第5話 宮坂葵

 女の子を助け出した。無事に逃げ出せた優輝たちは食堂へと来ている。中は待合室みたいな場所で机が並び端にはテレビや雑誌が置かれ、スイッチを押せば電気も点いてくれた。


 女の子を適当に座らせその顔は見るからに憔悴している。実はさきほどまで泣いておりようやく落ち着いてくれたところだ。あんな目に遭ったのだから無理もない。


「う、うぅ……」

(辛そうだな)


 彼女が落ち着いたのを見計らい優輝は席を立った。


「ちょっと待っててくれ」

「待ってください!」


 すると彼女が腕を掴んでくる。ぎゅっと握る手から彼女の必死さが伝わってくる。


「大丈夫、自販機が使えるが見てくるだけだよ」

「でも」

「本当に大丈夫、すぐそこだから」


 辛そうに見上げる顔に優しく笑う。彼女をなんとか宥め優輝は外に出た。ここに来る途中廊下に自動販売機があるのを見つけていたのだ。

 自販機の前に立つ。暗がりの廊下に光源が眩しい。


(使えるか?)


 こんな場所なので不安はあるが、とりあえず財布から小銭を取り出しボタンを押してみる。するとゴトンと音を立て注文通りのオレンジジュースが出てきた。手に取り裏面まで確認するがラベルに不審なところはない。原材料も至って普通。大丈夫そうだ。


(助かる)


 自分の分も買って食堂に戻る。優輝の姿を見つけるなり彼女の表情がぱっと明るくなった。


「無事でよかったです」

「すぐそこだって言っただろ、ほら」


 優輝は彼女の正面に座りオレンジジュースを手渡してあげる。


「ありがとうございます。優しい」

「はは。一応同じの飲んでみたけどさ、大丈夫そうだよ」

「めっちゃ優しいじゃないですか」


 すでにキャップを空けてある自分のオレンジジュースを持ち上げて見せる。毒味ではないが一応さきに飲んで確認しておいた。

 それで彼女も一口飲む。こんな場所では普通のオレンジジュースでもすごくおいしく感じる。


「ありがとうございます、おいしいです」

「落ち着いた?」

「はい」


 まだ残っていた涙を拭きとり彼女はそう言ってくれた。


「あの」

「ん?」

「さっきは、ありがとうございました。助かりました。本当に、ありがとうございます!」

「いいよ。当然だろ」

「…………」


 そう言うと彼女は少しだけ頬を赤くして下を向いてしまった。


「あの! 名前、なんて言うんですか? 私は宮坂葵(みやさかあおい)っていうんです」

「沓名優輝だ。よろしくな」

「沓名優輝さん、ですね。はい、覚えました!」


 どうやら元々は活発な性格なようで言葉遣いもはっきりしている。お礼も出来るしこんないい子を救えて自分が少しだけ誇らしく思えた。


 見れば彼女、宮坂は愛羽と同じくらいの年に見える。だからか彼女を助けようと咄嗟に動いたのかもしれない。


 今まで愛羽を守るお兄さんとして生きてきたからか、それとも罪悪感を晴らしたいからか、この子に愛羽を重ねたのだろうか。

 それはそれとして自分以外の人間に出会えた。それは貴重な情報源だ。


「宮坂さんは中学生?」

「はい。今二年です」


 愛羽と同じだ。彼女も中学の二年生だ。


「なあ、どうして宮坂さんはここに? この病院のことでなにか知ってることはないか? ほら、めちゃくちゃだろこの病院。俺が来た時はすでに無人だったんだ。宮坂さんは?」


 これが愛羽の仕業かどうか、それを調べるため優輝は真剣な目で彼女を見つめる。


「私は母の見舞いで夕方から来てました。学校が終わってからここに来て、夜になったしそろそろ帰ろうって廊下に出たら人がいなくなっていたんです。病室にいたお母さんもいなくなってて。知らない間に病院が変わってました。ごめんなさい、私も全然わからなくて」

「いや、いいんだ」


 残念ながら彼女はなにも知らない。本当に巻き込まれただけらしい。


「ちなみに、ここに来てから金髪の女の子を見てないか? 俺の妹なんだ、愛羽って言ってさ。ここで俺の助けを待っているはずなんだが」

「金髪の女の子……ごめんなさい、見てないですね」

「そうか」


 僅かばかり期待したのだが知らないのでは仕方がない。

 問題はこれからどうするかだが彼女をこれ以上巻き込むわけにはいかない。愛羽を助け出すにしたってそれからだ。


「分かった。まずはここから脱出しよう。もう大丈夫か?」

「はい!」


 二人して席を立つ。まずはここからの脱出だ。食堂を出て廊下の様子を伺う。


「ここから出るにしたって下に向かわないとな。さっきの天井にいたやつら、あれに気を付けてエレベーターに向かうか」

「あ、エレベーターは駄目です。見に行ったんですが、その」

「?」


 言い淀む。振り返って彼女を見るが言いにそうだ。


「なんか、下の隙間から、多分血だと思うんですけど。ずっと漏れ出していて」

「なるほど、それは止めた方がいいな」


 それは無理だ。扉が開いたらどうなるかなんて想像もしたくない。


「なら階段か。それで下りていこう」

「はい」


 さきほど使った階段に向かって進んでいく。優輝が先行し後ろに宮坂が続く形だ。聞けばあの天井の一群は突然、それこそ幽霊のように現れたようだ。

 暗い廊下に二人分の足音が響く。すぐ背後に彼女の気配を感じる。ただ暗い廊下なためなにかあった時はぐれないか心配だ。 


「はぐれるわけにはいかないからな、手繋ぐぞ?」

「は、はい」


 彼女の手を掴む。彼女も素直に従い掴む手を握り返してくれた。

 繋ぐ手と手。それが確かな存在を伝えてくれる。自分が一人ではないという証明が手の平を通じて分かる。


 そうして優輝は廊下や天井を警戒しながら進んでいった。そうして階段につき降りていくが、その階段は二階までしか降りられずそれより下に進んでも二階をループしてしまった。どうやら一階に降りるためには別の階段を使わないといけないようだ。


 次の階段はフロアを移動して端にある。まずは廊下を渡りその曲がり角、いったん身を屈めじっと息を殺す。


「くそ、どうなってるんだよここは」


 階段で一気に一階へ、なんて簡単には行かせない。ここは本当に底意地が悪い。


「本当ですよね。でも、沓名さんと一緒なら私行ける気がします」

「え?」


 多少苛立っていたが彼女の言葉に振り返る。


「だって、沓名さんは私を助けてくれたじゃないですか。だから、その、心強いっていうか。私にとっては、ヒーローみたいなものだし……」


 暗くてその表情はうまく見えないが照れているのが分かる。


 彼女ははっきり言えば可愛い。クラスに一人はいる人気の女の子、そんな印象だ。そんな子に言われれば男子として嬉しくないはずがない。


(俺がヒーロー、か)


 自分では思わないが、しかしそんな嬉しいことを言ってくれればやる気も出る。ここに対する怒りも一旦収まり優輝は照れ隠しに小さく笑った。


「頑張ろうか」

「はい」

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