第18話 王子と騎士(1)

 朝食の席で侍従から手紙を受け取ったお父様が、苦笑を浮かべて告げる。


「ヒルダ、今日はジュリアスはお休みだそうだ」


「あら、どうかなさいましたの?」


「どうやら、根を詰めすぎて体調を崩したらしい。

 ジュリアスは体力がある方ではなかったからね。

 少し焚きつけ過ぎたかもしれないな」


 ぺちぺちと額を叩くお父様は、困ったように微笑んでいた。


 私は少し呆れてお父様に応える。


「まぁ、ジュリアスったら。

 しょうがない人ですわね。

 それでは今日の授業は、お父様とのマンツーマンかしら?」


「いや、今日は残り二人の弟子が来るよ。

 キルステン伯爵令息と、フランツ第一王子だ」


 二人一緒かー。


 仲良くなれるかなー。


 ――って、王子?!


「お父様?」


「ん? なんだい? ヒルダ」


「王子様ですか?」


「ああ王子だ。将来の国王と目されているね」


 私はお父様と真顔で見つめ合っていた。


 しばらく沈黙が場を支配した後、二人で同時に微笑み合う。


「なぜ、そのような方がわざわざこちらへ?

 警備は問題ないのですか?」


「私は宮廷魔導士を引退した身だ。

 そして私は王宮が大嫌いでね。

 『授業を受けたければこちらに来なさい』と伝えたんだ。

 そしたら、本当に通ってくるようになった」


 お父様は「ハハハ! 勉強熱心な王子だよ!」と笑っていた。


 笑い! ごとじゃ! ない!


「お父様! 国の世継ぎに何かあったら、どうなさるおつもりですか!」


 お父様は笑い終わると、楽しそうに応える。


「警護の責任を取るのは担当する騎士や兵たちだ。

 ああもちろん、屋敷の敷地内では私が責任をもって殿下を守るとも」


 お父様ったら、本当にマイペースなんだから……。


 私はため息をつきながら、額を手で抑えていた。


「護衛の方々の心労が心配ですわ……」


 お父様はニヤリと余裕の笑みを浮かべた。


「前にも言っただろう?

 今の我が国は心配するような状況ではないと。

 差し障りがあるようなら、授業を中断するだけさ」


 だめだこりゃ。


 警護をする人たちの心労なんて、気にもしてない。


 きっとお父様の中で『職務を果たすこと』は当然の義務になってるんだ。


 だからって、毎週王子がここにやってくるとか、警備プランの手配とかあるだろうに。


 ――そんなことより、王子様だよ?!


 国内屈指の公爵家には通用した私の所作が、果たして王子様相手に通用するかな?


 機嫌を損ねたら何が起こるか、わかったもんじゃない。


 今回は事前告知だからマシだけど、当日直前じゃ抜き打ちテストじゃないか!


 もう! お父様のばかーっ!





****


 お父様に連れられて庭で待っていると、二人の青年が現れた。


 一人は眩い金髪の青年。


 無駄のない筋肉で引き締まっていて、自信にあふれた笑みを浮かべている。


 もう一人はマリンブルーの髪の青年。


 ひときわ高い背丈で、精悍な顔つきになりつつある男の子だった。


 ……お父様、王子様が相手でも出迎えたりしないんだね。


 お父様のマイペース振りに、密かに頭痛を覚える。


 金髪の青年が私を見ながら告げる。


「久しいなヴォルフガング。そちらが例のご息女か」


 なんだか偉そうな言葉遣い、ということは王子様はこちらか。


 お父様に促されて、彼に淑女の礼を取る。


「殿下、お初にお目にかかります。

 グランツ伯爵家が娘、ヒルデガルトと申します」


 「うむ」、とうなずいた金髪の青年が私に応える。


「フランツ・ヨアヒム・フォン・レブナントだ。

 今後は同門同士、仲良くしてくれ。それと――」


 フランツ殿下が横の青年を親指で示した。


「俺の友人のノルベルトだ。

 騎士団長の息子で、将来は俺の側近だな」


 紹介を受けて、ノルベルト様が前に出てくる。


「キルステン伯爵家、ノルベルトだ。『ベルト』と呼んで欲しい」


 そう言って彼は右手を差し出してきた。


 えーと、握手をすればいいの?


 私は微笑みを返しながら手を握り返した。


「ヒルデガルトと申します。

 わたくしのことも『ヒルダ』で構いませんわよ、ベルト様」


 彼の重低音の声は、なぜだか耳に残った。


 瞳の色は……浅葱色あさぎいろなのかな。綺麗な瞳をしてる。


 きっとグランツでもモテるんじゃないかな、この人。


 私はベルト様と、しばらく見つめ合ったまま握手を続けていた。


 フランツ殿下が呆れるように告げる。


「……お前ら、いつまで握手をしてるつもりだ?」


 ――あ。


 弾けるようにお互いが手を離し、真っ赤になりながらうつむいた。


「失礼しました……」


「いや、こちらこそ」


 やらかしたー?!


 うっかり見惚れちゃった! 恥ずかしい!


 お父様の楽しそうな声が聞こえる。


「おやおや? ヒルダが娘らしい反応をするのは初めてだね!」


 「ハハハ!」と楽しそうに笑うお父様の脇腹に、怒りの肘鉄を突き入れた。


 ――これ以上、恥をかかせないで!


 恐る恐る顔を上げると、ベルト様も耳まで赤くなってそっぽを向いていた。


 うちのお父様が本当に……ごめんなさい。


 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 ひとしきり笑い終えたお父様が私に告げる。


「ヒルダ、今日はお前もこちらに参加しなさい」


 え? そんなの初耳だけど。


 とはいえ、断る理由もない。


「はい、わかりました」


 砂時計をポケットにしまい、お父様の横に並んだ。





****


 お父様がフランツ殿下とベルト様に告げる。


「では課題の成果、見せてもらいましょう」


 二人はうなずきあうと、庭に用意してあった丸机の上に右ひじを突いた。


 そのままお互いの右手を握り合い――つまり、腕相撲の格好だ。


 え゛……これが魔術の授業?


 お父様が声を上げる。


「用意! 始め!」


 そのまま両手を打ち鳴らすと、普通に二人の腕相撲が始まった。


 ……これのどこが魔術授業なんだろう?


 どこからどう見ても、ただの腕相撲だ。


 だけどちょっとした違和感――よく見てみると、精霊眼に二人の魔力が映ってる。


 最近の私は他人の魔力も精霊眼で見ることができるらしい、と最近わかってきた。


 その左目が、『二人が魔力を駆使して腕相撲をしているのだ』と教えてくる。


 魔力も体力も使い、全力で相手を倒しに行くフランツ殿下。


 それを同じくらいの力で受け流しているベルト様。


 フランツ殿下が気を抜くと、その隙を突いてベルト様が攻め込み、腕を倒していく。


 負けじとフランツ殿下が全力以上に力を出して押し返す。


 そして真ん中まで押し戻されると、ベルト様は再び均衡を保つように力を加減していた。


 パッと見はシーソーゲーム。


 だけど本質はまるで別物。


 効率よく力を使っていくベルト様に対して、フランツ殿下は無駄に力を浪費してる。


 こんな体力と魔力の無駄遣いをしていて、勝てるわけがない。


 私はぽつりとつぶやく。


「お父様、フランツ殿下は『まだまだ』でいらっしゃいますわね」


「お前もそう思うかい? お前でも勝てるんじゃないかな?」


 私は二人の様子を窺いながら、頭の中で模擬戦を試してみる。


 うーん、負ける要素はないな。


「……勝てそうですわね」


 私が言い終わるのと同時に、フランツ殿下の手が机に叩き付けられていた。


 ベルト様が余裕の笑みで告げる。


「これで通算、六十八戦六十八勝ですね」


 ――ぼろ負けじゃない?! それだけやって一勝もできないの?!


 フランツ殿下が悔しそうに机に拳を叩き付けた。


「クソッ! なんで勝てないんだ!」


 お父様が淡々と告げる。


「フランツ殿下は失格、ノルベルトは合格だ」


 ベルト様が胸に手を置く略式の礼で応えた。


 まだ悔しそうに顔を歪めているフランツ殿下に、お父様がとんでもない暴言を言い放つ。


「殿下、ヒルダが『今の殿下なら片手でひねれますわ』と申しておりますよ。いかがしますか」


「お父様?!」


 言ってない! そこまで過激なことは一言も言ってないから!


 ギロリ、とフランツ殿下の目が私を睨み付けてくる。


 刺すような視線にさらされて、私は乾いた笑いを浮かべるしかなかった。


 お父様がフランツ殿下に告げる。


「殿下はお疲れでしょうが、そこは男女の体力格差を埋めるハンデ。

 丁度良い条件として、相手をしてみてはいかがですか」


 私は改めてフランツ殿下の腕を見る。


 鍛え上げられた男子の腕と、全く鍛えてない私の細腕。


 勝負をやる前から結果はわかり切っている――これが普通の腕相撲ならば。


 フランツ殿下の目が闘志に燃えていた。


「いいだろう、その勝負――受けた!」


 こうして、私とフランツ殿下の勝負が決定した。

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