第33話 約束の果て

 自分は、馬鹿だ。本当に愚かだった。酷い兄だった。妹を守る? 助ける? 彼女が一番辛い時自分はなにをしていた? 彼女の悩みに一度でも真剣に耳を傾けたことがあったか? 特別な力がバレることだけ気にして当の本人をまるで見ていない。それで守る? なんて勘違いだ。


 彼女は自分を頼っていたのに、自分しか話せる相手がいなかったのに。自分は彼女を突き放したのだ。


 後悔が止まらない。彼女の苦しみを思い流れる涙を止めることなんて出来ない。

 自分は酷い兄だった。胸にあるその思いがいつまでも自分を責め立てる。


 すると白い空間に扉が現れた。枠組みから白い扉でドアノブがついている。優輝は泣くのを抑え涙を拭く。


 扉の前にまでやってきて、取っ手に手を伸ばした。それがガチャリと音を立て扉は開いていく。中から差し込む大きな光に顔を逸らす。まぶしい、目を開けられない。瞼すら貫通し痛いほどの光が目に突き刺さる。


「ッ……?」


 ゆっくりと瞼を開けるとそこは手術室だった。天井にあるいくつものライトがついた電灯、窓のない部屋。ここにはいくつもの機械が並んでいる。黒く大きな長方形がまるでストーンヘンジのように置かれており、その中央には手術台があった。


 そこに、誰かいる。


 優輝は近づいていく。黒い機械の合間を抜け手術台の横に立つ。


 そこには、金色の髪をした中年の女性が横になっていた。やせ細り、腕にはチューブが繋がれ点滴を受けている。部屋には心電図もあり彼女の鼓動に合わせ機械音を出していた。


「愛羽……?」


 彼女には愛羽の面影がある。その顔立ち、なにより母譲りの綺麗な髪。まるで眠り姫のように彼女は静かに呼吸するだけで眠っている。


「愛羽、愛羽!」


 彼女の肩を揺するが目を覚まさない。どれだけ大声で呼びかけても、電源の入っていない人形のようだ。

 瞳にまた涙が溜まる。目の前にいる。触れることも出来る。なのに彼女は目覚めない。


「愛羽! 愛羽ぅうう!」


 悲しみが洪水となって胸から溢れた。涙を流し泣き叫んでも彼女は目を覚まさない。

 優輝は涙で濡れた瞳もそのままに周囲を睨んだ。ただ見ているだけでいいわけがない、絶対に彼女を救うんだ。きっとこの機械や点滴が原因のはず。


 優輝は手術室に置いてあったメスを逆手に持ち黒い機械に突き刺した。見れば宮坂が腰につけていた機械とどことなく似ている。タンスほどの大きなそれにはいくつものボタンと複数のメーターが付いている。


 それにメスを突きつけたところで壊せるはずもなく、裏に回ってみるといくつものコードがついていた。それらを乱暴に引き抜き固定されているコードはメスで切り裂いていく。全部のコードを本体から切り離し次々と停止させていった。


 全ての機械からコードを離し最後に点滴も腕から引き抜く。


「愛羽?」


 呼びかける。起きろ。目を開けてくれ。祈りを込めて彼女の名前を呼ぶ。神に等しい彼女へ向けて彼は真摯に呼びかける。何度も、何度も、何度だって。


「愛羽! 起きてくれ! 助けに来たんだ!」


 祈りを込めて。次にしたもは懺悔だった。


「ごめん、俺が悪かった……!」


 止まらない後悔にまたしても涙が溢れてくる。彼女は一人苦しんでいた。その現実を変えられたはずなのに。


「お前が苦しんでいる時、お前を助けてやれたのに。俺だけは味方でいられたのに。なのに……! 俺はしなかった! 別のことばかり考えて。でも分かったんだ。今度こそお前を助けてやる! だから、だから目を覚ましてくれよぉお!」 


 もうそんな失敗はしない。今度こそ彼女を守ってやる。母とした約束。なにより大事な妹を助けたい。だから神様、お願いします。妹を助けてください。


 願いが、現実に向けられる。


 すると彼女の外見に変化が現れた。彼女の体が小さくなっていく。それは急激な若返りだった。みるみると時間が巻き戻っていくように彼女の体は少女の姿へと変わっていき、その姿が中学生の頃で止まった。


 静かな緊張が走る。なにが起きている? 分からない。この次どうなるのか予想もつかない。


「愛羽!」


 ただ、その顔に叫んだ。注意深く彼女の顔を見る。


「ん」


 その時声が聞こえた。さらに目が開く。


 彼女の目がぼうと天井を見上げるがすぐに優輝に気づく。寝起きのためまだ浅い意識で、でもしっかりと自分を見つめている。


「にい、さん……?」

「ああ!」


 彼女の手を両手で握る。彼女が目覚めた瞬間、胸が感情で一杯になる。


「にいさんなの?」

「ああ、俺だ! 助けに来たんだ!」

 嬉しくて、嬉しくてたまらない。胸を突き破りかねないほどの幸せがこみ上げる。

「兄さん」


 愛羽の視点がしっかりと自分を見据える。意識がはっきりしてきて、自分を確かに認識する。


「来てくれたんだ」

「当たり前だろ!」


 優輝は彼女に抱きついた。細い体を精一杯に抱きしめて、この瞬間に涙するほど感謝した。

 彼女が生きている。彼女が目を覚まして、こうして再会できた。彼女を救うことが出来たのだ。


「兄さん、ごめんなさい。私」

「いいんだ!」


 兄に抱きしめられ愛羽も涙を流していた。自分を心配してくれていた兄。喧嘩してしまったけど自分を思ってくれていた。その優しさは本物だった。だからこそ自分は生きていて、彼はあの時命を散らしたのだ。自分のせいで彼を死なせてしまった。


 その罪悪感は一生の罪だった。病院でも癒せない傷だった。こんな自分はどれだけの罰を受けても仕方がないと思えるほど、それは深い罪だったから。


 だけどこうして優輝は助けに来てくれた。たくさんの危険を冒して。きっと死ぬほど怖い思いをして。それでも。自分のために。


「でも、私のせいで兄さんは」

「いい、いいんだ! 俺の方こそごめん。俺はお前をもっと大切にすべきだった。認めるべきだったんだ。お前が本当に苦しい時、俺は話をちゃんと聞くべきだったのに。それをなんとかすべきだったのに、お前の正体が知られることばかり考えて。お前が苦しんでるのに俺はなにもしてやらなかった」

「兄さん」

「だからいいんだ」


 優輝はそっと彼女から離れ愛羽の顔を見る。お互い涙で瞳がきらきらとしている。お互いに罪を抱き贖罪を願った者同士、初めてそれと向き合う。


「愛羽。俺は、お前を認める。もう縛られなくていいんだ」


 優輝は伝えた。かつて自分がすべきだったのにしなかったことを。


「生まれてきてくれて、ありがとうな」

「兄さん……!」


 その言葉に愛羽は幸せそうな笑みを浮かべた。


 自分は生きていてもいい。許されてもいい。自分は認められているのだと。他ならぬ兄からそう言われて、愛羽は幸せそうだった。


 許された。認められた。それが、死を伴う悲劇に見舞われた者にとってどれだけ救いか。

 愛羽は体を起こし優輝に支えられながら手術台から下りていく。どれだけ久しぶりに立ったのかも分からない。


「体は大丈夫か?」

「うん。たぶん大丈夫」


 弱ってはいるが命に別状はなさそうだ。患者用の服なので余計にそう見えてしまう。


「兄さん」

「ん?」

「これから、どうしようか」


 愛羽が見上げる。何十年も眠っていた彼女からすれば外は別世界だ。そうでなくともいろいろ大変だ。どう生活するのか、なにをすればいいのか。見当もつかない。


「愛羽はどうしたい? 愛羽のしたいようにすればいいさ」

「いいの?」

「ああ」


 彼女の不安、そんな現実を優輝は吹き飛ばす。好きにやればいい。心配することない。この世界を自由に生きればいいのだから。


「俺はお前の味方だ。いつだって」

「うん」


 頷いて、愛羽は優輝に抱きついた。背中に両腕を回し優しく力を入れる。すると彼女の服装が患者用のものから白いワンピースへと変わっていった。


 愛羽に抱きつかれ、優輝は微笑み彼女を抱きしめる。守ると約束した彼女を。大切な存在を、優しく、強く、包むように。


 直後二人の足元から花が生えた。それは急激に広がり手術室を、この場所を花畑に変えていく。天井は青空に変わり一面花々に覆われていた。


 降り注ぐ光。澄んだ青空。気持ちの良いそよ風に揺れる花たち。


 ここに差別はない。いじめもない。憎悪も苦痛も。心配も不安も。あるは二人の絆だけ。


「兄さん、ありがとう」


 ずっと続く二人の時間。


 ここはすてきな世界。二人の世界。そこで二人の時間が動き出す。

 しあわせな、

 しあわせな、

 しあわせな。


 すてきな世界の中で、二人はいつまでも一緒に過ごしていた。


 どこまでも続く青空の下、花畑の上で。

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