第13話 窮地

 止める時間もなかった。白井は倒れ横になる。無造作に倒れた彼の体がそこにあり岩賀と太田は唖然となって見下ろした。


「くそ」


 白井は死んだ。自ら。中水は悔しさに顔を歪める。


「白井さんは、どうして。まさか」


「違う。そんなやわなやつじゃない。精神汚染の類だな。長居は危険だ、俺たちもこうなるぞ」


 仲間から戦死者が出ればパニックを起こす兵士もいるだろうがここにいるのはみな精鋭だ。こんなことをする者は一人もいない。


 それが自ら死んだとなれば異常だ。異常現象だ。彼は無駄死にではない、その身を犠牲に重大なことを教えてくれた。


「本部、こちら中水。白井が自害した。おそらくクラス3以上の精神汚染だ。今の装備ではこれ以上の進行は不可能だ、撤退許可を」

『こちら本部了解。撤退を許可する。すぐにそこから出るんだ』


 分かるなり中水の行動は早かった。状況の見極めと即断は生存に直結する。迷えばそれだけ死に近づくのだ。


「了解。これより撤退する。聞いてたな、ここから出るぞ」

「はい」

「了解」

「俺が前を行く、遅れるなよ。精神汚染があるなら俺たちは丸裸も同然だ」


 銃を担ぎ直し中水は小走りで進んでいく。自分たちも気づいていないだけで汚染が進んでいるかもしれない。早くここから出る必要がある。


「会敵」


 廊下を走れば看護婦とも出会う。それを即座に銃撃、倒して横を通っていく。

 階段を下りて二階。あと一つ。


「う、うう!」


 そこで岩賀が再びうめいた。かなり辛そうな顔をしている。


「大丈夫か? 気張れ、もう少しだ」

「はい」


 彼女もなにか汚染されているかもしれない。早く診てもらわないと命に関わる。辛いかもしれないが足を動かしてもらうしかない。


「うわあ! 放せ!」

「太田!」


 すると最後尾を走っていた太田から声が上がる。振り返ると天井を歩く顔のない患者たちが太田を掴まえ引きずりこんでいるところだった。


「こいつら突然ッ」

「応戦しろ! 岩賀、撃て!」

「うう」

「ッ!」


 太田は掴まれた腕や体などを必死に動かし振りほどこうとしている。銃を撃とうにも両腕を掴まれてしまい撃てない。代わりに中水が銃弾を患者たちに与えていくが怯みはするがすぐに手を放そうとはしない。もっと撃たなければ駄目だ。しかし岩賀は座り込み銃を持つことすら出来ないでいた。


「この、このぉおお!」


 太田は両足まで掴まれ全身が彼らに捕らわれていく。まるで砂糖に群がるアリだ、我先にと伸ばされる手は地獄の亡者のようでそれを手に入れれば自分が生き返るかのように執着している。


「放せ! 止めろ、痛い! 痛い止めろ止めろ、引き裂かれる! うああああ!」


 それは文字通り太田を引き裂いた。腕が肩からちぎれ足は太ももからもぎ取られた。悲鳴を挙げる太田の顔を両手で掴み、それは首から引き抜いたのだ。それからも太田の体を奪い合いながらばらばらに解体されていく。血が廊下にドバドバと流れ落ちていく。


「ごめんなさい、私、私」

 岩賀はなにも出来なかった。中水も救えなかった仲間から生きている方へ視線を移す。

「すみません、私のせいで」

「そんなの後だ! 装備を脱げ、今はここから出るぞ!」


 立てない岩賀の腕を自分の首に回し無理矢理立たせる。装備は外させ少しでも軽くさせた。

 泣き言も後悔もそんなの全部後回しだ。今は前に進め。しなければそれすら出来なくなる。


「こちら中水! 本部! 救援部隊を送ってくれ、太田がやられた! 岩賀もなにかしらの影響を受け自力での歩行が困難だ」

『こちら本部。位置を送れ』

「B棟二階から一階エントランスに向かっているところだ」

『本部了解。救援部隊を送る。ただし一階までだ。それ以上の進行は空間異常によって分断される可能性が高い。一階まで下りてきてくれ、そこで合流する』

「くそ! 了解ッ」


 悠長だ、死んでしまう。すぐにでも来て欲しいがしかし本部の言っていることも正しい。馬鹿正直にあとをついて来てもらっても三階か四階に飛ばされるのがオチだ。二重遭難になりかねない。


「一階まで行くぞ。そこまで行けば救援部隊と合流できる」

「うう、ぐう!」

「頑張れ! 今なら生き残れる、生きることだけ考えろ!」


 今の岩賀は戦える状態じゃない。こうして歩くのだけで精一杯だ。


 彼女の体を支え中水は出来るだけ早く歩いていく。いつ異常存在に襲われるか。天井にいるやつらはまだ太田の遺体に夢中だが二体目の巨体に出会えば逃げきれない。


 時間との勝負だった。中水は一生懸命動く。ただでさえ重装備の中彼女の体を支えて行くのは大変だ。だが億劫だなんて思わない。この重みを一階に届けるのだ。この重みはまだ彼女が生きている証なのだから。


「はあ、はあ、ぐう!」


 そこで彼女の足がもつれ膝をついてしまう。中水もそうだが彼女の額には玉のような汗が浮かび大きな息を吐き、その顔は見るからに苦しそうだった。

 その彼女が自身の腹に手を当てている。


「岩賀、お前それは」


 それを見て中水はようやく彼女に起きている異常を理解できた。


 彼女のお腹は、膨れていた。それも妊婦のようにだ。入るときはなんでもなかった彼女の体型が臨月を迎えたかのように大きく膨れているのだ。


「隊長、すみません、私は無理です」


 動けない。今の彼女はもう普通じゃない。汚染病院にとらわれ異常になってしまった。


「アア! 駄目、動いてる!」


 彼女の顔が一段と苦痛に歪む。


「う、ウウ! ウオエ! ごほ。はあ、はあ、駄目、産まれる!」


 そう言うとお腹の膨らみが上へと登ってきた。

 それは喉を圧迫し、


「おえ! お、オオオエ!」


 激しい吐き気と共に、口から手を伸ばしてきたのだ。


 幼児の手が口から生えている。その苦しみに岩賀は目と鼻から水分を流し、けれど喉が圧迫されているので悲鳴を出すことすら出来ない。それどころか呼吸すらできずこのままでは窒息死してしまう。


「待ってろ岩賀!」


 中水は口から伸びる手を掴んだ。それを腕が千切れないようにゆっくりと引っ張っていく。どう考えても喉や口を通れるような大きさじゃない。けれどそれは生まれようとしていた。母の顎を外し世界に出たがっている。


 中水はその手を掴み上げ、最後にはずるりと引き抜いた。

 赤ん坊の産声は母の嗚咽と同時だった。


「オギャー! オギャー!」

「おうえ! ごっほ、ごほ! はあ、はあ」


 ようやく肺に通る息に岩賀は激しくせき込む。中水は廊下に投げ捨てた胎児を見た。


 赤ん坊だった。しかし全身にはイボがあり下半身には足がなくイソギンチャクのような無数の触手がうごめいていた。そのあまりの異形に中水も顔を顰める。


 なんだこれは? こんな化け物を身ごもるのか?

 生理的な嫌悪感が全身を這う。けれどすぐに意識を切り替えた。


「岩賀、行けるか?」


 異物は吐き終えた。無理はさせたくないが休んでいる暇はない。無理してでも行かなくてはならないのだ。

 しかし岩賀はその質問に対し顔を横に振った。


「おうえ! う、おおおえ!」


 彼女のえづきがさらに強くなっていく。吐き気を堪えきれないように声を出し、それはまたしても喉を圧迫してきた。


 口から手が伸びる。それは人ですらなかった。おぞましい。それが口から生えるのを見て岩賀は叫びにならない声を上げていた。


 この異変は終わらない。母体が死ぬまで人ではない子は生まれてくる。

 中水は岩賀を見た。彼女も分かっているようでその目は訴えている。

 中水は頷き拳銃を取り出した。


「すまない」


 それを聞いて彼女は目を瞑った。


 引き金を引く。それが正しいことだと思う。中水は立ち上がり一人駆け出した。

 暗い廊下を一人走る。仲間はみんな死んだ。体に圧しかかる疲労を無理やり動かし先へと走る。


 一階へと続く階段を下り出口へ。この悪夢から覚めるにはそれしかない。

 中水は廊下を曲がるがその先には看護婦が立っていた。


(くそ!)


 中水と八合わせた看護婦もこちらに気づき甲高い声をむき出しにし襲いかかってくる。咄嗟に銃口を構えそれを返り討ちにする。ほとんど反射でやってのけ体力は限界、気力をふり絞る。


 ここで自分が死んでしまえば仲間たちの犠牲が無駄になってしまう。彼らの奮闘を自分の死で無意味なものにしてしまう。そんなこと絶対にあってはならない。

 死ぬのが怖いんじゃない、死ねないのだ。


 鉛のように重い体を動かし魂を燃やして走る。一歩前に出るたびに体にひびが入るようだ。それでも走る。


 その先に光が見えてきた。エントランスの電灯だ。そこへ向かって最後の気力をふり絞る。走って走って走って、中水は光に照らされた。


「大丈夫ですか?」


 そこには救援部隊がいた。銃を構え展開しており一人が中水に駆け寄ってくる。怪我はないか目視で確認している。


「他の隊員は?」


 その質問は胸を刺すようだった。生還した安堵もすぐに沈んでいく。


「……死んだ」


 その一言がすべてだった。否定できない事実に沈痛としていく。


「分かりました。対象を確保、撤退するぞ!」


 中水を囲うように部隊の人が集まり汚染病院から出ていく。出口をくぐり中水は生還を果たした。けれどそこに喜びはない。


 疲労で前かがみになる体を動かし振り返る。そこに聳える病院を見た。

 栗本。白井。太田。岩賀。亡くなった仲間たちがそこにいる。誰一人救うことも共に抜け出すこともなく自分だけが助かった。


(くそ!)


 後悔が心を握り潰す。何度経験しても慣れない痛みが胸を突き刺した。

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