第20話 王子と騎士(3)

 木陰のベンチに腰を下ろしながら、私は≪身体強化≫術式に思いを馳せていた。


 これは通常の『精神力や体力が魔力に変換される流れ』を、魔力制御で逆流させる術式だ。


 最初に思った以上に高度な魔術だと思う。


 未熟でも発動できてる以上、フランツ殿下も相応に高い魔術の腕を持つのだろう。


 術式を使いこなしていたベルト様は、優秀な魔導士ということになる。


 伊達にお父様の弟子じゃないってことかー。


 でも……≪身体強化≫か。


 これは基盤となる肉体を、魔力で何倍にも補強する術式。


 鍛えてない肉体じゃ、術式の効率が悪い。


 私は特等級の魔力でゴリ押ししただけだ。


 この術式を使いこなすには、やっぱり身体を鍛えないとだめかなぁ?


 体力を鍛えれば魔力の持続時間も飛躍的に伸びるし、メリットだらけだ。


 でもムキムキにはなりたくないし。うーん……。


 目をつぶって腕を組み、悩み続けていると、ベンチの右側に誰かが座る気配がした。


 驚いて目を開けて振り向くと、そこに居たのはベルト様。


「あれ? 殿下はどうなさいましたの?」


 ベルト様が苦笑を浮かべ、お父様たちの方を見て応える。


「殿下はヴォルフガング様と、マンツーマンで特訓中です」


 ああ、殿下も目が覚めてくれたのかな。


「少しは課題の意味をご理解いただけたのかしら」


「あれほど見事に見せつけられれば、余程の阿呆でもない限り気が付きますよ」


 あの腕相撲は、効率的に力を使った側が勝つ。


 相手の力を正しく読み取り、攻める時に攻め、守る時に守る。


 その反応速度も重要だ。


 そんな魔力制御を身に付けさせるための課題だと思う。


 私はニコリと微笑んで応える。


「殿下がその『阿呆』でなくて、安心しました!」


 私がクスクスと笑うと、ベルト様もつられるように笑っていた。



 笑いが収まると、ベルト様が尋ねてくる。


「ヒルダ嬢は魔術を習い始めて間がない、と伺いました。

 いったいどうやって、それほどの腕前になられたのか」


 ベルト様の目は真剣だった。


 自分が上達する糸口がないか、常に探している人の目だ。


 これは私も真剣に応えてあげるべきだろう。


 私はぽつぽつと言葉にしていった。


 最初は何も知らなかった。


 だから教えられた基礎を、納得するまでとことんやりこんだ。


 基礎でも頭を使い、考えを巡らせた。


 理屈を考え抜いて、『より良い基礎』を目指し続けた。


 まぁ私のそばには、いつもお父様が居る。


 わからなくなったら、お父様に尋ねれば教えてもらえる。


 お得な環境だと思う。


 最後はクスクスと笑いながら応えると、ベルト様は納得したようにうなずいた。


「確かに、ヒルダ嬢の基礎は人並外れて洗練されている。

 そこまでの技量、宮廷魔導士でも及ばないかもしれません。

 私もまだ基礎を侮っていたようです。お恥ずかしい」


 いや、それはほめ過ぎじゃない?


 私は両手を振って否定しながら告げる。


「そんな! ベルト様は充分な実力を持った方だと感じてますわよ?!

 それに、わたくしたちは若輩者。

 これから伸びればいいだけの話ですわ――ところで」


 さっきからずっと気になって居たのだけど。


 私はおずおずと尋ねる。


「途中まで『ヒルダ』と呼び捨てにされてましたわよね?

 なぜ今は『ヒルダ嬢』なのでしょうか」


 ベルト様は一瞬きょとんとしたあと、自嘲するような笑みを浮かべて目を伏せた。


「尊敬に値する人物を呼び捨てにするなど、私にはできかねますので」


 尊敬……尊敬?


「あら、わたくし何かいたしまして?

 勝負のことなら、次は勝ち目がないと思いますけど。

 あれは一度きりの奇襲戦法ですもの」


 ベルト様がこちらを見て告げる。


 圧倒的なフィジカルと経験の差。


 この条件下で私が勝つには、あの作戦しかなかったと告げられた。


 私は磨き上げた自分の武器にすべてを託し、信頼していたと。


 そこまで信頼を託せるほど、私は日頃の研鑽を欠かさなかったのだと。


 ベルト様は私ほど真摯に取り組めていなかったと反省していた。


 べた褒め……褒め殺し?


 そこまで言われるとさすがに恥ずかしい。


「いえ! あの、わたくしは毎日、自分にできることをしているだけですので……」


 私はベルト様から目を逸らし、熱くなった顔に手のひらで風を送っていた。


 そんな私の横顔に、ベルト様の視線を感じる。


 ちょっと、やめて欲しい……これ以上熱くなったらゆだって死ぬ。


 ベルト様が穏やかな声で告げる。


「あなたの瞳は、とても美しいですね」


 ――えっ?


 その言葉は、私の心を虚無へと引きずり込んだ。


 孤児院から今まで、私の精霊眼に触れる人間はほとんど居なかった。


 ましてや美醜を言われた事は一度もない。


 宝石のように輝く瞳を美しいと感じる人間。


 そんな人が居ても、不思議じゃないか。


「精霊眼、というらしいです。宝石のようで美しいですよね」


 空虚な言葉が口からこぼれ出て行く。


 私は未だに『これ』が自分のものだと思えない。


 この左目を褒められても、私にはどうしたらいいのかわからないのだ。


 ベルト様が「えっ?」と意外そうな声を上げた。


「違います。あなたの『右目』が美しいと、そう言ったのですよ」


 ――右目?! 精霊眼じゃなく?!


 驚いて振り向き、ベルト様の目を見つめる。


 ベルト様は優しい微笑みを浮かべていた。


 嘘を言ってる目じゃ……ないな。


 ベルト様が私に穏やかに告げる。


「あなたの右目はとても表情豊かだ。

 超常的な左目と違い、右目は貴方の美しい心がよく見えます。

 私はあなたの右目が精霊眼でないことに、喜びすら感じているのですよ」


 喜び……そんなこと、自分ですら思ったことがなかったのに。


 ポロリ、と私の両目から涙がこぼれ落ちていた。


 ベルト様が慌てたように懐からハンカチを取り出し、手渡してくる。


「――ヒルダ嬢?! 申し訳ありません!

 言葉が過ぎました! どうかお許しを!」


 私は自分の頬を指で触り、自分が泣いているのを確認した。


「あら、私は泣いているのかしら」


「あなたの心を深く傷つける言葉を告げたこと、深く反省しております!

 ですからどうか泣かないでください!」


 わたわたと慌てふためくベルト様を見て、私はクスリと笑みをこぼす。


 そのまま私は、泣きながら笑っていた。


 ベルト様が戸惑うように告げてくる。


「……ヒルダ嬢?」


「いえ、これは嬉し涙です。

 『右目が残っていて良かった』なんて、自分でも考えたことがありませんでした。

 でも――そうですよね。この体は両親と私を結ぶかけがえのないもの。

 その右目が残ってくれているのは、喜ばしいことのはずですわね」


 『なぜ変わってしまったのだろう』とか『どうして両目ではないのだろう』と思ったことはある。


 片目だけ異物に変わる醜悪な外見を、自分で嫌っていた。


 だけど私にとって、本当の両親とつながる唯一無二の絆。


 右目だけでも残っていてくれてよかったと、左目だけで済んでよかったと思うべきなんだ。


 私はベルト様からハンカチを受け取り、涙を拭っていった。


 そして精一杯の微笑みを返しながら告げる。


「ありがとうございます、ベルト様。

 私はうっかり、大切なことを見落とすところでした。

 これからも私は、この右目を大切にしていきたいと思います」


 ――なんだか、元気が出てきたぞ?!


 私はベルト様にハンカチを返しながら告げる。


「それでは鍛錬に戻りますわね」


 ベルト様に会釈し、私は軽い足取りで池のほとりに向かって歩きだした。





****


 ノルベルトは走り去っていくヒルデガルトの背中を見つめていた。


 右手が彼女の涙を吸ったハンカチを握りしめている。


 『ありがとう』と言われた。


 ノルベルトの言葉が涙が出るほどうれしかったのだと、彼女は語った。


 この体は両親が残してくれたかけがえのないものだと。


 孤児だとは聞いていた。


 まさか、両親に繋がる物を他に何も持っていないのか。


 『瞳が美しい』と心から思った。それが素直に口に出た。


 女性に対して、あのような言葉を告げたことはなかった。


 言おうと思ったことすらなかった。


 だが彼女の姿を見ていて、言わずにはいられなかった。


 守りたい――そう思った。


 だが彼女はノルベルトよりも遥かに強くたくましい。比べるのがおこがましいほどに。


 それでも男として守りたいと、そう願った。願ってしまった。


 だがノルベルトには婚約者がいる。


 親が決めた相手とは言え、こんな想いが許される訳もない。


 ――この想いに蓋をせずにすむならば。


 その時、ノルベルトはどのような行動に出るのだろうか。


 それは彼にも分からなかった。


 ノルベルトは池のほとりで鍛錬に打ち込む少女の姿を、黙って見守り続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る