第16話 魔術の天才(2)

 炎は天高く渦を巻いて燃え盛り、そして消えた。


 残っているのは呆然としている、無傷のジュリアス様。


 髪の毛一本、服のどこにも火があぶった後はない。


 わなわなと震えて長杖を握るジュリアス様がぽつりと告げる。


「まさか、炎の熱を迂回させたと、そう言いたいのか」


 それ! そう『熱』よ『熱』!


 私はジュリアス様の背中をバンバンと音がするほど叩きながら告げる。


「いやー! わかってくれてよかったわ!

 ――お父様、もう鍛錬に戻ってもいいかしら?」


 お父様がうなずいたので、私は離れた位置で砂時計を使った鍛錬をしようと歩きだした。


 私の背中にジュリアス様が声をかけてくる。


「あれほどの炎の熱を全て制御してみせたと、そう言うのか!」


 何を興奮してるんだろう?


 私は振り返ってニコリと応える。


「そうですわよ? 簡単な事でしょう?

 ジュリアス様だって、あれくらいできて当然ではなくて?」


 ジュリアス様が血が出そうな勢いで唇をかみしめていた――なぜ?


 あれほど炎を見事に操れるジュリアス様に、できない訳がないと思うんだけど。


 きょとんとしている私に、お父様が笑い声をあげながら告げる。


「ハハハ! 我が娘ながら、実に鋭角にえぐっていくね!

 ――ジュリアスはね、お前のような細かな魔力制御を苦手とするんだ」


 そうなの?!


 驚いている私に、お父様が説明をしてくれた。


 ジュリアス様だけじゃなく、魔力が強い人ほど細かな魔力制御が苦手らしい。


 なんせ魔導術式は求められる魔力を満たせば発動できてしまう。


 その上、大きな魔力は細かい調整をするのが難しい。


 だから苦労して制御するより、おおざっぱに制御して魔術を使うのが普通なんだとか。


 お父様がふぅとため息をついて告げる。


「その欠点を克服するための課題だったのだが、そこまで理解していなかったようだね」


 ジュリアス様は指先が白くなるほど拳を固く握っていた。


 それならそうと、最初から教えてあげればいいじゃない!


 私は思わずジュリアス様をかばうために声を上げる。


「もう、お父様?! ジュリアス様の炎を大きく曲げる魔術も素晴らしい腕前でしたわ?!

 もっと褒めてさしあげても良いのではなくて?!」


 それに私は『同じことをしろ』と言われてもできないし。


 お父様がニコリと微笑んで私に告げる。


「お前があれを真似できないのは、練習する必要もないからだよ。

 何度かやっていれば、お前ならすぐにできるようになる」


 心を読んで返事をするの、止めてくれないかな?


 お父様がジュリアス様に近づいて行き、声をかける。


「もっと厳しいことを言わせてもらえば、ヒルダの魔力はジュリアスよりも強い。

 だがその上でなお、魔力制御の水準はヒルダの方が上だ。

 ――この違いの意味がわかるかね?」


「……わかりません」


「魔術において最も大切なのは、己の魔力を自在に操ることだ。

 これは基本ではあるが、魔導の深奥しんおうに通ずる奥義とも言える。

 それを上辺だけ理解していたのがジュリアスで、直感で正しく理解していたのがヒルダだ」


 ジュリアス様は歯を食いしばり、悔しそうに地面を見つめていた。


 ……これ以上は、私が何を言っても傷口に塩を擦り込むだけになる。


 私は黙ってその場から離れ、池のほとりに座り込み、砂時計の鍛錬を始めた。





****


「お前、さっきから何をしてるんだ」


「ふぇ?!」


 突然話しかけられて、私の口が間抜けな声を漏らした。


 恥ずかしくなって赤くなりながら、私は説明を試みる。


「えーとね? 砂時計をさかさまに落としている、というか持ち上げてるだけですわよ?」


「ふーん……」


 興味なさそうにジュリアス様が応えた。


 そのまま乱暴に私の横に腰を下ろし、砂時計を見つめてくる。


「あの……なにをしてらっしゃるの?」


「俺のことは気にするな」


 気にするなって言われても、こんなそばで見張られるようにされても気になるってば。


 ――ああもう! 集中しよう!


 私はジュリアス様の気配を意識から追い出し、鍛錬を再開した。


 砂を魔力で一粒だけ掴んで、ゆっくりと動かして天井に張り付ける。


 それができたら次の――


「おい」


 もー、集中したいのに。


 私は嫌々ジュリアス様に応える。


「どうしましたの?」


「これは『砂を一粒ずつ』動かしているのか」


「見ての通りですわね」


「お前の魔力でか?」


「ええ、もちろんですわ」


 ジュリアス様が戸惑うような気配――何を驚いてるんだろう?


「お前、自分がどれほど馬鹿らしいことをしてるのか、理解してるのか」


「馬鹿らしいって……初心者向けの鍛錬でも、真面目にこなせば意味は出ますよ?」


「さっきヴォルフガング様から説明を受けただろう?!

 俺たち特等級の魔力で『砂を一粒』など、狂気の沙汰だぞ?!」


 困惑する様子のジュリアス様に、私は砂粒を掴みながら応える。


「そうはおっしゃっても、現実にこうして出来ていますわよ?」


 しばらく黙り込んでいたジュリアス様が、また声をかけてくる。


「おい、これは……下の砂は固定していないのか」


「そうですわよ? 砂山が崩れたら最初からやり直しですの。

 ですから邪魔しないでくださいね」


 またしばらく黙り込んだ後、またジュリアス様が声をかけてくる。


「……まさかと思うが、天井に張り付いた砂も一粒ずつ制御しているのか」


「そうよ? 魔力で掴んで天井に張り付けたら、それはそのまま維持するの。

 数が増えるほど集中力が必要になるのですから、もう邪魔をなさらないで」


 最初の内は簡単だ。


 だけど数十、数百、数千と増えるほど、意識を振り分ける先が増えていく。


 これのどこが初心者向けなのか、わからないくらい大変だ。


 だけどそれはきっと、私が未熟なせいなのだろう。


 私は無心で砂粒を天井に張り付けていった。


 そして最後の一粒を天井に張り付け終わる。


「――ふぅ。ようやくワンセット終わったー!」


 私は魔力で掴んだ砂を手放し、からからと砂時計を振って砂を落とし始める。


 この砂が落ち切るまでの三分間が休憩時間だ。


 ジュリアス様が慌てたように声を上げる。


「――お前! ワンセットって、こんな馬鹿らしいことを何回やるつもりだ?!」


「何回って……最近は午後になったら夕食の時間まで、ずっとこれだけですわよ?」


「五時間近く?! なぜ魔力が尽きない?!」


 私は額の汗をハンカチで拭いながらジュリアス様に告げる。


「魔力というのは、きちんと制御してあげると驚くほど長持ちするのですわ。

 それでも最後の方はきついのですけれど。

 そうなったら、そこからは精神力の勝負ですわね!

 最後は気合と根性で乗り切ってますわ!」


「なんでそんな……日課だろう?!

 毎日そんな命をすり減らす真似をしてるとでもいうのか?!」


 私はケラケラと笑いながら応える。


「ちゃんと魔力が尽きる前に切り上げますわよ?

 わたくしも命を削ってまで魔術を使いたい訳ではありませんし」


「まさかこんな、命の綱渡りのような真似を、平然と繰り返してると言うのか」


 綱渡り? そんなつもりは、これっぽっちもないけど。


「そろそろこの鍛錬も慣れて来てしまったから、次の課題を探さないといけませんわね」


 ジュリアス様は愕然としながら、無言で私を見つめていた。





****


 砂時計鍛錬に集中するヒルデガルトから、ジュリアスはそっと離れた。


 そして庭を見回し、ヴォルフガングの姿を見つけると、彼に近づいて行く。


 ヴォルフガングは静かな微笑みでジュリアスを迎えた。


「どうしたんだね?」


 ジュリアスは真剣な目でヴォルフガングに訴える。


「俺にも、彼女の鍛錬ができるようになりますか」


「君のセンスなら、そう時間はかからないだろう」


 そう言ってヴォルフガングは、懐から砂時計を取り出し、ジュリアスに手渡した。


 ジュリアスは砂時計をしばらく見つめると、その場に座り込んで砂時計を地面に置いた。


 そして彼女のように、集中して砂を持ち上げ始める。


 最初に持ち上がったのは砂の塊だった。


 次に持ち上がったのも、やはり砂の塊だった。


 ジュリアスの額に、玉のような汗が浮かぶ。


「クソッ! どうやったら一粒なんて持ち上がるんだ!」


 毒づくジュリアスに、ヴォルフガングが告げる。


「君が望むなら、魔力同調しても構わないが、どうするね」


 ジュリアスは砂時計を見つめて逡巡したあと、ゆっくりとうなずいた。


「……お願いします」


 ヴォルフガングの魔力がジュリアスの身体を包み込み、彼の魔力に溶け込んでいく。


 次の瞬間、砂時計の中で砂が一粒だけ持ち上がった。


「これで感覚はわかったかな?」


「……こんな繊細な魔力制御を、彼女は続けてるんですか」


 ヴォルフガングが魔力同調を切り、ジュリアスに告げる。


「静かな心を保ちなさい。集中し、無心になるんだ。

 あとは集中力の問題だね」


 ジュリアスがうなずき、砂時計に魔力を向ける。


 次に持ち上がった砂の塊は、さっきよりも小さなものだった。


 ジュリアスは無言で『砂一粒』を目指し、鍛錬を繰り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る