第24話 汚染拡大

 その光景、理解がまったく出来なかった。


 今までのこと、愛羽のことや銃器を持っている人々に囲まれていること、これだって相当異常だがこの光景はそれらをすべて吹き飛ばした。


 声が出ない。理解も出来ない。ただ全身をとてつもない嫌悪感が蝕んでくる。


 なんだ、あれは?


 まるで吐き気を覚える。


 人の口から虫が生まれてきた、その気持ち悪さに本当に吐きそうだ。


「う」


 慌てて口に手を当てる。


「なんだよこれ、異常現象だろ。汚染病院にはまだ距離があるだろ!?」

「汚染領域がここまで広がっている」

「そんなことより沓名君が出現してまだ十数分だろ、どうして妊娠症を発症している?」


 隣に座る花山と運転手の福田が話している。


 想定外の出来事に彼らも困惑しているようでそれは宮坂も同様だ。


 異常事態のさらなる異常。それが今目の前で起きているのだ。


「宮坂さん、当初の想定していた事態と違います。引き返しますか?」

「するわけないだろ、進め!」

「了解ッ」


 福田はアクセルを踏み前進する。生まれた赤ん坊は母体である男性の遺体に針を突き刺し吸血していた。


「ここら一帯はすでに汚染病院領域内だ、戦闘態勢! 警戒を厳としろ!」


 宮坂の指示に花山や後部座席の二人も銃を構え窓を見る。


 いつ得体の知れないものに襲われるか分からない。


「なにが起きてるんですか? 説明してください、宮坂さん!」


 だが一番分からないのは沓名の方だ。いきなりこんなことになって本当に混乱してしまう。


 それでも彼は冷静だ、普通ならもっと取り乱している場面だ。


 その質問に宮坂は拳銃を抜き周囲を警戒している。


「見ての通り異常現象よ。いきなりのことで理解出来ないでしょうけど君は巻き込まれたの。汚染病院と呼ばれる悪夢にね」


 彼女の簡潔な答えに唖然となる。それは常識を逸脱したものだが真実だ。


 ここはすでに汚染病院。汚染された現実だ。車の速度は法定速度を超えこの中心地へと向かっていく。


「四時の方向! 異常存在!」

「なに?」

「なんだあれ」


 後部座席右側にいる男性兵士の堀口が報告する。


 振り向いてみるとそこには三十代ほどのサラリーマンの男性、二十代ほどのОLが町を徘徊している。


 その全身には巨大な注射針がいくつも突き刺さっていた。


 体を貫通したそれは道路に達し引っ掻くように歩いている。生きているはずがない。


 あの大怪我で無事なはずがなくそれでも彼らはゆっくりと歩いていた。


 それが宮坂たちの車を見つけると一様に追いかけてきた!


「こちらに向かってきます!」

「こいつら今までどこに」

「応戦しろ」

「いいんですね?」


 宮坂の決定に運転手の福田が確認を取る。彼らは異常存在だが元は民間人だ。それを撃つことの意味は決して軽くない。


 けれど自分たちには目的がある。そのために宮坂は決断した。


「構わん。もう……彼らは人じゃない」


 軽視しているわけではない。ただ目的達成のために。そのために突き進む決意を通すだけだ。 


 ここで引き返すこともしない、迷うこともしない!


「福田、速度を上げろ。前森、お前は特戦の傍受!」

「やってます!」

「坊主、場所変わってくれ」

「は、はい!」


 後部座席の堀口が右側なので花山が左に移る。


 窓を開け銃身を外に出す。見れば車を追いかけ四方から針が突き刺さった人々が襲いかかっていた。


 背後だけでなく歩道からも現れ正面にも道路を走って何体もの異常存在がやってくる。


「どうだ堀口、競うか?」

「不謹慎なこと言うな! 元民間人だぞ」

「ゾンビとなにが違うんだよ」


 迫りくる異常存在たちを返り討ちにしていく。道路や歩道に人が倒れていく中車は進んでいき宮坂も窓から身を乗り出し前方の敵を拳銃で倒していく。


「汚染病院、回数を増すごとに汚染領域が広がっていくとのことですが、まさか病院の外にまで出るとは正直驚きです」

「ああ。いつになく広い。もしかしたら指数関数的に増えるのかもしれない」

「だとしたらまずいな。次は町を飲み込むかもしれないぞ」

「汚染病院は今回でケリを付ける!」


 そうして車は犬會病院に到着した。敷地内に入り車を止める。


 時刻はもう夜であり夕日がほとんど地平線の向こうへ沈んでいく。


「なんとか乗り切れたな」

「報告書じゃ奴らはまた起き上がってくる。油断するなよ」

「下りろ、汚染病院に突入するぞ。それとすぐにげんこつ(現実性固定装置の愛称)を付けろ、ここはもう高現実下だ」

「着替えます」


 みな車を下りていく。それで各々準備に取り掛かる。


「花山。……ちなみに八人だ」

「ハッ。俺は十三人だぜ?」


 運転手の福田はシャツなどを抜いていきトランクにある戦闘服に着替え装備を整えていく。


 宮坂も同じでスーツを脱ぐ。


 白いシャツの上から弾倉やナイフが装備されているチョッキを羽織っていった。


 着替えていく宮坂に女性兵士でボブの髪型をした前森が近づいていく。


「宮坂先輩、特戦の動きですがまずは汚染病院の領域に封鎖線を敷くそうです。これほどの規模ですので遅れています」

「分かった。こちらとしては好都合だな、特戦よりも早くに到達するぞ」


 その間他の隊員は周囲の警戒をし沓名も大人しく待っている。


 全員アサルトライフルなどを肩に回しチョッキを着込んでいる。


 さらに腰には黒くて長方形の装置を付けていた。


 メーターのついたトランスシーバーほどの大きさだ。


 これがげんこつであり現実改変による汚染から守ってくれる。


 これを付けていれば急性妊娠口腔症や精神汚染になることはない。


「携帯式のげんこつ、間に合ってよかったですね」

「ああ、完成したのは最近だからな。とはいえ固定式よりも出力は落ちている、過信するなよ」

「はい」

 

 それで各々の準備が整った。


「各員準備できたな」


 一か所に皆集まる。沓名を除いた全員が武装しており宮坂だけシャツやパンツの上からの装備だがとても様になっている。


 長い髪を垂らし銃を持つ姿はかっこよく見えた。


「あの」


 様子を伺っていた沓名は思い切って聞いてみる。聞くタイミングがなかなかないが聞くなら今しかない。


「うん。沓名君、君は今から私たちと一緒にこの病院に入ってもらう。愛羽さんを救うためにね」


 宮坂も説明を省こうとは思わない。突入前にすべきことだ。


「ここは汚染病院、君の知ってる現実とは違う。まるで他人が見ている夢に迷い込んだような状態なの」

「違う現実?」

「理解出来なくてもいいわ。ただ知って欲しいのはその夢を見ているのは君の妹。君は愛羽さんが見ている悪夢の中にいる。この悪夢を終わらせるためには愛羽さんを助けないといけない。彼女が助けを求めた君じゃなければならないの。そのために私たちは来た。この悪夢はいずれこの町を、もしかしたら国まで覆うかもしれない。そうなれば基準現実は崩壊する。悪夢が本当の現実になってしまう。沓名君。この先にはさっきみたいな化け物みたいなのが出てくる。私たちの中でも誰かは命を落とすかもしれない。それくらい危険な場所。でも君が必要なの。お願い、一緒に来てくれる?」


 正面に立つ赤髪の女性。彼女からの真剣な願い。その内容はおとぎ話のように突拍子のないもので普通なら理解や納得なんて望めない。


 けれど沓名は違った。


「大丈夫です、行きます」


 その瞳は怯えや恐怖に折れることなく真っすぐと彼女を見つめ返していた。


「宮坂さんの言っていること、たぶん分かります。愛羽には昔から不思議な力があった。これが愛羽の見ている悪夢ならそのせいだ。それをなんとかするのは俺の役目だ。俺がした約束だ。なんの力もありませんけどね」


 苦笑しながら肩を持ち上げ昔の苦労を思い出す。


「あいつの能力には以前から手を焼いてきた。それで喧嘩もしたし。だけどそれでもあいつは俺の妹だ。俺は愛羽を救ってみせる。そのためならどんなに危険な場所だって行く」


 昔交わした母との約束を守るため。大切な妹を救うため。優輝は変わらずにその意思を押し通す。


「さすがね」


 それは知っている情報通りだ。報告書にあった通り。なにより宮坂の記憶にある彼と変わらない。


(やっぱり、君だね)


 思い出と変わらない彼に喜びを覚えて、湧き上がる思いを胸にしまい戦意の仮面を被る。


「聞いたなお前ら。作戦は分かっているだろうが我々の目的は彼を無事に連れて愛羽氏と再会させること、彼女の救出となる。彼女は現在地下にいることが分かっている。そこを目指し進んでいく。異常存在に気を付けろ。また異常現象はげんこつで防げるはずだが過信はするな、携帯式は出力が低い。地下に近づくにつれ高現実になっていくことが予想される、その時どこまで防げるかは未知数だ。油断せず、過信せず、世界を救うぞ」

「「「「了解!」」」」


 部下四名の声が重なる。彼らもこうした現場は初めてではない。精鋭としての覚悟と矜持でこの高難易度異常事象に挑んでいく。


(待ってろよ、愛羽!)


 それは優輝も同じ。彼女を救うために作られた救世主。この世界に生まれ出てするのは一つだけ。


 汚染病院、第四回攻略戦、開始――

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