第28話 十年前に君がしてくれた約束

「沓名君、大丈夫?」


 仲間は亡くなったが他の隊員たちは大丈夫だ。気持ちは強く任務に支障はない。心配なのは彼の方だ。


「はあ、はあ」


 全力疾走した体は呼吸を荒げているがそれだけではない、人が死んだのだ。それを見た精神的ショックは子供には大きすぎる。


 恐怖に支配され動けなくなるかパニックになって取り乱すか、一番心配なのは彼だ。


 彼を見るが明らかに怯えている。それを必死に我慢して耐えてくれていた。けれどこのまま進んでいけば彼は恐怖に飲み込まれ壊れてしまうかもしれない。


 どうすればいいか。あの時は彼が自分を救い導いてくれた。怯える自分を励ましてくれた。今度は自分がそれをする番だ。


 宮坂は優輝の手を優しく握りしめた。


「約束する。君がもしどんなピンチになったとしても、私が助けに行くわ」


 かつて彼が自分にしてくれた約束。それを今自分が彼にしている。

 その約束にどれほど自分が救われたか、嬉しい気持ちになったのか。それを思い出す。


「あんな風になっても?」

「ええ」


 怯えた目の彼に宮坂は断言する。何度だってそう言える。心の底からだって言える。彼を救うためならどんな危険にも挑めると。


「どうしてそんな風に言えるんですか? 任務だからですか?」


 優輝からすればどうしてそこまでしてくれるのか疑問に思う。彼女とはさきほど会ったばかりの他人だ。それが優輝視点の彼女だ。


 彼は彼女のことを知らない。なにも覚えていない。あの時間を、あの空間を、共にいた過去を知らない。


 あるのは宮坂の記憶と胸の中だけ。彼は知らなくても自分は確かに覚えている。そこにあった本物の気持ちを。

 だから。分からない彼に伝えた。


「それが、私の人生だからよ」


 分からなくていい。理解できなくていい。ただ伝えたくてそう言った。案の定優輝は唖然としたような要領を得ない顔をしていたが宮坂の自信に満ちた顔に納得してくれたようだ。気持ちも落ち着いたようで「行ける?」との問いに「はい」と答えてくれた。


 それで先へと進もうとするのだがここは一本道で両側には窓が並んでいる。まるで棟と棟を繋ぐ連絡通路のようだ。その窓からは外の風景は見えず代わりに青白い光が差し込んでいる。赤いライトもなくここの明かりは窓から差し込む光だけだ。子供の笑い声や足音も止んでいる。廊下の先には両開きの扉がある。


 雰囲気が変わった。静かだ。それも返って不気味だが赤いライトよりはマシな感じもする。


「前森、現実測定値は?」

「1・72。かなり深刻です。これ以上は私たちの現実よりも改変部分が強いです。別の現実と言ってもいいですね」

「そうね。油断せず行くわよ」


 全員で銃を構え前へと進んでいく。一本道なので迷うことはない。窓越しに外を見てみるが距離感が上手く掴めない。奥行は感じるがどこまで続いているかは分からないし薄い青色の空間がずっと広がっているように見える。上を見ても先はなく下を見ても底がない。水中だろうか。生き物の気配も動く影もない。


 宮坂たちは両開きの扉の前までたどり着いた。部隊は左右に別れ宮坂と福田が扉の前に立つ。アイコンタクトで合図を取り二人は同時に体当たりで扉を勢いよく開けながら中へと入っていった。


「う!」

「なんだこの臭い……!?」


 瞬間その臭いに表情が歪む。というのもかなりの悪臭が鼻を襲ってきたのだ。

 扉の先は同じような廊下が続いているのだが床には大量の魚や甲殻類の死骸が散乱していた。中にはイルカの死骸まである。ここに放置されてかなり経っているのか腐敗が進み骨も見えている。


 海洋生物特有の生々しい臭い、なによりこの腐敗臭だ。生ごみの集積場でおまけに換気もない。


「ひどいな」


 堪らず腕で鼻と口を抑える。ここまでひどいと刺激臭であり吐き気が出てくる。毒ガスのようなものだ。


「気を付けろ、なにが潜んでいるか分からん。注意して進め」


 床に一面の魚たちの死骸があるので足で掻き分けながら進んでいく。床は腐敗した液で濡れているので滑りやすい。転んで死骸の海にダイブなんて御免だ。そんな臭いと足場の悪い最悪の廊下を歩いていく。


(これも愛羽さんの深層心理? こんな状況が無意識で出るなんて)


 顔を顰めながら宮坂は注意深く前へと進んでいく。


(これが意味しているもの、これから連想されるもの。ここは、あまりにも死に満ちている)


 陸に捨てられ腐り果てた海洋生物の大量の死体。死が充満している。ここにいるだけで否応もなくそれを認識させられる。


(それほどまでに、死を感じていたのね)


 ここで行われていたこと、それは痛みを伴った。恐怖と不安、絶望の檻の中思うのは自身の死。


 それはどんな時間だったのか。それはどんな生活だったのか。兄を死なせたことによる罪悪感に苛まれ自身に降りかかる痛みと恐怖を代償だと思い込んで。それでもなお絶望と救済を心のどこかで望んだ。


 そんな彼女の複雑な状況と心情が作り上げた汚染病院。恐ろしいはずだ。


 その異常性は今なお拡大し世界を覆おうとしている。この恐怖と絶望をここで断つためにも、ここで彼女を救済すべきだ。


 宮坂たちは廊下を進みまたも扉の前に立つ。宮坂と福田が前に立ちさきほどと同じように左右で構えてから肩で押し開け銃を向ける。


 正面、左右、天井に素早く銃口を向け安全を確保する。新しく出た廊下は普通のものだった。暗いが白いライトがところどころ点いている。音はなく不気味な暗闇を突き進んでいかなくてはならない。


 とりあえず腐敗臭が終わったことに胸を撫でおろす。あそこに居続けるだけで本当に体調に影響が出てしまう。ろくに呼吸も出来なかったので辛かった。さすがに臭いまでは現実性固定装置でも防げない。


 通路は正面に進めば扉があり途中右にも通路がある。宮坂たちは慎重に進み右の通路を確認する。電灯がかなり少なく暗闇が広がっているのが分かるがそこになにか影があるのに気が付いた。


 宮坂は立ち止まりハンドサインで皆にも伝える。ライフルを構えその影に照準を当てる。


 大きい。暗い廊下の奥から何かが近づいてくる。足音はなく、けれど時折なにやら微かに物音がする。


 緊張感が膨れ上がっていく。みなもそれが一体なんなのか分からなかった。


 電球が点滅している。影は近づきその光の下に現れた。


 それは巨大なイカだった。人すらも優に超える巨体で白い触腕が床や壁を這って前へと進んでいる。胴体は巨体にも関わらずほぼ直立し三角形であるえんぺらは天井に当たりそうだ。それがゆっくりと近づいていたのだ。


「なんだよあれ!?」


 花山が叫ぶがイカとしか言いようがない。ただそのサイズが規格外でありさらに陸上で活動していることだ。


「逃げろ!」

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