第5話 救出

 自分以外にも誰かいる。すぐに声がした方へ走り廊下を曲がって別のフロアに出る。


「放して!」

「な」 


 そこにある見たこともない光景に思わず声が漏れる。


 廊下を曲がった先、そこは両側に病室が続いてる通路になっており一人の女の子がいた。


 その女の子を入院患者が着る水色のパジャマ服を着た十人くらいの患者が捕まえようとしているのだが、その彼らが普通ではない。


 みな、天井に立っていた。天井に足を付けぶら下がった状態で女の子に手を伸ばしているのだ。


 女の子は自分よりも小さい中学生ほどの子で赤い髪のショートカットをしている。


 薄いピンクの服に黒のスカート。黒のミニリュックサックを背負い白の靴を履いている。しかしその白い靴はいま地面から離れ両足をバタつかせていた。


「嫌、放してぇ!」

「待ってろ、今いく!」

「え」


 女の子も優輝に気づきこちらを向く。彼女の肩や服、ミニリュックサックは患者たちの手が掴み体を持ち上げている。このままでは完全に掴まれてしまう。


「させるか!」


 彼女の腰に掴みかかり両腕を回し引っ張る。


「放せお前ら!」


 彼女の体を思いっきり引く。だが彼女の体には何本もの腕がまとわりついておりなかなか離れない。


 彼女も両手を振り回し抵抗するのだがこのままでは優輝まで連れていかれそうだ。


「嫌ぁああ!」

「リュックを脱げ!」

「え?」

「リュックを脱ぐんだ!」


 女の子は急いでリュックを脱いでいく。


 それでリュックを掴んでいた手が空振りに終わりその隙に大きく引っ張る。それで引き抜くと二人は廊下に倒れた。


 二十本近い腕がつららのように伸び優輝たちを亡者のように掴もうとしてくる。


 女の子は無事引っ張れたが放心状態だ。 


「走れ!」


 ここでぼうとしていたら意味がない。なんとか急かし彼女の手を引く。それに立っては駄目だ、屈んだまま走らなくてはならない。


 それに気をつけ優輝は彼女を連れ廊下を走っていった。


 なんとか患者たちの範囲から逃れることができ別のフロアに移動する。


 背後を振り返るも追っている様子はなくもちろん天井も確認するがやつらの姿はない。


 とりあえず一難は逃れたらしい。問題は手を引いている女の子なのだが。


「大丈夫か?」


 振り返り聞いてみる。女の子は未だに呆然としているようで俯いていた。あれほどの目に合って助かった直後だ、無理もない。気持ちの整理も付かないだろう。


 すると感情が追いついてきたのか、彼女は泣き出した。


「う、うう」


 涙が零れ始める。恐怖を思い出しのか、彼女は空いている手で涙を拭きとっていく。


「うわあああ」

「…………」


 無理もない。あんな目に遭えば誰だって泣きたくなる。


 それから彼女を落ち着かせるため一緒に食堂へと入っていった。


 食堂というよりも待合室のような場所でいくつもの机が並び端にはテレビや雑誌が置かれている。


 本棚には他にも週刊誌や漫画もあるがきっと寄付か誰かが置いていったものなのだろう、かなりぼろぼろのものもある。


 見たところ変な存在もいないようで電気を点ければちゃんと光もついてくれた。


 彼女を適当な席に座らせる。


「ちょっと待っててくれ」

「待って!」


 離れようとすると彼女が腕を掴んできた。ぎゅっと握る手から彼女の必死さが伝ってくる。頼られている、そう思った。


「大丈夫、自販機が使えるが見てくるだけだよ」

「でも」

「本当に大丈夫、すぐそこだから」


 辛そうに見上げる顔に優しく笑う。彼女をなんとか宥め優輝は外に出た。ここに来る途中廊下に自動販売機があるのを見つけていたのだ。


 自販機の正面に立つ。電気は通っているのかここだけ光っている。暗がりの廊下に自動販売機の光源が眩しい。


 とはいえここは普通じゃない。この自販機だって通常通りに動くかどうか。


(使えるか?)


 財布から小銭を取り出しボタンを押してみる。するとゴトンと音を立て注文通りのオレンジジュースが出てきた。


 手に取り裏面まで確認するがラベルに不審なところはない。原材料も至って普通。大丈夫そうだ。


(助かる)


 自分の分も買って食堂に戻る。彼女は同じ場所でぽつんと座っておりその姿は見ていて痛ましい。災害現場で救助された子供みたいな印象を受けた。


 優輝の姿を見つけるなり彼女の表情がぱっと明るくなる。


「ほら」


 優輝は彼女の正面に座りオレンジジュースを手渡してあげる。


「あ、ありがとうございます」

「一応同じの飲んでみたけどさ、大丈夫そうだよ」


 すでにキャップを空けてある自分のオレンジジュースを持ち上げて見せる。毒味ではないが一応さきに飲んで確認しておいた。


 それで彼女も安心して一口飲む。こんな場所では普通のオレンジジュースでもすごくおいしく感じる。


「落ち着いた?」

「はい」


 まだ残っていた涙を拭きとり彼女はそう言ってくれた。もう涙は止まっている。なんとか冷静さを取り戻してくれたようだ。


「あの」

「ん?」

「さっきは、ありがとうございました。助かりました。本当に、ありがとうございます」

「いいよ。当然だろ」

「…………」


 そう言うと彼女は少しだけ頬を赤くして下を向いてしまった。


 優輝としてはあんな状況に出くわして自然と体が動いた。自分の危険とかそんなこと一顧だにすることなく。今思えば不用心だがそれでもしてよかったと思っている。


「あの! 名前、なんて言うんですか? 私は宮坂葵(みやさかあおい)っていうんです」

「沓名優輝だ。よろしくな」

「はい!」


 はじめ会ったときは死にそうになって泣いていたのに今では笑って生きてくれている。そんな姿に優輝は少しだけ自分が誇らしく思えた。


 こんな場所に迷い込んだ自分だけど、それでも少しだけ意味はあった。誰かを助けられた。それが嬉しい。


「宮坂さんは中学生?」

「はい。今二年です。沓名さんは? 高校生ですか?」

「ああ、二年だ」

「やっぱり。なんとなくそれくらいかなって」

「そうだ、年上だ。ちゃんと敬うんだぞ」

「えー」

「なんだよ」

「そう言われると敬いたくなくなるっていうか」

「はは、確かにな」


 ちょっとした冗談を交わし二人して微笑んだ。こんな地獄みたいな場所で小さくとも笑えること、それを幸福なんだと噛み締める。


 オレンジジュースを飲みそれを見て宮坂もオレンジジュースを飲み込んだ。


「宮坂ちゃんは? どうしてここに?」

「私は」


 少しだけ表情を暗くする。ここの話題をするのに和気あいあいとはいかない。


 神妙な顔つきにならざるを得ず、宮坂はオレンジジュースのペットボトルをぎゅっと掴む。


「お母さんがここに入院しているんです。学校帰りに着替えを持ってきたんですけど、急に病院の電気が消えて。気づけば人もいなくなってて。廊下はあんなのとか、変なのばっかりで。なんなんですかこれ、ぜんぜん意味わかんない」

「同じだよ」


 彼女の困惑は尤もで、その恐怖は本物だ。いきなりこんな場所に巻き込まれ正気を保っていられる方が難しい。彼女はよくやっている。


「妹がいるんだ、ちょうど宮坂ちゃんと同じだよ。この病院に搬送されたらしいんだが、来た時には誰もいなくてさ。廊下は化け物がうろついているし廊下はすり抜けて三階に飛ばされるし。めちゃくちゃだよ」


 思い返してみるが本当に意味が分からない。理解不能。理不尽過ぎてなにに対して怒ればいいのかも分からない。


「けっきょく、どうしてこの病院がこんな状態になっているのかは分からない。とりあえず危険だってことだけだ」


 恐怖というのは未知から来るものなのかもしれない。得体の知れない闇の中、もしくは深海に潜っていく感覚。海をたゆたう体験。


 そこでなにに襲われるかも分からない。


 もしかしたらサメに食われるか、それを想像すればリラックスどころではない。ひりつく恐怖だ。


 この病院もそう。危険と謎、それらを暗闇で包んだ領域に安心などなくただ恐怖するしかない。


 そんな中で出会えた唯一の遭遇者。それはとても心強いものだ。


「妹がいるんですね。会ってみたいな」

「ああ。愛羽っていうんだ。よければ友達になってくれ。きっと気が合うよ」

「はい」


 愛羽も中学二年生だし宮坂とはいい友達になれるだろう。そうなるためにも愛羽を助け出さないと。


「沓名さんは、これからどうするんですか?」

「俺は、愛羽を探さないといけない。俺に助けを求めてる。今も俺を待っているはずなんだ」

「でも」


 愛羽は助ける。それは絶対だ。だけど状況が状況だ。それを宮坂は心配している。


「その、沓名さんが妹さんを心配な気持ちは分かりますけど、でも危険じゃないですか。まずはここから逃げて助けを求めた方がいいですよ」


 彼女の指摘は正しい。ここは異常だ、妹を助ける前に自分たちの身だって守れる保証はない。最悪助ける前に死んでしまうかもしれない。


「それは」

「愛羽さんを助けるのだって沓名さんじゃなくて大人の人たちでいいじゃないですか。ここで探すにしたって危険過ぎますよ」


 彼女は必死な表情を近づける。宮坂の説得は正しくて頭ではそれを理解している。だけど心のどこかで思う自分がいるのだ。


「あいつは、俺に助けてくれって」


 自分を待っている愛羽のことを。自分が迎えに行かなくてはいけない。彼女は待っているのだ、他ならぬ自分ことを。


「お願いします」


 今にも席を立ち食堂を出ていきそうな優輝の腕を宮坂が掴む。驚いた。


 彼女は席を立つと体を前のめりに机に突き出し優輝の腕を両手で掴んでいた。その体勢で大きな瞳を自分に向けている。


 さらりと赤い髪が流れる。小顔の中に収まる彼女の瞳は可愛くて服装だって女の子らしいキュートなものだ。その子が自分に訴える。


「お願いです……!」


 見れば自分の腕を掴む手は小さく震えていた。


 怖いんだ。いつ死ぬかもしれない場所なのになにかをしようなんて。それで死んでしまうかもしれない。一人になってしまうかもしれない。


 それが怖い。一緒にいて欲しいと彼女の顔からはそれが伝わってくる。


 それを、どうして無下に断れるだろう。


「俺は……」


 逡巡する。愛羽からの助けて兄さんという通話。それが引っ掛かる。だけど彼女を自分のエゴに巻き込めない。せっかく助けたのに、それで死んでは本末転倒だ。


「分かった。まずはここから出て助けを求めよう。その方が堅実だ」

「はい!」


 緊張した面持ちがホッとする。そんな彼女の顔を見たら心のつっかえもすっと無くなっていく。


 優輝はジュースを一気に飲み干しテーブルに置いた。それで察した宮坂もジュースを飲み干す。


「行くか」

「はい」


 二人して席を立つ。まずはここからの脱出だ。

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