第27話 下層

 ここが今何階なのかは分からない。異常存在を排除しながら下へと下りていくがゴールが見えてこず、廊下を進み階段を下り、それを六回はすでに繰り返していた。しかしまだ地下へとは着かない。それどころか下の階へと下りるたび子供の遊び声は大きくなっていき足音も近づいてくる。それは隊員たちの警戒心を刺激し不安を煽っていた。


 楽しそうな声とは対照的にどんどんと重苦しい雰囲気になっていく。隊員たちの表情にもそれは明らかに現れておりみな余裕がなくなっている。憔悴し、体力よりも精神的な疲弊が大きい。


「前森、現実測定値はどうなってる?」

「現在1・67です」


 聞いて表情が歪む。一階の時よりも上昇している。それだけここが現実離れしているということだ。子供の声が大きくなっているのもそれが原因だろう。


 終わりの見えない廊下、それでも下がっていくしかない。宮坂は気を引き締めたまま歩いていくがそこで通信が入った。


『宮坂、聞こえているな?』


 それはよく知っている男の声だった。イヤホン越しに聞こえる声に宮坂の目つきが厳しくなる。


「中水さん」

『お前の独断独行もそこまでだ。隊を連れすぐに引き返せ』


 それは宮坂の行動を咎めるものだった。宮坂の先行は特戦に無断のものだ。特戦が汚染病院をどうするか。それを宮坂は知っている。

 それは、沓名愛羽の殺害だった。


「すみませんがそれは出来ません」

『敵になるぞ』


 宮坂の決意は固い。彼の声からは睨むような凄みがあるがそれでも変わらない。


「彼と愛羽さんは再会させる。それでこの悪夢を終わらせるんです。そうしないといつまで経っても彼も彼女も救われない! この悪夢は終わらない、分かるでしょう!?」


 宮坂と中水ももう長い間柄だ。お互いに相手を知り尽くしている。中水もなぜ宮坂が無断で先行したのか、その理由は分かっているはずだ。


 だがそれで見て見ぬふりなど出来ない。中水にも中水の立場や事情がある。


『それを決めるのはお前じゃない。お前も組織の人間なら決定に従え。お前がなにを知ってる? 勝手な真似をするな』


 怒気を孕んだ言葉。声量は大きくないがそこには中水の苛立ちが混ざっている。


 二人は真向から対立する。優輝と愛羽を再会させることで汚染病院を解決しようとする宮坂。そこには優輝への思いやりがある。


 対して特戦は愛羽を殺害することでこの汚染病院を解決するつもりだ。それが特戦の決定であり中水はそれを決行するつもりだ。


「愛羽さんを救いたくないのはなぜですか? ここでなにをしていたか露呈するのがそんなに怖いとか?」

『そうじゃない。彼女が目を覚ますのが危険なんだ。それでどうなるか分からない。再会シナリオは却下だ、原因対象の殺害。これが確実だ。お前も特戦の職員なら方針に従え!』

「そんなことはしない!」


 どちらも譲れない。どちらも正義がある、そのためにお互い戦っている。


「汚染病院は終わらせます、そして救うんです。彼と彼女を!」


 今までくすぶっていた思いを滾らせて宮坂の使命感はなによりも燃えている。特戦の方針よりも熱く。


「それが私の方針です。それだけです」


 それで宮坂は通信を切った。彼には悪いがこの道は最後まで進ませてもらう。


「急ぐわよ、特戦の部隊が追ってくる」


 宮坂は銃を構え歩き出す。それに続き部隊も進んでいった。


 長い廊下、扉を開けるとまた廊下が続いている。薄暗い赤色はどうしてこうも精神を不安にさせるのか。ところどころは電球が切れかかっており何度も点滅している。空気はどこか重くさらに生温い感じがしてくる。そんな中をいつ来るかも分からない異常存在を警戒しながら進んでいかなくてはならない。神経はすり減っていくばかりで額から流れる汗が頬を通っていく。


 廊下の曲がり角に差し掛かり一旦足を止める。顔だけを素早く出して安全を確認、足を動かしていく。

 が、そこで異変が起こった。廊下の両側から血が流れ出してきたのだ。まるで肌を横に切られたように血が流れ出しそれは血文字となって壁に残っていった。


『祝福しよう』

『この痛みを』


 左右に描かれた血文字、その光景を真顔で見つめる。


「ち、くそが」


 花山が愚痴るが注意するのは誰もいない。そんな余裕もないほどだ。それにこれがふざけているというのは誰しもが思うことだった。なにが祝福だ、こんなの願い下げに決まっている。


 多くの部隊員がいい気がしていない中宮坂だけは思考を巡らせていた。


(これも愛羽さんの深層心理を反映したものだというのなら)


 ここ汚染病院は沓名愛羽による現実を改変された空間だ。現実である犬會病院と愛羽の心象が混ざった世界。ここで起こることはすべて彼女の思いが起因している。

 痛みを肯定するかのようなこの文言。これは第三者から言われた言葉を表している? それとも彼女自身そう思っていることが言葉に現れたのか? もし後者なのだとしたら。


(愛羽さん、あなたは)


 彼女は現実改変者としてここに収容された。特戦も万全の体制で迎えたはずだ。容易に脱出は出来ない。けれどあまりにも順調な気がする。汚染病院こそ発生してしまったがやろうと思えば自分が捉えられている現実そのものを改変してしまうことも出来たはず。


 それをせず人体実験を受け激痛に苛まれ続けてきたというのなら。


 それは、彼女自らそうしたのではないか?


 彼女のことを思い宮坂の表情が少し悲し気に歪んだ。けれどそれも一瞬のこと。彼女のことを思うのならばこそ彼を彼女のもとへ届けるべきだ。それこそが彼女を救うことになる。


 次の曲がり角に差し掛かり足を止め先を確認する。急がなければならないが安全は最も大切だ。


(ん?)


 廊下の先、そこには異常存在がいた。


 廊下を歩く十人ほどの患者たち。その姿が異様なのは歩いているのが天井であり彼らが吊られているように見えるからだ。


 十年前にも見たやつだ。おまけにあいつらには一番のトラウマがある。やつに掴まれそのまま引き裂かれそうになった時の記憶は未だに覚えている。


 ハンドサインで背後の部下に伝え膝を曲げる。異常存在を掻い潜って先へと行かなければならないが腕を伸ばせば捕まってしまう。ここは銃撃して倒していくべきか。

 判断を迫られる。攻撃してもし失敗した場合、その時も考えなくてはならない。撤退するなら後ろに下がらなければならないがそれは可能か? 部隊との意思疎通も大事だ。


 まずは退路の確認のため振り返る。

 そこには異常存在2がぶら下がっていた。


「堀口!」


 叫ぶ。堀口やみなも振り返るが異常存在が腕を伸ばすのは同時だった。


「うわああ!」


 堀口が掴まえられ持ち上げられる。初めは一体だけだった患者も二体目、三体目がふっと現れ群がってくる。

 すぐに花山と前森が銃を向け倒そうとするも狙いが上手くつかない。下手に撃てば堀口に当たってしまう。


「くそ、待ってろ堀口!」


 花山が堀口に抱きつき引き離そうとする。しかし患者たちの力は人間の腕力を優に超えておりさらに二人三人と掴んできて引き剥がすことが出来ない。


「くそ、くそてめえら! があああ!」

「堀口!」

「堀口さん!」

「クソ!」


 背後の惨劇に意識が向くが宮坂のすることはそれだけではない。

 曲がり角の先にいる異常存在の群れ、それがこの騒ぎを聞きつけ向きを変えてきたのだ。ゆらゆらと揺れながらこちらに近づいてきている。


「福田援護しろ!」

「はい!」


 宮坂と福田は前に出て発砲する。挟撃を許せば全滅だ。患者たちにフルオートの銃弾を撃ち込んでいく。彼らは何発かくらうと天井に転倒していった。


「道が開いた!」


 前方の敵は倒した。それでもいつ起き上がるか分からない。通るなら今しかない。


「行け!」


 今なにをすべきか、それを一番理解していたのは掴まれている堀口だった。


「アホか! お前置いていくわけねえだろ!」

「行けぇ! 俺はもういい、任務優先だろうが!」


 仲間を見捨てては行けない。花山は今も堀口の腰に腕を回し引っ張り前森も至近距離から患者を撃ってはいるが次々と沸く患者たちは二人の努力をあざ笑うかのように堀口に手を伸ばしてくる。腕や胸、頬まで手で掴まれ堀口は蜘蛛の巣にかかった虫も同然の状態だった。


 時間がない。助からない。それは誰の目から見ても明らかだった。


「ここは俺が時間を稼ぐ、行けええ!」


 魂の叫びとも取れるその言葉に、花山は顔を俯かせた。


「くそ……!」


 否定することなんて出来ない。彼は決死の覚悟を見せた、ならそれを無駄にするわけにはいかない。


「必ず成功させる!」

「おう!」


 花山は手を放しみなで走っていった。新手は堀口の体に群がり沈んでいくように埋もれていく。生きている限りのすべての力で最後まで抵抗し、堀口は命尽きるその時まで任務に貢献していった。


 廊下を突き抜けた先には階段がありそれで下りていく。階段を下りた場所で一旦体を落ち着けるが仲間の死に雰囲気は一層重い。


「堀口さん……」


 前森は助けられなかったことに落ち込んでいる。自分の努力やなにかで助けられたかもしれない。後悔の念が胸を締め付ける。


「切り替えろ、死人のことなんて考えるな」

「そんな言い方」


 それを静かに叱咤したのは花山だった。堀口と一番親しかった彼がすでに気持ちを切り替えている。その目は真っすぐと前を向いていた。


「任務に集中しろ、それがなによりの弔いだろうが」

「……はい」


 一番親しかった彼だからこそ彼の思いを一番深く受け止めている。本当はショックなはず、それでも気丈にしている以上他の隊員が落ち込んではいられない。

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