第20話 異常事象報告書番号089『汚染病院』

 自身にとって最も因縁深い異常事象ではあるが宮坂は今の今までこの記事にアクセスすることはしなかった。


 思い出すのも嫌なほどこれにはトラウマがあるからだ。好んで触れようなんて思わない。


 忌避すべきもので封印したいくらいだ。


 それでも今回覚悟を決めた。


 きっかけは低現実帯からの未判明音声だ。だがあくまでそれはきっかけで本心ではずっと思っていた。


 逃げているだけでは駄目だと。


 中水にも指摘された、まるで死に急いでいるようだと。それに対して言い返せなかった、事実だからだ。


 自分は汚染病院の恐怖から逃げるために危険な任務に挑んでいる。


 恐怖を恐怖で上書きするように。どう考えても健全じゃない。


 一番の方法は、乗り越えることだ。かつてのトラウマを直視してそれを受け入れる。


 それが出来ればあれはただの過去になる。そのために。


(いくのよ、私)


 異常事象一覧から汚染病院をクリックし、そのページを開く。


 悪夢の扉を開いた瞬間だった。


 報告書なので本来なら厳格な形式で書かれているが簡略化すれば次の通りだ。


『概要。20××年×月×日未明。犬會市犬會大学医学部付属病院で起きた異常事象です。病院関係者と連絡が取れないと複数の通報が市内警察署に寄せられたことにより異常性が発覚し、異常発覚後は病院を封鎖、その後実働部隊により探索しましたが五人中四人が殉職、一人のみが生還しました』


 記事を読み進めていき思い当たる。これは中水さんのことだ。この時のことはよく覚えている。


 自分たちを保護してくれて二回目の探索で中水さんの部下は命を落としてしまった。


 自分の足の手当をしてくれた岩賀隊員、同じ女性ということで親近感を覚えていたが彼女もその時亡くなっている。


 知った時はショックだった。


 出来れば今も一緒に仕事をしたいが叶わぬ夢になってしまった。


 彼女のためにもこの仕事は自分がやらなければならない。


『内容。汚染病院内は通常時と異なり様々な異常存在、異常現象が確認されています。汚染病院発現中は通常時の病院関係者や患者は消失しています。以下確認されている異常存在と異常現象です』


 マウスを操作して記事をスクロールしていく。そこに載っている存在や現象を確認していく。


『異常存在1。全身に巨大な針が突き刺さった看護婦の姿をした人型実体。普段は廊下を徘徊しており顔はなく音に反応して攻撃をしかけてくる。不死性が指摘されているが銃撃によって一時的に無力化可能』


『異常存在2。廊下天井を歩行する顔のない実体患者群。天井を移動しており突発的に出現するため常に警戒が必要。人体をちぎるほどの腕力があり捕まると脱出が困難』


『異常存在3。二メートル以上の巨体に首から上のない人型実体。一メートル近い頭部から生える長髪を掴み頭部を引きずるように移動している。攻撃時は頭部を振り回したり投げつける。その際噛みついてくる』


 そこに記載されている異常存在。それらは一部知っている。その時の光景がフラッシュバックする。


「く」


 自分を天井に連れ去ろうとする患者群、自分の足を突き刺した串刺しの看護婦。


 思い出す記憶に表情が歪む。


 どれも怖かった。まだ子供だったとはいえその恐怖は体を竦ませる。本当に死ぬかと思った。


 思い出す恐怖の記憶に耐えながら次に異常現象を確認していく。


『異常現象1。空間異常。一階廊下を歩いていると床を透過して三階や四階へランダムに着地する。院内の構造や広さも通常時と異なっており広大かつ複雑化している。また階段は上下移動できる範囲が決まっておりそれ以上の上昇や下降はループにより不可能となる』


『異常現象2。精神汚染。院内にいることで発現する。特に廊下内に貼られているポスターは内容が変化しておりそれを知覚することで早期に影響を受ける。精神汚染により自害が確認されている』


『異常現象3。急性妊娠口腔(こうこう)出産症。院内にいると発症する。主に女性が発症するが稀に男性の症例も確認されている。発症した者は一時間から二時間以内に妊娠状態となり臨月に似た腹部の膨張が起きる。その後原理不明ながら胎児は食道を通って口腔から出産する。この時胎児による喉の圧迫、それによる呼吸困難によって発症者の多くが窒息死してしまう。生まれる胎児は人型の場合もあるが非人型も確認されている。生まれた胎児は母体である発症者に近づき捕食活動を行う。しかし肉体の構造上生存に適していないため(必要な臓器がないなど)生後数日で死亡する』


(なに、これ)


 そこには宮坂も知らない情報が載っていた。


 異常現象の空間異常は知っている。


 だが2や3はなんだ、酷いなんてものじゃない。読んでいて血の気が引いていくのが分かる。


 こんなものをいるだけで発現するなんて恐ろしいなんてものじゃない。


 本当に悪夢だ。様々な異常存在、さらに異常現象。


 足を踏み入れた者を惨たらしく殺し死に至らしめようという意思すら感じる。


 汚染病院という絶対殺戮領域だ。


 そこから曲がりなりにも生還した、自分は本当に運がいい方だ。


『汚染病院はその後解消され病院関係者、患者含めて全員無事が確認されました。汚染病院発現中に関しては記憶がなく外傷や異変もありませんでした』


 これが汚染病院の全容だ。突如現れ恐怖と死を振り撒き夢のように消えていく。悪夢の現実化、まさにそんな印象だ。


 汚染病院の記事を読み終わり過去の思いが沸いてくる。感慨深いとはまた違う、複雑な心境。


 懐かしいなんて思わない、けれどそれは自分にあった過去であり事実なのだ。そこに思いがないわけではない。


 それをゆっくりと消化していく。その時スクロールする指が止まった。


「え」


 さらには声まで出た。目に入った文字に過去を振り返る心なんて吹き飛んだ。


『閲覧制限。以降の記事を閲覧するためには第二職員以上のライセンスが必要です。ライセンス番号とパスワードを入力してください』

(閲覧制限?)


 そこには閲覧制限の文字。資格のある者しか見れないようになっていた。


 これがあるということは今まで読んできた報告書には記載されていない情報がある、もしくはこの報告書そのものが偽りであるということだ。


 汚染病院。これにはまだ続きがある。自分の知らないものが。


 閲覧するには第二職員以上のライセンスが必要になる。


 多くの職員が第一職員という役職についており第二職員はその経験や能力から判断され昇格する。


 まさにエリートだ。本部職員でも第二職員は少ない。


 宮坂はというと、その第二職員だった。というか最近なった。


 彼女ほどの若さで第二職員に就任するのは異例のことで早い段階から特戦に所属しそれから休むことなく危険な任務を解決してきた功績が買われての抜擢だった。


 今まで逃避行動として死に物狂いで働いてきただけで出世欲なんてなかった。


 第二職員になれた時もふーんと特に意識もしてこなかったが今回まさかこんな形で今までの頑張りが役に立つとは。


 今だけは自分を褒めてあげたい。


 それで気を切り替え宮坂は閲覧制限の記事にアクセスしていく。


 再度求められる自分のライセンス番号とパスワードを入力していく。


 特戦職員にすら隠す情報とはいったいなんなのか? 汚染病院の続きとはなにがあるのか?


 宮坂ですら知らない悪夢の裏側がここにある。


 彼女はクリックし、真実の扉を開けた。


 異常事象報告書番号089『汚染病院』。


『概要。20××年×月×日未明。犬會市犬會大学医学部付属病院で起きた異常事象です。病院関係者と連絡が取れないと~~』


 最初は前と同じ内容だ。宮坂はスクロールを急ぎ目新しい情報を探していく。すると下に見えてきた。


『追記事項』


(これだ)


 第二職員以上の者でしか見ることが出来ない汚染病院の情報、それを読み進めていく。


(え)


 その情報に驚いた。


「そんな!」


 次に声が出た。目が大きく見開かれ体全体がパソコンに近づく。その衝撃でコーヒー缶が倒れ床にこぼれていく。


「嘘」


 それほどまでに、そこに載っている情報は衝撃的だったのだ。

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