第4話 怪物

 この病院はおかしい。ただの無人なだけの場所じゃない、明らかに異常なことが起きている。


 そんな場所で聞こえてくる規則的な金属音。警戒して当たり前だ、恐怖が警報を鳴らしている。


 優輝は扉から顔だけ出して廊下を見てみる。。音は聞こえるがまだ姿は見えない。どうも廊下の先から聞こえてくるようだ。


 今ならバレない。急いで部屋を飛び出し来た道を走る。


 死体だ、誰かに報告すべきだ。すぐに警察に言わないと!


 それで優輝は来た道を戻り廊下を曲がるのだが、そこには信じられない光景が広がっていた。


 来た廊下と違っている。というよりも、エントランスに繋がっていないのだ。


 唯一電気がついていたエントランスを真っすぐ進んできた。


 ここからならそれが見えるはず。なのに。


 そこは闇。暗がりの廊下が続いていた。


「うわあぁあ!」


 ついに悲鳴が出る。今まで予想でしかなかった不安がついに現実となって牙を向いてきた。


 こんなことは絶対にあり得ない。あり得ない、あり得ない。


 絶対にあり得ないのだ、来た道が違うなど。


 カツン。


 その時またも金属音が聞こえてきた。迷っている暇はない。


 優輝は走った。通ったことのない戻り道を全力で疾走する。


「はあ……はあ……!」 


 パニックになりそうなのを必死に抑え目には若干涙が浮かんでいる。それでも必死に走る。


 この音から少しでも離れるために。優輝は見えないゴールに走り続けていた。


「があ!」


 その時足の感触がなくなった。体は前のめりに倒れ廊下に激突していく。


 が、しなかった。突き出した両手は廊下をすり抜け目の前の床が迫る。


 けれど衝撃はなく、一瞬の闇のあと自分は落下して廊下に激突していた。


「ぐうう!」


 廊下にうつ伏せで倒れる。全身に落下の衝撃と痛みが走るが大事はない。しばらくすれば痛みも引いていきなんとか立ち上がった。


「なんだよ、なにが起きたんだ?」


 今しがた起きた現象が理解できず答えを求めて天井を見上げる。


 自分は今、確かにこの天井から落ちてきた。廊下をすり抜けてその先がこの廊下だった。


 原理なんて分からない。理解なんて不可能だ。でも現にそうとしか思えないことがこの身に起きた。


 廊下の外観はさほど変わらないが、一階から落ちてきたということはここは地下一階だろうか?


 優輝は辺りを見渡すが少し先に窓を見つけた。月の光がそこだけ廊下を照らしている。


 月光があるということは地下ではないようだ。窓の前に立ち外を確認してみる。


「え。なんで……」


 その光景に優輝は立ち尽くしていた。


 そこには上から眺める木々が広がっている。病院の敷地を見渡し視線を端に寄せれば自分が止めた駐輪所だって見える。


 それ以上、言葉は出なかった。ただただこの異様な空間に圧倒される。


 ここは、三階だ。自分は一階の廊下をすり抜け三階に落下してきたのだ。


 めちゃくちゃだ、もうめちゃくちゃだ。ずるずると後ずさり窓から離れる。けれど現実は許してくれないし変わってもくれない。


 ここに来てようやく気づいたのだ。


 自分はこの病院に捕われた。まるで口を開けて獲物を待ち受けていた怪物に自ら入り込んでしまったのだと。


「うっ」


 恐怖か、悲壮か、それとも不条理に対する怒りか。ごちゃ混ぜになった感情が押し寄せる。


 それは絵具が混じったような色をして判別ができない。狂ってしまえればどれだけ楽だろう。だけど理性はまだ自分を人間でいさせている。


 どういうことか分からない。なにをすればいいのかも分からない。分からないことの連続でどうにかなりそうだ。


 そんな中で、かろうじて思い出す。


『たすけて』


 涙を流して自分に助けを求めてきた愛羽のことを。


 そうだ、ここには愛羽がいる。自分は彼女を助けなくてはならない。


 心を支配しようとする恐怖、それを使命感が上回った。


 怖がってばかりではいられない、こうしている今だって彼女は涙を流すほどに怯えているのだから。


 優輝は袖で涙を拭う。怖気づきそうな心をなんとか奮わせ歩みを再開させる。


 どちらにせよ立っているだけでは好転しない。愛羽を探し出し一緒にここから出るのだ。


 それで優輝は廊下を歩いていくがここは病室のようだ。


 扉の前には患者の名前が書かれたプレートが並んでいる。横を通るたび名前を見るが沓名愛羽の文字はない。


 でも、もしかしたら逃げ出した彼女がここに隠れているかもしれない。


 そう思うと無視出来ない。確認しなくては。


 同時に脳裏に過るのはさきほど見た人たちだ。またあんな光景を見るかもしれない。


 二度と見たくない、あんなもの。もともとスプラッター系のホラー映画は苦手で見てこなかったというのに。


 けれど意を決めて、優輝は再び扉に手を伸ばす。そして恐る恐る開けてみた。


 電気の点いていない暗がりの部屋。カーテンによって仕切られた四つのベッド。


 それだけなら普通の集合病室なのだが、その仕切りのカーテンが全部ボロボロに切り裂かれていた。


 まるで強盗にでも荒らされたように床には物が散乱している。


 中へと入り周囲を見渡す。床に散らばったカップや本、倒れた小さなテレビ。ここも普通じゃない。


 優輝はカーテンに近づきゆっくりと開いてみる。ベッドには案の定人の姿はなかったが、代わりに大量の薬剤、注射器が捨てられていた。


(なんだよこれ)


 意味が分からない。ただうまく言えない気味の悪さがある。優輝はしばらく見つめるが視線を切る。それでこの部屋を後にする。


 その時だった。


 カツン。


(!?)


 金属音。あの音だ。規則的になる音、それがだんだんと大きくなる。


(まずい!)


 急いで扉を締める。音を立てないように慎重に。そしてすぐにベッドの下へと潜り込んだ。


 カツン。カツン。


 音が徐々に大きくなっていく。自分の呼吸がうるさい。両手で口を塞ぐ。鼻が息を吸うが息苦しい。緊張で呼吸が大きい。


 扉には磨りガラスがありそこから外の様子が伺える。優輝はベッドの下で身を潜めながらその磨りガラスを見上げていた。


 カツン。カツン。……カツン!


「……!」


 金属音は近づき、ついに最大になる。


 直後磨りガラスに人影が映った。四角い縁に嵌められたガラス越しに人の頭、そして細長い棒のような影が見える。


 それはゆっくりとした速度で通り過ぎていき音も次第に遠ざかっていった。


「はあ、はあ、はあ……」


 しばらく経って音はもう聞こえない。両手を外し息を思いっきり吸い込んだ。じっとしていたはずなのに疲れた。


 緊張した、もし入ってきたらどうしようかと。


 優輝はベッドから這いずり出て扉に近づく。念のためにゆっくりと扉を開け外を伺う。


 いない。あれがなんだったのか分からない。だけどいた。これではっきりした。


 この病院にはなにかいる。磨りガラスで影しか見えなかったがそこには確かになにかがいた。


 廊下に出てもう一度左右を確認する。呼吸を落ち着ける。警戒を怠らず、廊下を歩き出した。


 ここはもうこの世のものとは思えない。すべてが異常で自分たちの世界とは違う。


 本来人間がいていい場所ではないのだ。そこに迷い込んでしまった。


 早く逃げないと。同時に愛羽を見つけなければいけないと気持ちが焦る。


 優輝は廊下を進んでいく。早くしないとと思いつつも足取りは警戒から速くはなれない。


 そうして進んでいくとまたもあの音が聞こえてきた。


 カツン。


 なにかにぶつかっている金属音。優輝は身近な部屋に逃げ込もうかと扉に手を伸ばすが、しかし音は近づいてはこなかった。前方から聞こえるが離れてもいかない。


 どうする? 反対側を見るが廊下の先は行き止まりだ。この先しか道はない。しかしこのまま進めばあの影と遭遇する。


 迷う。ここは分岐点だ。停滞か、前進か。どちらかしかあり得ない。


「く!」


 ひどい二択だ。呪いたくなる。


 けれど行くしかない。ここでじっとなんてしていられない。


 優輝は恐怖を押しのけ足を出す。ゆっくりとだが、それでも確実に。


 音の出所へと近づいていく。


 進んでいくと廊下は真っすぐと左に曲がれる交差点になっており、真っすぐ続く道は病室の続きのようだ。優輝は角に背を当てゆっくりと息を吸う。


 カツン。カツン。


 音は大きい。この角のさき、そこになにかいるはずだ。


 心臓がバクバクとなっている。それでも意を決め、角から少しだけ顔を覗かせる。


 そこはナースステーションになっていた。受付口があり奥には看護師が作業するための机や薬剤が置かれた棚などが並んでいる。


 その入口、そこに人影がある。


(なんだあれ)


 ついに謎の人影の全容が明らかになる。


 非常灯が照らすぼんやりとした明かりの下。そこにそれはいた。その姿に息を飲む。


 それは、人間ではなかった。それには目と鼻がなく、口だけが異様に大きく口元は耳まで伸びている。


 看護婦の姿をしたそれは腕が異常なほど長く指先が床に触れるほどだ。白いナース服は汚れ破けている。


 それだけでも十分異様なのに、これが最もおかしいのは全身を貫く巨大な注射針だった。


 大きい。二メートル近くある針が三本、彼女の体を貫通している。まるで人形に待ち針を刺したような痛々しい姿。


 その針が入口に引っ掛かりカツンと音を立てていた。


 生きているはずがない。あんなものを刺されて、貫通して、それで立っているなんて人間であるはずがない。


 優輝は顔を戻し必死に落ち着こうとしていた。全身から嫌な汗が拭き出し緊張で心臓を吐き出しそうなほど気持ち悪い。


 それをなんとか飲み干して再度顔を出す。


 針が刺さった看護婦はゆっくりとした動作でナースステーションに入ろうとしその度にカツンと音を鳴らしている。


 その動きは映画に出てくるゾンビそのものでもしかしたら同じようなものなのかもしれない。


 幸いなことにまだ自分には気づいていない。


 顔もこちらを向いておらず、そもそも目がないので見えているのかも分からないが、静かに移動すればやり過ごせるかもしれない。


 行け、行くんだ自分。


 自分で自分を励まし、優輝はゆっくりと前へ出た。背中を壁にくっつけたまま角を曲がっていく。


 まるで足場の小さな崖を進んでいくように。看護婦をじっと見つめたまま慎重に進んでいく。


 おそらくあの看護婦は目が見えていない。このまま足音を立てずに進めばやり過ごせるはずだ。


 パキ。


(え)


 そこでなにかを踏んだ。すぐに足元を見る。


 そこには大量の注射器が積み上げられていた。何本あるかも分からない注射器の山。床にはそこから転がってきた注射器がありそれを踏んでしまったのだ。


 ハッとなり看護婦に振り向く。


 看護婦が、こちらを見つめていた。


「ギャアアアアア!」

「うわあ!」


 次の瞬間、看護婦は飛び出しこちらに迫ってきた!


 もうなりふり構っていられない。急いで廊下を走る。


 看護婦は体に刺さった針を壁や廊下に引っ掻きながら走りその度にカツンと音を立てていく。


(逃げろ、逃げろ、逃げろ!)


 看護婦の怪物が迫る。優輝は必死に逃げると廊下の先に階段が見えてきた。


(階段!)


 走る勢いのまま階段の踊り場に飛び移り勢い余って壁に激突する。けれど気にせずそのまま下の階へ走っていった。廊下を曲がり適当に部屋に入って扉を閉める。


「はあ、はあ!」


 バレただろうか? 肩を大きく揺らし息が切れる。音が漏れないように口に手を当て必死に体を落ち着かせる。


 それで数秒、身を潜めているが追ってくる気配はなくなっていた。


 足音も聞こえない。恐る恐る扉を開け廊下を覗いてみるがあの看護婦はいない。


「……ふう」


 大きな息が出る。どうやら追ってはきていないようだ。あの体では階段を下りようとすると転倒してしまうかもしれない。


 もしくは三階にしかいられないのか、どちらにせよ助かった。


「なんだよ、あれ。なんなんだよ……」


 本物の怪物だった。異様なもの、異常存在。それに追いかけられた。悪夢のように。


「どうなってんだ」


 不満を零す。自分はただ愛羽に会いに来ただけなのになんでこんな目に遭わなければいけないのか。


 だけど愚痴を吐いていても仕方がない。納得なんて出来ない。それでもやるしかないのだ。


 優輝は廊下に出る。それで廊下に貼ってある案内図を見ると二階は手術室のようだ。


 他のフロアは病棟になっており食堂も併設されている。見舞いにきてくれた人用だろうか。


 入院したことがないから分からない。とりあえず愛羽を探さなければ。彼女のいそうな部屋を探していく。


「きゃあああ!」


 そう思った時だった。悲鳴が聞こえてきたのだ、愛羽ではないが女の子の声だ。


(人がいる!?)

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