第32話 思い出す真相

 肉の通路を優輝は走っている。息を切らし感情がごちゃ混ぜになりながらも使命感で黙らせる。


 その時背後から銃声が聞こえ振り返った。遠くからではあるが何度も銃を撃っている音が響いている。


 それは戦いの音だ。彼女が自分を先へと行かせるためやってきた部隊と戦っている。命を懸けて、自分のために。


 彼女のことはなにも知らない。どうしてそこまでしてくれるのか。それが自分の人生だからと答えてくれたその真意を知る機会はもう来ないだろう。その気持ちに感謝しつつ今は前に進まなくては駄目だ。


 彼女の恩に報いるためにも自分はたどり着かなくてはならない。優輝は走りを再開させ通路を進んでいった。


 そうして一心不乱に走り続けていくと廊下の突き当りにエレベーターが見えてきた。そこだけが機械でできているためなんともアンバランスだ。エレベーターが肉に埋まっていると言うべきか。


 とはいえ電気(本当に電気かは不明だが)は通っているようで明かりは点いているしボタンも光っている。


 優輝は立ち止まりエレベーターを凝視する。立ち止まっている時間などないが不安もある。これがトラップの可能性もあるし正解なのか分からない。


 しかし進むためにはこれしかない。優輝は下のボタンを押し中へと乗り込んだ。ボタンには矢印で下のボタンしかなくそれを押す。扉は閉まりエレベーターは普通の動作で下がっていった。


 エレベーター特有の下がっている感覚がする。ゆっくりと、けれど着実に。自分はこの世界の地下へと落ちている。


 エレベーターが止まった。扉が開いていきその瞬間を緊張しながら見る。いったいこの先でなにが自分を迎えるのか。予想なんて一切できない外界に優輝は身構える。


 扉が開いていくとまばゆい光が差し込んできた。あまりの眩しさに顔を背ける。それから光が引いていき優輝は外を見た。


「え」


 その光景に、声が出る。


 そこは自分の家だった。エレベーターの扉は玄関になっており見れば靴が二人分置いてある。一つは女性の、もう一つは子供用だ。


『優輝~』


 そこで家の中から声が聞こえてきた。大人の女性の、懐かしい声。


「母さん?」


 それは母のものだ。自分が子供の頃に亡くなってしまった人。


『優輝?』

「母さん!」


 その声に優輝は靴を脱ぐのも忘れ駆け出した。玄関からリビングに入る。

 テレビに大きなソファ、そのソファに母の後ろ姿が見える。愛羽と同じ金色の髪。その隣には子供の頃の自分がいた。まだ園児でこれから起こる悲劇をなにも知らない純粋な目が母を見上げている。


『もうすぐお兄さんになるんだからしっかりしないと駄目よ?』


 後ろ姿の母は子供の自分にそう言う。この場面は不思議とよく覚えていて印象に残っている。


『妹を守る、立派なお兄さんになるのよ』


 そう言って母は立ち上がった。大きなお腹をさすりリビングから出て行く。


「母さん!」


 これから起こることを知っている優輝は慌てて後を追いかける。


 出て行った扉を開けるとそこは病院の廊下であり長椅子には父と子供の自分が座っていた。父は泣いており見たこともない父の様子に子供の自分は戸惑っている。ただ、大変なことが起きたことだけは伝わっていた。


 この日母は死んで妹が生まれた。母の死を実感するのはこれよりも後だ。母のいない日常にもう会えないことを悲しんだ。けれど泣いているばかりではいられない。自分は母とした約束がある。


 優輝は自分が出てきた病室の扉を開け中へと入る。そこはまたも自分の家であり、リビングには自分と赤ん坊の愛羽がいた。はいはいはもう卒業し積み木で遊ぶ愛羽は母親譲りの金髪で小さく可愛らしい。近くの積み木に手を伸ばすが届かない。その積み木を掴み手渡してあげる子供の自分。一緒に遊んでいる。すると愛羽は立ち上がり他の積み木を取ろうとするが躓き転んでしまう。大泣きする妹を自分は必死にあやしていた。


 こんな日もあった。この時がもしかしたら一番お兄さんをしていた頃かもしれない。彼女を分かりやすく守っていた。これからもそうしなければならないと思えるほど。


 泣き止んだ愛羽は再び遊び始め自分も付き合っていった。二人はそのまま遊んでいく。


 優輝は別の扉を開ける。そこは愛羽の部屋だった。そこには小学低学年になった愛羽がおり自分も大きくなっている。愛羽は部屋の中央に座り子供の自分は今の自分と同じように扉を開けた位置に立っている。


『お兄ちゃん、見てみて』


 無邪気な笑顔で得意げに、愛羽はそれを行ってみせた。


 彼女のちょうど正面より上、そこに教科書やノート、ランドセルが浮遊している。まるでシャボン玉で遊ぶように愛羽はそれを楽しそうに見つめ自慢していた。


 この時のことは忘れない。いろいろな事を考えていたのを覚えている。すごいと思うよりもどういうことか分からないことの怖さ、意味不明に対する危機感。愛羽はこれを好意的に捉えているのに対し自分は危険だと思っていだ。


『これを俺以外の人に見せたのか!?』

『ううん、見せてないけど……』

『いいか? これは俺と愛羽だけの秘密だ。それとこれはもう二度とするな。いいな?』

『でも』

『いいから! 分かったな?』


 きっと、愛羽は褒めて欲しかったんだと思う。すごいと言って欲しかったに違いない。けれど小学生の自分にはそこまで考えが及ばなくて、守ることを最優先にして彼女の気持ちにまで考えが回らなかった。


『……うん』


 愛羽はしぶしぶ頷き彼女最大のアイデンティティを自分は否定し、封じたのだ。

 自分は間違っていたのだろうか? 過去を再現したこの空間を見せられて自省の念に駆られる。


 優輝は扉を開け外に出た。そこは学校の廊下だった。そこには中学生になった愛羽がいて、数名の女生徒に囲まれていた。


『ねえ、なんで髪黒くしてないの? 言ったよね?』

『でも、これが地毛だし。先生も元からならいいって』

『は? みんな黒なのに自分だけ金髪でさ、それでいいと思ってるの? みんなの気持ち考えたら? 沓名だけだよ?』


 女子生徒たちは去っていき愛羽は一人俯いていた。誰も彼女を庇う人も助ける人もいない。陰湿でバレないようにやられていた。


 愛羽は俯いたまま歩くと空間がぼやけ自分の家に変わっていく。俺の部屋の前に立ち遠慮がちにノックした。


『兄さん、今いい? 話があるんだけど』


 愛羽は深刻な表情で声を掛ける。だというのに自分は真剣に取り合わない。


『あの力は使ってないんだよな?』

『……うん』

『ならいいんだ』


 自分は愛羽の特別な力の露見のことしか考えていない。確かにそれも大事なことではあるが、愛羽は今苦しんでいるというのにそれを見ようとしない。愛羽には自分しか味方がいないのに。


 過去のやり取りをまるで幽霊のように傍観し胸が苦しくなる。後悔が首を締めてきて窒息しそうだ。


 優輝は扉を開けた。そこは愛羽の部屋で、自分と彼女の二人きりだった。


『どうして力を使ったんだ!? あれほど使うなと言っただろ!』

『使ってない……』

『一人は交通事故にあってもう一人は原因不明の病気で入院なんておかしいだろ! これで騙せると思ったのか?』

『だって』


 そこには激高する自分とそれを受け俯いている愛羽がいた。いじめを解決するために愛羽は能力を使った。それは明白だった。


『約束しただろ、他の人に知られたら駄目だって。何度も言ってきたのに。どうしてしたんだ!?』


 この時の自分は約束を破られたことに怒っていた。もしかしたら知られたことで愛羽は連れ去られてしまうかもしれない。この生活が壊れるんじゃないかと危惧していたんだ。それを彼女も分かっていると信じていたのに裏切られた気分になって、それで言葉を荒げてしまった。


『これはお前のためなんだぞ!?』


 だから、彼女を傷つけたくて言ってたわけじゃない。だけど、それは彼女からすれば酷い暴言だ。


『もういい! 兄さんなんて知らない!』


 そう言って愛羽は駆け出した。自分の部屋を出て玄関からも飛び出していく。


「愛羽? 駄目だ愛羽!」


 その先でなにが起きるのか知っている。


 優輝はあとを追いかけた。玄関を開け外に出る。外は夜で暗がりの町に愛羽はただここから離れるためだけに走っていた。


「愛羽待ってくれ!」


 今の自分が呼びかけても反応はない。彼女は泣いていて走りながら涙を腕で乱暴に拭いていく。


 だから、赤信号に気づけなかった。横断歩道に飛び出し迫りくるトラックのライトに照らされる。


「愛羽ー!」


 その体を間一髪で押し飛ばす。愛羽は突き飛ばされトラックから外れていった。

 右から近づく光に包まれる。しかしトラックは優輝をすり抜け全身はそのまま地面にぶつかった。直後背後でした音に振り返る。


 そこにはトラックの衝撃に体を変形させた自分が倒れていた。


「あ」


 全てを理解した。


 愛羽の叫び声が聞こえる。涙を流し悲鳴を上げている。その光景を呆然と眺めていた。


 ここまで見せられれば分かる。自分はもう生きていない存在なんだと。

 この時、自分は死んだのだ。


 世界が色落ちしていく。自分は真っ白な空間に立ち尽くしていた。高校生の自分、高校の制服。辺りにはなにもなく地面も空も白いだけの世界。


 そこに自分だけが立ち、泣いていた。


「う、うう」


 いくつもの涙が頬を通り、体の奥から湧き上がる熱が全身に広がる。

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