第17話 魔術の天才(3)

「三セット目終了~」


 ふぅ、と息をついて辺りを見回す。


 そういえば、いつの間にかジュリアス様が居なくなってる。


 どこにいったんだろう?


 ――まぁいいか!


 私は落ちていく砂を見つめながら、休憩時間で心と体を休めていた。



 はぁ~とため息をつきながら砂時計を振る。


 今日何度繰り返したかわからない動作を、何度も繰り返す。


 辺りは夕闇に包まれ、従僕が庭の灯りに火をともしていく。


 冬の夜は早い。そろそろ夕食の時間かな。


 さて。これくらいからきつくなるんだよね。


 私は砂が落ち切った砂時計を見つめる――よし、やるぞ!


 魔力で砂を掴もうとした瞬間、ドスンと乱暴な振動が響いた。


 驚いて横を見ると、砂時計を持ったジュリアス様。


「俺もやります」


 ゆっくりとだけど、彼も私と同じように魔力で砂を一粒掴み、天井に張り付け始めた。


 う~ん、どういう心境の変化だろう?


 最初は馬鹿にしてなかったっけ?


 でも真面目に初心者向けの鍛錬を始めたジュリアス様が、なんだか微笑ましく思えた。


「……ふふ」


「――何がおかしいんですか!」


 カッとなったジュリアス様がこちらに振り返り、彼の魔力が砂粒を取り落とした。


 それと同時に彼の砂時計の砂山が崩れていった。


「あー、崩しましたね? 最初からですよ?」


 ジュリアス様は砂時計に向き直り、再び最初から砂粒を掴み始める。


「あなたが笑うから落としたじゃないですか!」


「……さっき散々、わたくしに話しかけてきたのは誰だったかしら?」


 ニコリと微笑んで見せると、ジュリアス様は悔しそうに歯を食いしばっていた。


 私は自分の砂時計鍛錬を続けながら、横目でジュリアス様の様子を眺めていく。



「あ、ずるをしてますね?

 天井に張り付いた砂粒をまとめて固定するのは反則ですよ?」


「あ、急いで天井に張り付けてますね?

 ゆっくりと持ち上げるんです。ゆっくりとね」


「はーい、そこ砂山が崩れました。

 最初からやり直してください」



 私の度重なるダメ出しを受けて、ジュリアス様は髪の毛を片手でグシャグシャと掻きむしっていた。


 唸り声をあげながら、なぜかこちらに恨みがましい視線を寄越してくる。


「なぜ、こちらを見る余裕があるんですか!

 あなたはもう四時間以上ぶっ続けでヘロヘロじゃないですか!」


「余裕がないことを何度も経験していると、その中で余裕を作るコツがわかってくるんですよ」


 だってもう一か月はこの鍛錬をしてるんだもん。


 そりゃあ、余裕の見つけ方くらいはわかるってものだよ?


 私はなんだか楽しくなってきて、自分の砂時計を見つめつつ、ニコニコと微笑みながら告げる。


「集中力――つまり精神力を鍛えると魔力の回復速度が上がります。

 この鍛錬を繰り返していれば、それだけ魔術の持続時間が伸びるんですよ」


「そんなことはわかっています!

 ですがこんな単調な鍛錬、よくも飽きずに繰り返せますね?!」


 私はクスリと笑みをこぼして応える。


「そんなへっぽこ精神だから、すぐに魔力が尽きてしまうんですよ。

 鍛錬が足りないんです。

 これくらいできないでどうするんですか」


「――へっぽこ?!」


 なんだかジュリアス様が、パクパクと口を開けている。


 何かを言い返したいのに言葉を見つけられない、たぶんそんな感じだ。


 んー、集中力が弱いタイプなのかな。


「体力を鍛えても同じ効果が出ますよ?

 私は身体を鍛えたくありませんが、ジュリアス様は男性なのだし、鍛えてもよろしいのでは?」


 むすっとしたジュリアス様が私に応える。


「俺も運動は苦手なんです」


 あら、そうなのか。


 まぁお互い、小柄だしなぁ。


 ため息をついたジュリアス様が、自分の砂時計に向き合って真剣に続きをやり始めた。



 しばらくして、ジュリアス様がぽつりと告げる。


「あなたはなぜ、身体を鍛えたくないのですか」


「わたくしの夢は『可愛いお嫁さん』になることなんです。

 ムキムキに鍛えたら、私の理想が遠くなってしまいますから」


 ポトリとジュリアス様の砂粒が落ちて、砂山を崩していった。


 私はそれを横目で確認しながら告げる。


「あ、落としましたね。最初からですよ」


 ジュリアス様が呆然としたように告げる。


「お嫁さんが夢って……それならこの厳しい鍛錬は、いったい何のためにしてるんですか?!

 それだけの魔力と技術を、何のために磨いているんですか!」


「何のため? んー、自分の為ですね」


 そんな当たり前のことを、何で聞くんだろう?


 ジュリアス様がぱちくりと目をしばたかせた。


 私は鍛錬を続けながら言葉を続ける。


「出来る努力を怠って後悔したくない。

 一言でいえばそれだけですよ――」


 私は元は平民の孤児だ。


 それは覆しようのない事実だから、それを理由に馬鹿にされるのは構わない。


 でも、できる努力をしないで馬鹿にされるのだけは我慢ができない。


 私を怠け者と一緒にしないで欲しい。


 怠ける自分なんて許せない。


 怠けたことが理由で、お父様やグランツ伯爵家が馬鹿にされるのはもっと許せない。


 きっと一生許せなくなるだろう。


 だから私はできる努力を全力で行う。


 ――そんな私の内心を、ぽつりぽつりとジュリアス様に告げていった。


 なんだかジュリアス様から、それまで感じていた気負いのようなものが抜けていったような気がする。

 『毒気を抜かれた』って、こういうことを言うのかな?


 ジュリアス様が柔らかい微笑みで告げる。


「でも、夢は『可愛いお嫁さん』なんですよね」


「そうですよー? 絶対あきらめませんからね!

 『可愛いお嫁さん』になって、温かい家庭を作るんです!」


 ジュリアス様はしばらく私の笑顔を見つめたあと、再び砂時計鍛錬に戻っていった。





****


 ジュリアスは、自分の横で鍛錬を続けるヒルデガルトという少女に、打ちのめされっぱなしだった。


 これほど力強い言葉で平凡な夢を口にする。


 なんて心が強い人だろうか。


 その瞳は『諦める』という言葉を知らず、燃え盛る炎が見える気さえした。


 『魔術の天才』という自分の異名がなんと浅薄で滑稽なことか。


 本当に高い矜持とは、きっと彼女の心を言うのだろう。


 己の高い資質を腐らせることなく、慢心すら許さず、ただ愚直に前に前に進み続ける。


 常人には理解できない狂気の沙汰を、平然と日課として繰り返す。


 その心の強さに感銘すら受けていた。


 だが彼女が望む夢は険しい道だ。


 これだけの素質、これだけ技術を持ち、結婚適齢期の貴族令嬢。


 どれだけの邪悪な連中が近寄ってくるか、わかったものではない。


 貴族社会の汚泥のような世界にまみれても、おそらく彼女はこの小さな夢を守り続けるだろう。


 ジュリアスは彼女の足元にも及んでいないことを痛感していた。


 ――まずは並ぶ! 話はそれからだ!


 並び立ち、そして彼女を汚泥から守り切る。


 ジュリアスは密かな決意を胸に、真剣に鍛錬に打ち込み続けた。



 二人の様子を遠くから見守っていたヴォルフガングは、満足気に微笑んでいた。





****


 魔術の授業が終わり、お父様が「引き上げるよ」と告げた。


 屋敷に向かって歩きながら、私は隣のジュリアス様に告げる。


「ジュリアス様は、まだ集中力が長続きしませんでしたね」


 彼は一時間、砂時計鍛錬に集中していた。


 だけど百粒も持ち上げられなかった。


 途中で砂粒を取り落とし、頭を掻きむしりながら最初から繰り返した。


 たった一時間も集中できてない。


 この調子だと、砂粒を全部張り付けられるのは半年後くらいかな?


 ジュリアス様が、すこしふてくされながら応える。


「……俺のことは『ジュリアス』と呼び捨てでいいですよ」


 私はきょとんとしてジュリアス様を見つめた。


「いいのですか?

 それならわたくしのことも『ヒルダ』で構いませんよ」


「……ヒルダ嬢、来週こそは砂を全て張り付けてみせます」


「来週ですか? ふふ、それはまだ難しいんじゃないですか?

 ジュリアスは集中力がへっぽこですもの」


 クスクスと笑う私に、ジュリアスが応える。


「見ていてください。必ず持ち上げてみせます」


「はーい。楽しみにしてますね!」



 私たちは並んで、屋敷の中に戻った。





****


 ジュリアスを見送り、夕食と入浴を済ませると、私は教養授業の復習を始めた。


 机に向かいノートにペンを走らせていると、背後からウルリケが声をかけてくる。


「お嬢様、初めてお会いした貴族令息のご感想はいかがでしたか」


 おや、珍しい。


 いつもなら黙って勉強を見守るだけなのに。


 感想かー。なんて言えば良いかな。


「んー、そうね。最初はとっても高慢な子に見えたわ。

 でも最後は真剣に魔術に向き合ってくれて、一緒に鍛錬できたの。

 とても優秀な人だし、きっと良い兄弟子として関わっていける人じゃないかしら」


 あのまま鍛錬を続けていけば、お父様を超える魔導士になるのも夢じゃない。


 それくらい才気に恵まれた男の子だ。


 私も負けていられないな。


「初手は好印象、といったところでしょうか」


 ウルリケがぽつりと言った言葉を、私の意識が聞き逃した。


「え? 何か言いまして?」


 ひとつ咳払いをしたウルリケが尋ねてくる。


「いえ、なんでもありません。

 それで、よいご友人にはなれそうですか?」


 良い友人かー。それは考えてなかったな。


 私は天井を見上げながら考えた。


「そうねぇ……まだそれほど多く言葉を交わしていないもの。

 今まだ、わからないかしら。でも、それがどうしたの?」


 ウルリケは「えー」とか「あー」とか、ためらいながら言葉を選んでいるようだった。


「……その、これから度々お顔を合わせることになる方です。

 もし険悪になるようであれば、私から旦那様へ一言申し入れしようかと」


「もう! 心配性ね、ウルリケは。

 魔術授業の間はお父様が一緒なのよ?

 問題があれば、お父様が対処してくださるわ」


 ウルリケったら、ちょっと過保護じゃないかな?


 でも、ありがとう、ウルリケ。


 私は心の中でお礼を告げてから、再びノートに向かってペンを走らせた。

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