第16話 調査
「発生源の早期発見、これを最優先とします。まずは被害者から罹患場所を特定していきます。資料を見せてください。また安全脅迫症への理解も深めておかないと」
「現場はもういいですか?」
「はい、あらかた見させてもらったので」
「分かりました。では支部へ」
二人は現場を後にして車に乗り込む。橋本が運転席で宮坂は助手席だ。橋本は福岡支部へと車を走らせる。
閑静な住宅街を出て大通りを走っていく。
同じ特戦の職員同士、しかしそこには本部職員と支部職員の壁がある。
本部職員はありたいていに言えばエリートだ。
特戦に所属している人はその性質上みな優秀ではあるが本部に配属されているのはとりわけ優れている。
そのため本部と支部では溝が生まれやすい。
「私どもが及ばないばかりに遠路はるばる、申し訳ないです」
「これも私の仕事です。気にしないでください」
そのためか宮坂に対する橋本の接し方はかなり丁寧だ。
けれど宮坂はそうしたことにこだわるタイプではない。
それは橋本にも伝わりくだけた態度へと変えていった。
「ははは。ありがとうございます。正直に言うと意外だったんです。本部から職員が派遣されると聞いてどんな大男が来るかと身構えていたものですから」
「そういう人も中にはいますけどね」
思い当たる人物に宮坂は若干苦笑を浮かべる。
「失礼ですが宮坂さんお若いですよね? それで本部勤めとは、素直に感心しますよ。この手の事件はもう何度も?」
「まあ」
「はあー」
感嘆する。隣にいるのは自分よりもはるかに年下の女性だというのにその経験は自分以上なのだ。
本部職員ということを差し引いてもすごいと思わずにはいられない。
「私はずっとここ(福岡支部)なんで分からないんですが、こうしたことって多いんですか?」
「そうですね、派遣は結構ありますよ。九州は初めてですが東北や中部は何度か。元々人手不足の業界ですし事件も関東ばかりとはいきませんからね」
「そのお年でそれだけ活躍されているとは、とても優秀なんですね。心強いですよ」
「いえ、そんな」
「つかぬ事をお尋ねしますが、宮坂さんはどうしてこの仕事を選んだんですか?」
彼女が優秀なのは疑いの余地がない。仕事はいくらでも選べたはずだ、わざわざ危険を犯すことはない。
橋本からの質問に宮坂は小さく笑った後窓へと顔を向けた。走り去っていく町の風景をぼんやり眺めながら過去を少しだけ振り返る。
なぜ自分がここにいるのか。その理由を確認するために。
「私は、ある異常事件の被害者だったんです」
「へえ!」
「そこで私は命を救われ、同時にこの世界には異常な存在や現象があり、人々を脅かしているのを知りました。だから思ったんです。今度は私が救う番になろうと」
なぜ私が生きているのか、それは助けられたからだ。もう何年も会っていない、記憶だけになってしまった人に。
そのことを思い窓の外を眺める目が少しだけ寂しそうに細まった。
「なるほど。立派だ。特戦職員の鏡じゃないですか」
「止めてください、そんなんじゃないですよ」
愛想笑いを浮かべるが実際そんなものではない。確かに助ける番になりたいという気持ちはある。でもそれは一番の理由じゃない。
「私はただ」
(もがいているだけ)
本心は口にしない。これは自分の問題だから。人にひらかすようなものではない自分だけのもの。
「ん?」
「自分にやれることをやっているだけです。せめてそれくらいはしたいので、助けてくれた人たちのためにも」
だからいつもこう答えるようにしている。嘘ではないので詰まることはないし悪い印象ももたれない。体面的には一番だ。分りやす過ぎるきらいもあるが。
「そうですか、分かりました。それでは今はしっかり休んでもらわないと。長旅でお疲れでしょう。そうだ、少し遠回りになりますが沿岸部を通っていきますか? 福岡の海もいいですよ。今ならちょうど夕日も見える」
「いえ、ですが」
「なに、二十分ほどしか変わりませんよ」
正直に言うと多忙な日々に疲労や眠気はある。それを使命感と気合で誤魔化してはいたが彼にはお見通しのようだ。
「ゆっくりしててください、着きましたら起こしますから。なに、安全運転でお運びしますよ。安全第一ですから」
「そうですか、では」
その気遣いに感謝して宮坂は瞳を閉じた。思っていたよりも自身の疲労は溜まっていたようだ。
水を足したように意識が薄くなっていく。暗い水底で横になる。
それからしばらくして支部の建物に着き橋本に声を掛けられた。完全に眠っていたわけではなく半睡眠といった感じだったが意識はだいぶすっきりしている。こ
れで気力もばっちりだ。
「休めましたか?」
「ありがとうございます。おかげで整いました」
「それはよかった」
橋本は笑い宮坂も頷く。よし、やるか。気合十分で支部であるビルへとへ入っていく。
それから橋本の案内で自分の作業部屋へと通される。小さな個室で机とパソコンだけの質素な部屋だ。机には資料がすでに置かれている。
本部職員には役職が高い者もいる。
そうした者のみしか閲覧できない資料などもあるため本部職員は基本個室で作業をする。
機密情報をのぞき見でもされたらたまらない。そのための配慮だ。
「では私はこれで。なにかあればいつでも連絡ください」
「ありがとうございます」
橋本は会釈して扉を閉める。真面目な人だ。助かる。
宮坂は椅子を引きそこに座る。まずは被害者の素性を調べるため資料に目を通していく。
いったいどこで罹患した? 他の被害者との共通点は? 発生要因は一つなのか複数なのか。
安全脅迫症と思われる患者たちの資料。最近増えている事件だけあって数が多い。
視線を横にずらせば資料の束がそこにはある。
時刻は夜になっているが残業なんて言葉は学校に置いてきた、今日も徹夜コースで臨むつもりだ。
なに、味方ならいる。湯気を上げるブラックコーヒーがなによりの応援だ。
そうして宮坂は資料を読みふけりパソコンを起動させる。
コーヒーの入ったマグカップに口をつけつつ特異戦力対策室が持つデータベースにアクセスする。
そこにはこれまであった異常事件が載っておりそこには安全脅迫症もある。宮坂は自分のアクセス権で安全脅迫症の記事を閲覧する。
異常事象報告書番号1136『安全脅迫症』
背景が白のページにタイトル、その以下には内容が書かれている。
『安全脅迫症は認識障害を起こす病です。症状の進行には個人差がありますが二週間から三週間の潜伏期間を経てから発症します。初期症状は安全であることに強い関心を示します。例として夜道を歩いていると強い不安を覚える、刃物を以前よりも強く忌避するようになるなどが挙げられます』
こうした作業はいつものことだ。慣れた手つきで記事をスクロールさせ読み進めていく。
『中期になると被害妄想が加わり、自身の安全が脅かされていると感じるようになります。ここまでくると社会生活に支障が出るようになります。例として空気が汚染されているのではないか、他者の多くが宇宙人などの偽物でありすでに侵略されているのではないか、物に付着している菌によって死亡してしまうのではないか、などが挙げられます。こうしたことから多くの症例で罹患者は家に引き籠るようになります』
安全に強い執着を持つことが飛躍して根拠のない不安に襲われる。それが安全脅迫症の危険なところだ。
社会生活にまで支障が出てしまえば人生そのものが壊れる危険性があり中期まで症状が進行するだけでもかなり危ない異常現象だと分かる。
しかしこの病はこれだけに留まらない。
『後期において、罹患者は自身の安全確保のため破滅的な行動を取るようになります。例として空気が汚染されていると認識した罹患者は呼吸することを止めたため窒息死しました。他の症例においても放火により焼死したりなど自身の死亡に繋がる行為に及んでおり死に対する恐怖よりも安全であることを優先するようになります』
これが安全脅迫症の最も恐ろしい点だ。死ですら後回しにされる。
健康のためなら死ねるというスラングがあるがこれは本当に安全のためなら死ねるのだ。
こんなものが広まれば社会に多大な損害が出るし安全のために他者を害するようになれば紛争だ。
改めてこの異常に対する危機感と解決のため意気込む。
『結果的にこの病の罹患者の多くが絶対に安全です』
(ん?)
その時マグカップに伸ばした手が止まった。
『この病の発生原因は現在調査中となっています。また感染事例は確認されていません。ですので絶対安全です』
「え」
疑問はついに声に出た。
おかしい。明らかにおかしい。現在調査中なのに安全なんて言えるわけがない。
そもそも絶対に安全とはなんだ、ここだけ小学生が書いたみたいだ。報告書の体を成していない。
というよりも、これは――
『この病は安全であることを促すため罹患者によりよい影響を与えるため絶対に安全です』
明らかに、『異常』だ。
『この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です。この病は絶対に安全です』
血の気が一気に引いていく。背筋がゾクりと震えた。
この報告書を書いている人物は間違いなく安全脅迫症にかかっている。
おそらく書いている途中で発症したのだろう。ということは特戦に罹患者がいるということだ。
そしてなぜ特戦の職員が罹患したのか。
これも間違いない。
『安心してください。あなたも絶対に安全です』
この病は、感染する!
(まずい!)
慌てて席を立ち部屋を出る。廊下に出て顔を左右に振る。
「橋本さん!」
ちょうど廊下を歩いていた橋本を見つけ駆けつける。
「大変です! 安全脅迫症ですが特戦職員も罹患しています!」
「はい? どうしたんですか宮坂さんいきなり」
「ですから!」
突然のことに理解が追いついていない。必死な宮坂とは対照的に彼は平然としている。その態度が今は疎ましい。
「この記事を書いたのは福岡支部の職員ですよね? その人が罹患しているんです!」
というよりも、なぜあの記事を誰も不思議に思わない?
この事件は福岡支部の担当でそれなりの人数が目を通しているはずだ。それなのに誰一人として指摘しないなんて。
(!?)
そこまで考えて自身の軽率さを悔いた。上がっていた熱がまたも引いていく。
橋本の顔が別人に見えた。
「大丈夫ですよ宮坂さん、安全脅迫症にかかったなら絶対に安全じゃないですか」
「そんな……」
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