第19話 王子と騎士(2)
丸机を挟んで、私はフランツ殿下を向き合っていた。
普通、男女が手を握り合うのって、もっとロマンティックなシチュエーションじゃないの?
それが腕相撲って……。
お父様が声をかける。
「では用意! ――」
私とフランツ殿下が机に右肘を突き、右手を握り合う。
「――始め!」
お父様が両手を打ち鳴らした。
だけどフランツ殿下は全く力を入れる気配がない。
私の腕を見ながら、ぽつりとつぶやいてくる。
「その腕で勝てるつもりか」
「勝てる、と申し上げたらどうなさいますか?」
突如フランツ殿下の腕に力が入り、見る間に私が追い込まれて行く。
あともう一息で手が机に着くまで押し込まれると、フランツ殿下が勝ち誇ったように告げる。
「どうした? 口ほどにもないな」
ニヤリと殿下の口角が上がる。
私は小さく息をついて応える。
「まだ負けておりませんよ?
殿下のお力はその程度ですか?」
私が冷静に指摘をすると、殿下の腕に力が込められていく。
あーあ。殿下ったら、これが『魔術授業』だってことを忘れてる。
ただの腕力で押されるだけなら、魔力を併用するだけで今の位置をキープできる。
フランツ殿下は額に汗を流して力を込めてくるけど、私の手はびくともしない。
まるで信じられないものを見るような目つきで、殿下が私の手を見つめた。
「――ぬぁあ!」
ようやくフランツ殿下の腕に魔力がこもり始める。
だけどまだまだ。余裕でしのげる強さだ。
私は敢えて挑発するような口ぶりで告げる。
「ふぁ……あ、失礼。退屈で思わず
もちろん煽っている。
『へいへーい! その程度かー!』である。
ついに全身の力を使い、魔力も全力で使っているフランツ殿下の攻めを、私は涼しい顔で受け流していた。
そして攻め疲れた殿下の気が緩んだ、その瞬間。
――私の手は、フランツ殿の手を机に叩き付けていた。
私は机から離れ、殿下に淑女の礼を取る。
「お粗末さまでした」
殿下は倒された格好のまま動かず、呆然と私を見つめていた。
お父様が殿下に告げる。
「殿下、なぜ負けたのか、おわかりですか」
「……なぜ、いや、いつ負けたのだ?
ずっと力を込めていた。
押し倒す寸前だったはずだ。
なぜ今、私はひっくり返っている?」
おや? 殿下の口調がさっきまでと違う。
尊大な中にも気品がある物言いに変わってるぞ?
さてはこの人、素の顔と『王族モード』で切り替わる人だな?
だけど『何が起こったのか』を、まるで理解してないみたい。
これは助け船を出さないと、私が相手をした意味がないな。
私は噛み砕くように殿下に告げる。
「殿下、これは『魔術授業』だということは、理解してらっしゃいますよね?」
フランツ殿下がうなずいた。
私は言葉を続ける。
「ならば、殿下の敗因は魔力制御の質、ということです。
――ヒントはこれくらいでよろしいかしら? お父様」
お父様が微笑んでうなずいた。
「ああ、そうだね。
だがお前は本当に器用だね。
≪身体強化≫の術式など、見せたことも教えたこともないのに。
いったいどこで覚えたんだい?」
私は苦笑を浮かべて応える。
「先ほど、殿下とベルト様の勝負を拝見しました。
それで何をしているのかは把握しました。
あとは隙だらけの殿下の動きに合わせて動いただけですわ」
フランツ殿下は「初心者の女子に負けた……」と、地面にのの字を書いていた。
お父様が私に告げる。
「ではヒルダ。相手がノルベルトだったら、お前は勝てるかい?」
え゛、ベルト様?!
うーん、相当厳しいし、まともにやったら勝ち目はないように思える。
だけど――。
「たぶん、ギリギリ勝ち目はあるのではないかと!」
私の言葉を聞いて、ベルト様の目が好戦的に輝いた。
「ほぅ? それは面白い」
あら、この人も結構な負けず嫌いだな。
お父様が確認するように私に尋ねてくる。
「連戦になるが、大丈夫かい?」
「ええ、問題ありませんわ。
殿下との勝負ではほとんど消耗しておりませんし」
――視界の隅で、地面に埋まりそうなほど落ち込んでいる殿下の姿が見えた。
私は呆れながら殿下に告げる。
「ほら殿下! 落ち込んでいる暇がお有りでしたら、きちんと見学なさってください!」
殿下とベルト様、体格で劣る相手との戦い方が、私を見てればわかるはずだ。
****
丸机を挟み、今度はベルト様と向かい合う。
まったく! 男女が(以下略)
腕相撲の姿勢を取る私たちに、お父様が声を上げる。
「では用意! 始め!」
またしても打ち鳴らされる両手。
しかし私たちの手は拮抗したまま、中央で動かない。
「ベルト様? どうなさいましたの?」
「ヒルダこそ、攻めてはこないのか?」
お互い力は込めている。
だけど拮抗するように力を加減しているので、手は中央から動かない。
うーん、やっぱりベルト様は巧いな。
この≪身体強化≫術式の熟練度が、フランツ殿下と比べ物にならない。
魔力制御も、かなりの腕前だ。
私はため息をついて告げる。
「殿下が可哀想になってきました。
ベルト様が相手では、勝ち目などありませんわ」
「これほど凌ぎ合っておきながら、どの口がおっしゃるか」
ベルト様は好戦的な笑みを浮かべていた。
もしかして、好敵手認定でもされたのかな?
一見すれば、手を握り合ってるだけ。
でもその実、フェイントを織り交ぜて攻める機会を探りあっていた。
……やっぱり経験の差かなぁ。
フェイントのバリエーションで負けてる。
今はまだ即座に対応できてるけど、油断したら危ない。
ちらりと横目で見ると、退屈そうなフランツ殿下と、楽しそうなお父様の微笑みが見えた。
何が楽しいんだろう? 我が父親ながら理解が難しい人だなぁ。
私がよそ見をした隙を、ベルト様は見逃さなかった。
一気に攻め込まれ、あと一歩で押し倒される寸前まで追い込まれる。
焦った私は間一髪で命を拾い、一言つぶやく。
「あっぶな?!」
「いえ、よく凌ぎましたね。勝ったと思ったのですが」
ベルト様の攻めは容赦がない。じわじわと手が机に近づいて行く。
私が苦悶の声を漏らす。
「くっ……」
ベルト様の目が勝ちを確信し、とどめを刺す勢いで力を込める、その瞬間。
スパーン! という軽快な音と共に、私の手がベルト様の手を机に叩き付けていた。
私は肩で息をしながら、それでも声を上げる。
「――勝ちましたわ! 作戦勝ちです!」
ベルト様に微笑みかけると、彼は呆然と私を見つめているようだった。
――さすがに、疲れた!!
呼吸を整え、机から離れてお父様の横に並ぶ。
私が痛くなった手をプラプラと振っていると、ベルト様が私に告げてくる。
「……私はいつ、負けたのだ」
仕方ないので、ベルト様に『作戦』の内容を教えた。
魔力には、その人固有の波がある。
呼吸のように、強くなったり、弱くなったりを繰り返す。
その強弱の波の弱いタイミングを狙い撃ち、その瞬間に全力を注いだ。
『その瞬間』にとどめを刺すため、敢えてそれまでは力を加減しながら拮抗状態を作り続けた――油断を誘ったのだ。
こちらの力量を隠しつつ、倒せるタイミングを虎視眈々と待ち続けた。
説明してしまえば、シンプルな作戦だ。
ベルト様が愕然としながら私に告げる。
「ヒルダ嬢が魔力を込めた瞬間を感じ取れなかったのだが」
私はニコリと微笑んで応える。
「研鑽不足ですわね。
もっと感覚を鋭敏にすることをお勧めしますわ。
殿下ほどでなくとも、まだまだベルト様も荒っぽいですわよ?」
もっとも、ベルト様は加減をしてくれていた。
体格で劣る女性の私に、全力を出すことはしなかった。
それを計算に入れた上での作戦勝ちだ。
次に勝負しても、勝ち目はないだろう。
私はお父様に振り向いて告げる。
「これでよかったのでしょうか」
お父様は満足気にうなずいた。
「ああ、充分だ。期待通りの結果を出してくれて嬉しいよ」
やっぱり計算ずくか。
お父様ったら、本当に食えない人だな。
私は疲れを感じて「ふぅ」とため息をついた。
鍛え上げた男子二人と腕相撲とか、貴族令嬢のやることじゃないよ。
お父様が優しい声で告げる。
「お前は少し休んできなさい。
体調が戻らないようなら、今日の鍛錬は休みなさい」
「はい、お父様。お言葉に甘えさせていただきますわ」
私は頭を下げたあと、木陰のベンチに向かって歩きだした。
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