第9話 中水寛美

 優輝は一旦自分を落ち着かせる。情報を頭の中で整理した。ここで馬鹿正直に言うわけにはいかない。なるべく自然な形に調整する。


「俺には妹がいて、その妹から電話がかかってきたんです。この病院にいるから助けてって」

「…………」

「でも、俺が着た時にはすでにここは無人でした。院内は非常灯とかはありますけど基本明かりはなくて、廊下には――」


 それから出会ってきた異常存在について優輝は話した。全身に針が刺さった看護婦、病室の様子、天井を歩く患者たち。そこで体験した恐怖の数々を。それに空間が普通じゃないこともだ。愛羽に関わらない範囲で知っていることのすべてを包み隠さず伝え、その中で宮坂との出会いも話していく。


 そのあいだ中水は真剣な表情で聞き入っていた。一言も聞き逃さない。その真剣な眼差しに彼の任務への真面目さを感じ入る。


 優輝の話を全部聞き終えどう思ったか。中水はつぶやいた。


「なるほど」


 楽観も悲観もなく、ただ事実を受け入れる。その上で厳しい状況に顔は険しい。


「複数の異常存在は確認してたがそこまでか」

「あの!」


 彼ほどの男がそう思っているのだ。汚染病院、ここはとても危険だ。


「妹は、無事でしょうか? 俺は妹を、愛羽を助けないといけないんです!」


 そんな場所に愛羽はいる。たった一人で闇の中捕らわれている。一刻も早く助け出さないと。胸の底から気持ちが湧き上がる。


「分かった。だが落ち着いて、熱くなっても事態は好転しない、だろ?」


 彼の言う通りここで焦っても仕方がない。ただやり場のない焦燥感が胸を引っ掻く。彼女のことを考えるとじっとしていられない、どうしても助けなければと思ってしまう。


「君が教えてくれた情報と宮坂葵の情報を統合しこちらでも対策を整え再度出撃する予定だ。君はここでコーヒーでも飲んで待っててくれ。おい! 砂糖はいつなんだよ!?」

「あの」


 そこで一人の兵士が急いで砂糖とフレッシュを持ってきてくれた。


「ありがとうございます」


 それを恭しく受け取りお礼を言う。せっかくなので両方ともコーヒーに入れかき混ぜる。あれほど黒かったコーヒーがブラウン色に変わり口に入れてみると苦味が抑えられかなり飲みやすくなっていた。これならおいしく飲めそうだ。


「ときにだ」


 中水は今までの張り詰めた雰囲気を若干緩め椅子に背もたれる。


「君も災難だったな。それにずいぶん妹さんを気にかけているようだが仲がいいのかい?」


 それは他愛もない世間話だ、きっと少しでも話をして気を紛らわせようと気を使ってくれている。

 そのことに苦笑しつつ、優輝は妹のことを振り返る。


「どう、なんですかね」

「違うのか?」

「最近はちょっと疎遠気味、ですかね。あまり話をしたことがなくて」

「そうなのか。そのわりには」

「はい。愛羽は絶対に助けないといけないんです。母との約束なんです」


 妹のこと。それを助けるのは優輝の中で絶対的指標になっている。それは一般的な感情だけでなくかつての約束があった。


「もちろん愛羽は大切です。家族ですから。ただ母に彼女を守るよう言われたんです。お兄さんになるんだからって」


 母の顔を思い出す。妹と同じブロンド色の長い髪。どれを思い出しても母の記憶は優しかった時のものしかない。


「そのお母さんは今はなにを?」

「亡くなりました。妹を産んだ時に。だからこれは遺志でもあるんです。兄である自分が彼女を守らなければならないって」

「そうだったのか。立派だな君は」

「いえ」


 けれどその優しい母は死んでしまった。妹を産むと引き換えに。自らの命を犠牲に新たな命を地上に届けた、偉大なことをやり遂げたのだ。おかげで妹は無事に生まれ今も生きている。


 母が残した命。母がいない今守るのは自分の番だ。


「最初はそう思っていろいろ妹に言い聞かせて、一緒に遊んだりとかありましたけど、でも最近はうざがられちゃって。過保護だったんだなって反省してます」

「ははは、その年で親心を知るとはほんとに苦難だな。ただ、それでも妹を助けようと思うのか。あの汚染病院を知ってなお」

「はい」


 断言するのに時間は掛からなかった。表情には覚悟があり瞳には決意が宿っている。


「危険なのは分かってます。だけど俺は彼女を守らなければならない」

「死ぬかもしれないぞ」

「だとしても」


 自分は彼らに比べ非力だ。ただの一般人でおまけに高校生。特殊な技能や知識もない。

 だけどそれは諦める理由にならない。体は動く。心も折れていない。それなら行けるはずだ。


「俺は行かなくちゃならない。それがどこでも、あそこでも」


 視線が中水から外れ暗闇に聳える病院に向かう。外灯の光で外観はうっすらとだがちゃんと見える。窓に光はないため無人を思わせる廃墟のような不気味さがある。実際そこには誰もおらずいるのは徘徊する異形の怪物たち。


 恐怖と死だけが横たわる暗闇だ。それでも優輝の意志は輝きを失ってはいなかった。


「そうか」


 優輝の覚悟を聞いてどう思ったか、中水は肯定的とも否定的とも取れない複雑そうな表情をしていた。


「ちなみに君はどうなんだ? 趣味とかあるのか? なにか好きなものは?」

「え? 俺ですか?」


 突然の話題変換に少々驚く。強引だなあと思いつつもこれも彼なりの気遣いなのだろう。


「なんでもいいよ。そうだ、テレビは? 普段なにを見てるんだ?」

「テレビはニュースばっかりですね。たまにバラエティとか見ますけど」

「そうなのか。君の年頃だともっと見るかと思ってたよ。ドラマとかは? 今だとほら、ボス探偵とリーダー犯人とか人気なんだろ? 俺は知らんが」

「へえ、そうなんですか? 俺も今知りました」

「そうかそうか。それに最近の子だとテレビよりもYouTubeか」

「?」

「ああいい、気にしないでくれ」


 彼は片手を振って話を中断する。それからコーヒーを一気に飲み干し紙コップを握り潰した。


「話せて楽しかったよ。俺は他の連中と話があるからここを離れるが、君はここにいてくれ。勝手に動いたり早まったことはしないでくれよ? ここは俺たちに任せておいてくれ」

「はい。分かりました。妹をお願いします」


 そう言って中水は去っていく。そんな彼に頭を下げ優輝は天井を見上げた。


「ふう」


 集会用テントの白い天井。ここは明かりがあるのでいいが正直お先は真っ暗というか、これから自分はどうなるのか、どうすればいいのか、具体的なことは分かっていない。ただここで座し彼らの成果を待つだけだ。


 でも、それでいいのだろうか。


 自分は今ここにいる。妹のいる病院は目の前だ。彼女は他の誰でもない、自分に助けてと言ってくれたのに。


 自分が助けないで誰が救うというのか。

 そうした思いがふつふつと沸いてくるのだ。とはいえさきほどなにもするなと言われた手前自分を落ち着けようと努めてみる。ため息に似た深い息を定期的にしてしまう。


 そこへ一人の兵士が近づいてきた。


「沓名さん、宮坂さんの治療が終わりました。会いますか?」

「宮坂ちゃんが? はい! お願いします!」


 彼女の知らせに勢いよく立ち上がる。

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