、
「母親失格だわ」
といわれてしまうと、それこそ、
「ただ相談しただけで、ほしい答えが得られるわけではなく、私のことを、まるで気違い扱いされるだけでしかないと思うだけであろう」
そんなことを考えていると、誰にも相談できずに、悶々とした日々を過ごす母親だったが、それでも、子供の様子だけは、しっかりと見るしかないと思うのだった。
被害妄想になっていて、危険が隣り合わせでいるとなると、恐怖が募ってくるのが分かった。
その感覚は、時々ピークに達するが、そのピークの後には、感覚がマヒしてくる時があった。
そんな時は、フッと気が抜ける時であり、
「もう、どうでもいいや」
という感覚になってしまうのであった。
そんな時、ふと、自分が、宙に浮いているような感覚になる。その感覚が一番、
「逃げに走っている」
という時で、そんな時ほど、
「逃げるなら今だ」
と考えてしまうのだ。
しかし、逃げたことは一度もなかった。
それは、
「逃げることを自分の中で許せなかった」
というようなきれいごとではなく、
「逃げるにはタイミングが必要で、最初からこの瞬間に、逃げる態勢に入っていなければ、逃げることはできない」
ということであった。
そう、逃げられないということは、逃げたいと思いながら、タイミングを失っているというだけのことであった。
「じゃあ、何から逃げている?」
というのか?
確かに、子供の存在が恐ろしく、
「殺されるかも知れない」
とまで思っている。
それは、家に二人きりでいる時に、刺すような視線を感じるからで、
「かつて、以前に似たような感覚を味わったことがある」
ということを思い出したからだ。
それは、一体どういう感覚からくるものであろうか?
母親は、それを感じながら、何を覚えていて、何を忘れてしまったのかということを、思い出そうとしていたのだ。
母親には、男性経験の中で怖かった思いが結構あった。
中学生くらいの時には、ストーカーまがいのことをされていた。相手はクラスメイトで、いつも、行動を見張られているというのが分かっていた。
その子は隠そうともしなかった。むしろ、
「俺がそばにいるということを忘れるんじゃないぞ」
といわんばかりだったのだ。
「中学生においてのソトーカーなど、しょせんはその程度だ」
といえるようになったのは、その生徒が、途中で、親の仕事の関係で、遠くの方に引っ越してしまい、家の近くに出没することができなくなったからだ。
実際に、それから、もうストーカーに狙われることはなかった。
だが、高校生になることには、
「自分は、男性の視線を特別に浴びているんだ」
と思うようになった。
その感覚は、
「まるでアイドルになったかのようだ」
という思いもあったり、逆に、
「性的な視線を感じる」
という
「負の思い」
もあった。
「アイドルになりたい」
などという思いもなければ、
「性的な目で見られたい」
などという思いもあるわけはなかった。
だが、自分の中で、
「人からの視線を感じなくなるのが怖い」
という矛盾した思いが自分の中にあるのを感じた。
ストーカーは怖かったのだが、いなくなったらいなくなったで、安心もしたのだが、その分、
「何か物足りない」
という気持ちにもなっているかのようにも感じたのだ。
だから、
「絶えず人から注目を浴びることで、却って、自分が安全なのではないか?」
とも考えるようになった。
こんなことを人に話すと、
「あなた、何を言っているの」
と考えを簡単に否定されるであろう。
さもありなん、何といっても、ストーカーというものが、その人を追いかけて、理不尽な自分だけの感情を勝手に押し付けることで、恐怖を植え付けるという、卑劣な行為だと思っているからだろう。
母親も、
「その通りだ」
と思った。
だから、ストーカー犯罪が増えてきて、社会問題になってきてから、
「ストーカー防止法」
というものができたのに、一向に減ることもなく、下手をすれば、増えているのではないかと思える状況において、
「ストーカーは怖い」
と思っているのも、皆と同じだった。
しかし、そのストーカーから身を守るために、
「果たして警察が役に立つのだろうか?」
という思いがあるのも、当たり前のことだった。
警察は、
「何かがなければ動かない」
いや、
「動けない」
ということである。
被害届を出しても、実害らしいものがなければ、相手に何かができるわけではない。
「見回りをあなたの家近くを重点的に行いますね」
というくらいしか言えない。
しかし、冷静に考えれば、それも、
「本当だろうか?」
と疑いたくもなるもので、そもそも、ストーカーというものはどんどん増えているのだ。
ということは、
「この街だけでも、私だけではないはずだし、そのたびに警察は、その人の家の近くを重点的に見張る」
というのであれば、
「警官が何人いても足りるわけはない」
というわけだ。
特に最近は、交番も減ってきている。以前であれば、
「一つの町内に一つの交番」
というくらいにはあったことだろう。
しかし、今では、一つの地域に一つあればいいくらいで、しかも、警官の人数も限られていて、パトロールに出ていれば、交番の前には、
「パトロール中」
という標識が立てられていて、交番には誰もいないということになるのだ。
元々、昔の交番というと、
「道を聞かれたら、それにこたえるというのが、任務のように思えるかのようなドラマなどがあった」
というものだ。
つまりは、
「交番に詰めていてこそなんぼ」
というもので、交番を留守にするなど、昔ならあり得なかったことであろう。
交番の警官が減っているということは、それだけ、警察所勤務の警察官が増えたということだろうか?
いや、そんなことはない。
確かに昔に比べれば、犯罪の種類が多種多様化してきた。
「生活安全課」
というところなどが忙しくなったのは、
「サイバーテロ」
であったり、
「ネットによる詐欺」
などというコンピュータの発達によって増えてきた犯罪。
さらには、問題になっているストーカー犯罪。
そして、プライバシー保護なの意味としての、
「個人情報保護に関する犯罪」
などいろいろ出てきたが、これも、今から30年くらい前から急に出てきたもので、一気に犯罪の多種多様化というものも叫ばれるようになったのだ。
だから、警察署内の人員が増えたのは致し方ないことであろう。
では、
「警察官になりたい」
という人が増えたのだろうか?
正直、そんなにいないのではないだろうか?
実際には分からないが、状況として、交番の数が減っていき、そこに避ける人員も減っているのは、やはり、
「人手不足」
ということからきているのかも知れない。
もちろん、
「人員をカットして、経費節減」
という生々しい事実もあるだろうが、
「そのために、犯罪が増えてしまう」
ということであれば、本末転倒も甚だしいといってもいいだろう。
特に生活安全課も忙しく、警らの警官が人手不足ということになれば、ストーカー犯罪を取り締まるのは、
「おのずと限界がある」
ということになるであろう。
警察というものが、権威をいかに示すかということであれば、犯罪は少しは減るかも知れないが、今の警察に、
「犯罪を未然に防ぐ」
という力があるわけもない。
だから、
「事件が起こってからでしか動かない」
ということになるのであり、
「起こってしまった犯罪で、犯人を検挙すれば、検挙率が上がる」
という、
「警察本来の役目はどこに行ってしまったのか?」
と考えさせられる。
しかし、これこそ、
「民主主義の限界だ」
といえるのではないだろうか?
戦前、戦中といわれる、
「大日本帝国における治安維持法というものが設立された頃」
というのは、
「警察の権力は絶対だった」
といってもいいだろう、
憲兵と呼ばれる人たちが警察官として取り締まる。戦時中などは、
「戦争反対」
などという人を連行して、拷問にかけるなどということは日常茶飯事であった。
「あの頃の憲兵は、いきなり家に押しかけて、ご主人を拉致する形で連行し、帰された時には、拷問によって、足腰が立たないくらいにさせられている」
など、当たり前のことであった。
「戦争反対を唱える、非国民だけではなく、共産主義者なども片っ端から捕まって、拷問を受ける」
そんな時、今でいう逮捕状はいらないのだろうか?
時代が時代なのでよく分からないが、
「憲兵は、陸軍大臣の管轄下になる」
ということで、今でいう、
「行政警察」
とは明らかに違う。
しかし、敗戦により、憲兵は解体された。
「軍の解体」
というものが行われ、管轄である、陸軍省自体がなくなったのだから、それも当たり前のことで、その後は、民主国家としての、民主警察というものが生まれたのであった。
もちろん、その頃に比べて、今ではまったく変わってしまった警察組織というのは、
「三権分立」
というものに基づいた警察組織になっていて、ただ、
「縦割り社会の典型」
ということで、
「官僚制度」
と並ぶもので、一般の企業、いわゆる、
「会社組織」
とはまったく違うものであった。
何しろ、警察というのは、
「公務員」
であり、市民の税金で活動しているのであった。
ただ、昔の憲兵などのような、
「絶対的な権力」
によって、市民を苦しめたという前歴があることで、今の警察には、そこまでの権力を持たせていないというのも現実で、それだけに、捜査権はあっても、
「本当に市民のために動いている」
といえるかどうか、怪しいものであった。
それを考えると、
「警察は、何かなければ動かない」
ということと、それに輪をかけるように、
「人手不足」
という問題から、本来の仕事である、
「治安を守る」
ということが難しくなってくる。
だとすれば、
「犯罪を未然に防ぐことに力を入れないといけない」
ということなのだろうが、結局そこにも、
「権力濫用の問題」
と、
「人手不足」
という問題が横たわっていることから、どうすることもできない壁が存在しているといっても過言ではないだろう。
だから、母親も、そんなことは百も承知で、
「最初から警察に頼るなんてできるわけはない」
と思っていた。
そのうちに、被害妄想もひどくなり、
「警官というものがどういうものなのか?」
と考えているうちに、
「警察のみならず、誰も信用できない」
と思うようになってきたのであった。
だから、
「子供も真法できない」
特に子供は、親にとって、
「いつまで経っても子供」
と思っている。
それなのに、凶暴性だけが増してくる。身体は成長してきているので、
「子供には逆らえない」
と思うのだった。
母親は、
「人に言えない秘密」
というものを実は持っていた。
高校時代、塾の帰りに、ストーカーに襲われたことがあった。
寸でのところで、通りかかった人が大声を挙げてくれたので、事なきを得たのであるが、あのままであれば、何があったとしても不思議のない状況であった。
その時大声を出して助けてくれたのが、今の夫だった。
つまりは、
「陽介の父親」
ということになる。
母親は、父親と結婚するまで、お付き合いをしている人がいなかったわけでもなく、男性経験がないわけでもなかった。
しかし、母親は、当時としても、どちらかというと、潔癖症に近い方だった。
性格的には、
「勧善懲悪」
というところがあり、
「嫌いな人は徹底的に嫌いだった」
といってもいいだろう。
結婚するまでは、それほどまわりを疑うことはなかった。むしろ、
「彼と結婚できてうれしい」
とまで思っていたのだが、実際に結婚してみると、
「こんなはずでは?」
と思うことは多々あったのだ。
確かに、
「結婚してしまうと、ゴロっと様子が変わってしまう男性」
というのは、珍しいことではなかった。
男とすれば、
「結婚までには、相手は彼女なので、それなりに気を遣ったりして、、嫌われないようにしよう」
と思うのは無理もないことで、それが、結婚することで、気持ちが通じるということになるだろう。
と思うようになっていた。
だが、実際に結婚して、男にとって奥さんが、
「自分のもの」
ということになってしまうと、その立場上、
「家族の長」
ということで、態度が急変するという人も少なくはない。
特に、今のように、ほとんどの人が共稼ぎというところまで行っていなかった時代であれば、奥さんが、専業主婦であれば、
「俺が一家の大黒柱だ」
と思うのは当たり前のことで、まだ、昔の体制が少しは残っているのかも知れないのであった。
「お父さんが帰ってくるまで、ごはんはお預け」
などという家庭が、昭和の頃には当たり前のように存在していた。
「父親だけが、家族で特別」
ということである。
それが大きかったのは、今と違って昔は、
「給与振り込みなどということはなく、給料日に、旦那が給料袋を手に持って帰るということからだったであろう」
それが、今のように給与振り込みになったというのは、
「三億円事件」
に端を発しているということであろう。
「給料日前に、会社に給料を運ぶ現金輸送車が狙われた」
ということで、
「現金をなるべく、輸送しないようにしよう」
ということでの、給与振り込みということになったのであった。
そこから、
「父親の威厳」
というものが少しずつ失われていったのではないか?
ということも言えるであろう。
そんな父親の威厳がどんどん少なくなってくると、そのうちに
「バブル崩壊」
というものが起こってきて、会社では、
「リストラの嵐」
というのが巻き起こり、
「早期退職制度」
なるものが一般的になり、
「肩たたきで首にされることを思えば、今名乗りを挙げてくれれば、退職金に少し色を付ける」
という形での、退職者を募ったりしていた。
それまでのバブルの時代であれば、
「会社を辞めても、新しいところは、いくらでもあった」
という時代を知っているだけに、バブル期ほどではないだろうが、
「辞めたって次がある」
という、簡単に見ている人が多かったであろう。
しかし、そもそも、会社が人を削る時代なのだから、他の会社も似たり寄ったりで、
「失業者は街に溢れるが、人を雇うだけの安定した会社がどこにあるというのか?」
という時代だった。
さすがに、家に帰って。
「会社を首になった」
などといえるわけもない旦那は、
「家を出て、一日中どこかの公園や、映画館などで、一日時間を潰す」
というようなことを、
「情けない」
と思いながら過ごさなければいけなかったのだ。
それを思うと、
「あの頃は時代が悪かった」
といってもいいが、
「耐え忍ぶには、あまりにも、風が冷たい時期だった」
といってもいいだろう。
だが、それが当たり前のようになると、世の中は会社の方で、人手不足になってきた。
「経費節減」
とはいいながら、人を遠慮なく切るのだから、人手不足になるというのは当たり前のことで、そうなると、会社は、新たな人材を求めるようになり、それが、アルバイト、パートであったり、その頃から出てきた、
「派遣社員」
という体制であった。
アルバイトなどは、奥さんが行うようになった。失業者が、派遣社員などで雇用を確保はできるが、給料は大幅に減ってしまうので、それを賄うという意味で、奥さんも、働きに出る、つまりは、
「共稼ぎ」
ということになるとだ。
そうなると、
「正社員以外で賄うということの企業側と、旦那が派遣社員で、奥さんがパートという二人体制での家庭側とが、うまく折り合った」
といってもいいだろう。
そこから、
「非正規雇用」
というのが当たり前になり、何とかバブル崩壊を乗り越えた形になってきたが、ところどころでの、
「経済危機」
というものが、
「社会不安を巻き起こし、結果として、派遣村というような悲惨な事態を引き起こす」
ということもあったのだ。
そんな時代から、かなり経って、完全に、
「終身雇用」
ということはなくなり、ほとんどの会社が、
「契約社員」
「パート、アルバイト」
などを作業に使うというやり方が多くなってくると、社会不安というものが、
「そもそも何からきていたのか?」
ということも分からなくなり、子供も昔のような。
「いい学校に入り、いい会社に就職すれば、幸せだ」
などということは、夢にしかすぎないということになるだろう。
確かに、
「大きな会社に勤めていれば、小さい会社に比べれば、会社が潰れるというリスクは少ないかも知れない」
とはいえるが、
「吸収合併」
などという状態になると、
「吸収される側になれば、悲惨なものである」
親会社から、嫌というほどこき使われる形になり、以前の、
「下請け、孫請け」
というような形を彷彿させるというものだ。
インフラであったり、システム開発などというと、親会社が請け負ってきたものを、下請けや孫請けといわれるところにどんどん、面倒くさいところの仕事をふるということで、賄ってきていた。
「零細企業で、親会社から切られると、経営していけない会社ばかりなので、嫌でも、請け負うしかない」
という状態である。
さらに、その当時は、
「会社で正社員を減らす」
ということで、業務を請け負うという形で、派遣会社に頼んだりする、業務委託などという、一種の、
「外注」
つまりは、
「アウトソーシング」
という形も多く見られたりした。
会社というものが、どんどん変わっていくと、子供の世界も、教育の世界もどんどん変わっていく。
「いい会社に入るために」
といっても、
「絶対に潰れないと言われた銀行が潰れた」
というくらいなので、
「いい会社に入っても、いつ潰れるか。もっと大きなところに、吸収合併されるか?」
ということになると、
「いつ、首を斬られても仕方がない」
という状態となり、
「落ち着いて、仕事ができる環境にはない」
ということになるのだ。
子供がどこまで分かっているのか分からないが、陽介少年は、それくらいのことは分かっているようで、
「勉強は面白いからするけど、将来、会社に入ってサラリーマンとして仕事をする」
ということに対してはうんざりしていたのであった。
だからと言って、
「起業する」
というのも、嫌だった。
いわゆる、
「ベンチャー企業」
のようなものを作るということは、それこそ、
「下請け、孫請け」
のようなものであり、親会社から、奴隷のごとくこき使われ、経済が傾いてくると、
「一番最初に切られたり」
あるいは、
「連鎖倒産というものの中に巻き込まれたり」
ということになり、
「その責任を負わされることになる」
というのは、分かり切ったことである。
実際に、コンピュータ関係のベンチャー企業というものが、たくさんできていたのだが、それがいまだに残っている会社というのは少ないだろう。
どこかに吸収合併されるか、倒産してしまうかのどちらかでしかないということになるだろう。
それを思うと、
「会社員になっても、自分で会社を起こしても、悲惨だということに変わりはない」
ということになる。
ただ、被害の大きさと責任を考えると、
「起業というもののリスクがどれほどのものかというのは、目に見えて分かる気がしたのだった」
これを、陽介少年は、小学6年生の頃から分かっていた。
さすがに、
「俺は天才だ」
といっていただけのことはある。
それを皆が、皮肉な目で見ていたのだが、今でも父親が、
「社会人になれば、身だしなみをしっかりして、人の信頼を受けて」
などという、ことを言っている。
確かに、
「それも一つの考えであり、間違ってはいない」
といえるだろう。
しかし、それが主ではない。
むしろ、そっちばっかり考えていて、逆に、
「世間体さえしっかりしていれば、何とかなる」
などという、それこそ、
「昭和の、高度成長期」
という時代に言われていた時代の、化石のような発想が、いまだに通用すると思っているだけに、
「老害」
といってもいいのではないだろうか?
それこそ、
「世間知らずで、引退しなければいけないくせに、政界にしつこく蔓延っている連中と変わりはないではないか」
といえるだろう。
そもそも、今の時代、
「世間体」
というものの何が役に立つというものか。
「学歴」
というものでも、半分は絵に描いた餅のようなものだし、就職してその会社に、自分の大学の卒業閥というものがあったとしても、
「もし、会社にクーデターのようなものが起こって、派閥の反対勢力が権力を握ると、最初に切られるのが自分たちである」
ということである。
だから、子供がそのことに気づいた時、
「将来に、まったく、夢も希望もない」
ということを知った時、どのような精神状態になるか? ということが大きな問題ということになるだろう。
「そんな時代を憂いてのことなのか?」
それとも、
「社会というものが、自分の人生の縮図として、限界を見てしまった」
ということになるからなのか、陽介少年は、おかしなことを始めたのだ。
家出をしたのだが、その時机の上にメモが置いてあり、そこには、
「殺人計画メモ」
と書かれていたのであった。
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