第15話 敗走、決着
宮坂は喜び笑顔になる。零れる涙は嬉し泣きになり指で掬っていた。
「沓名さん、隣来てください」
言われ隣に座る。すると彼女は腕を組んできた。
「約束ですからね。ずっと一緒だって。放しちゃ駄目ですよ?」
「分かったよ」
病院から逃げる時に繋いだ手とは違う、もっと深い繋がり。そこには恐怖からではない温かな絆がある。
初めて彼女が出来た。こんな形とはいえ宮坂葵という可愛らしい女の子が彼女というのは嬉しい。
ただ、愛羽を心配する気持ちはずっと燻り続けていた。こうしている今だって考えているのは腕を組む彼女のことよりも妹の方。
「怖かったんです」
「ん?」
ぽつりとつぶやく彼女に振り返る。
「あんな場所にいて、怪物がいて、死にそうになって。正直、今でも怖くて、体が震えてくるんです」
見れば彼女の手は小さく震えていた。ギュッと腕を組む力が強くなる。
「だから、沓名さんにはずっといて欲しいんです。沓名さんがいると安心できるから」
表面上は気丈に振舞っている彼女だがその内面ではまだ汚染病院の恐怖が消えていない。それは呪いのように残り彼女を苛むだろう。あれを忘れるなんてことは不可能だ。
「大丈夫、俺が守ってやるから」
震える手、そこに自分の手を重ねた。
「宮坂ちゃんがもう汚染病院に入ることはないし、怪物に追われることはない。もう終わったんだ。でも、もしまたそういうことになったら、また俺が助けてやるよ」
「ほんとですか?」
「ああ」
見上げる彼女の顔、そこに小さく笑って見せた。
「だから大丈夫だよ」
「はい」
優輝からの励ましに嬉しさを返すように宮坂は体を近づける。顔を肩に当ててきた。
「そうだ、写真。二人の写真取らなくちゃ!」
宮坂は沓名から離れスマホを取り出す。カメラを起動して自分たちに向けた。
「珍しい形だね」
「そうですか? 新しいの買ってもらったからかな」
手を少しだけ強く握る。画面に収まるように体を寄せ合っていく。
「沓名さんもっと近づいて」
「こうか」
顔を互いに近づけた。沓名の方が背が高いので宮坂の顔は肩付近にある。
「それじゃあ撮りますね」
「ああ」
そうしてシャッター音が小さく鳴る。宮坂はすぐに画面を見つめ映り具合に満足していた。
隣で今しがた撮った写真を嬉しそうに見つめる彼女を見て沓名も頬を少しだけ緩ませる。
そうして二人はしばらくの間腕を組みながら会話をしていった。宮坂の学校では吹奏楽部が強いらしくそこから入部しないか誘われていること。それをちょっとだけ自慢っぽく話してくれる。
恐怖から解放された安全なひと時。宮坂は楽しそうに笑い、そんな彼女に沓名は合わせていた。
そんな中外から騒々しい音が聞こえてきた。人の大声や動いている音がする、なにかあったに違いない。
「戻ってきたのか!?」
沓名は宮坂を見つめ頷くと手を放し扉に近づく。それで開こうとするのだが扉は鍵が外から掛かっているのか開かなかった。
「なんだよ、開かないぞ!」
ガタガタと力づくで開けようとしてみるがビクともしない。
「開かないんですか?」
「くそ!」
これは守られているというよりも逃がさないということなのだろう。理屈は分かるが一言くらい言って欲しかった。
「なあ、誰かいないか!? ここを開けてくれ!」
沓名の叫びはしかし外の騒音にかき消される。怒号のような大きな声で指示を出すのが扉越しにでも聞こえ非常事態のような危機感を覚える。
いったいなにがあった? 中水の部隊は成功したのか?
その中である言葉が耳に入ってきた。
「第一部隊が戻った。生き残ったのは隊長だけで後は死亡したそうだ」
「死亡?」
その言葉に体が固まった。
「そんな」
「沓名さん?」
中水の部隊でも駄目だった。彼はプロの部隊だ。装備だってちゃんとして出撃したはず。なのに部隊は壊滅し撤退してきたのだ。
それだけ汚染病院が危険な場所だということであり、妹の救出は失敗したということ。
「愛羽……!」
中水が失敗した今誰が彼女を救うのか。誰もいない。自分が行かなくては。
沓名は取っ手を掴み力を入れた。すると鍵が外れ扉が開いた。
病院の敷地が見える。夜の暗がりと電灯の光、その中を走り回る部隊の人たちが見える。誰も沓名には気づいていない。
「沓名さん!」
唯一気づいているのは背後にいる宮坂だけだ。沓名の考えを察し必死な表情で叫ぶ。
「行かないですよね?」
怯えた表情が沓名を見る。
「駄目ですよ、あそこに行くなんて。約束が」
その必死な顔と言葉に胸が切り裂かれる。自分は今最悪のことを考えている。彼女を傷つけ、無意味にも思える行動をしようとしている。
だけど。
「ごめん」
「沓名さん!」
止められなかった。危険なのは分かってる。死ぬかもしれない。でも危険でもいい。危険でもいいのだ。
愛羽を救う。それが一番大事なことだから。
(待ってろよ、愛羽! 絶対に助けるからな!)
病院から助けを求める妹を救うため沓名はトラックの病室から飛び出した。そのまま汚染病院へと向かっていく。
「沓名さあああん!」
背中に叫ばれる彼女の悲痛な声を無視して。そのことに心苦しさを覚えるがそんな思いも愛羽への救出にかける思いに塗り潰されていく。
自分はちょっとおかしい。そう言われた。そうかもしれない。でもいい。おかしくても彼女を救いたいから。
助ける、絶対に。たとえなにがあっても。立ち向かう先でどれだけの危険や恐怖が待っていたとしても。
この身はそのために存在する、彼女の兄なのだから。
それから。沓名が汚染病院に突入してから二時間後、病院の窓からいくつもの光が見て取れた。その後病院と連絡が取れたのをきっかけに特戦の職員が病院内に偵察。そこに異常性は認められず普通の病院となっていた。病院内に捕らわれていた医療関係者や患者たちも元に戻っており、一様に『気づけばこんな時間になっていた』と話す。
汚染病院は一夜の内に消えていた。まるで悪夢が本人の目覚めによって消えるように。あらゆる痕跡も残すことなく汚染病院は現実から姿を消したのだ。沓名優輝、彼と共に。
その後彼の姿を見た者はいなかった。
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