第14話 閑話~ある侍女の視点~
私はベーメン男爵家の次女として生を受けた。
魔力は最低ランクの三等級。
残念ながら、魔術の才能には恵まれなかった。
だけど持ち前の勤勉さと頭の回転を活かし、学業で才能を発揮した。
領地の貴族学校を首席で卒業した後、親戚の伝手を頼り、侍女として就職した。
就職先はファルケンシュタイン公爵家。
レブナント王国で一、二を争う名門貴族だ。
三年の下積み生活で、私は立派に胸を張れる侍女となっていた。
五年も経つ頃には、同僚たちから頼りにされる、そんな立場を得ていた。
ある日私は、旦那様から話を切り出された。
「君を見込んで頼みたいことがある。
話を聞いてもらえるかな?」
旦那様は若くして宰相を務める男。
その冷徹な瞳が優しく私を見つめていた。
私は毅然とした態度で応える。
「はい、構いません。
それで、どのような内容でしょうか」
「父上から『有能な侍女が欲しい』と頼まれてね。
それなら君が適任だろう、という判断だ」
前ファルケンシュタイン公爵は厳しい男だったと聞く。
不正や怠惰を許さず、筆頭宮廷魔導士として王国を牽引してきた経歴の持ち主だ。
現在はグランツ領伯爵となり、魔導学院の経営に専念しているらしい。
立派な人物ではあるが、おそらく気難しい人物だ。
それで自分に白羽の矢が立ったのだろう。
「かしこまりました。
拝命いたします」
旦那様はニコリと微笑んで告げる。
「父上は怒らせると、とても恐ろしい人だ。
くれぐれも気を付けておいた方が良い」
その日から私は、グランツ伯爵家に仕える侍女となった。
意外なことに、新しい旦那様は穏やかに笑う老人だった。
気品に溢れた貴族ではあるが、気難しい印象を持つことはなかった。
ある冬の日、旦那様が朝から出かけていった。
昼過ぎに帰宅すると私を呼び出し、ひとつの命令を与えた。
「孤児の少女を引き取る。
ウルリケには、その子の専属侍女となってもらう」
これにはさすがに驚きを隠せなかった。
「孤児……ですか。
はい、わかりました。
その少女をサポートすればよろしいのですね」
「うん、頼んだよ」
十四歳まで孤児院で育った少女だ。
突如として降って湧いた伯爵令嬢の地位。
それに溺れることが無いよう、私が監視し補佐していかねばならない。
生粋の貴族子女ですら地位に溺れ、責務を忘れる愚か者は珍しくない。
孤児から一転しての貴族生活。
贅沢に溺れるのが容易に想像できた。
だけど私がそばに付き従う以上、そのような醜態を許しはしない。
そのための私なのだ。
翌朝、少女を孤児院まで迎えに行った。
孤児院で出会った少女は、小柄で可憐な少女だった。
左目が異質な以外、取り立てて変わったところもない。
その顔に、幸運で浮かれるようすは少しも見られなかった。
何かを憂うように窓の外を眺めていた。
しばらくすると、彼女の口から大きなため息が漏れた。
突然、見ず知らずの男に引き取られる。
そんな境遇を不安に思っているのだろう。
「お嬢様、旦那様は立派なお人柄をしてらっしゃいます。
ご心配には及びませんよ」
少女はこちらに振り向き、興味がなさそうに告げる。
「領主様のことは心配していません。
どんな人なのか、だいたいわかりましたから」
少し驚いた。
旦那様は昨日、わずかな時間しか、この少女と会っていなかったはず。
その短い時間で、『旦那様の人柄を見極めた』と言ったのだ。
「ではなぜ、そのようなため息を?」
思わず口をついて出た。
聞かずにはいられなかった。
「これから勉強しなければならない知識の量に、圧倒されていただけです」
少女は心底憂鬱そうに応えた。
この子供は、貴族の責務を理解している。
高位貴族の子女になることの意味を、きちんと理解しているのだ。
貴族としての素質を持っていると言える。
「それを理解しているだけでも及第点です」
少女に心からの賛辞を送った。
だが少女は、私の言葉に心を動かされる様子がなかった。
彼女は再び窓の外を眺め、憂鬱そうに告げる。
「ほめてくださったのは感謝します。
でもその期待に応える自信はありません」
――仕え甲斐のある主人だ。そう確信した。
****
屋敷に着いても、少女の気持ちが晴れることはなかった。
大勢の従者にかしずかれても、心を動かすそぶりも見せない。
ただまっすぐ前を見たあと、少女が大きな声で告げる。
「みなさん、よろしくお願いします!」
そう言って、勢いよく頭を下げていた。
彼女なりの、精一杯の誠意なのだろう。
旦那様が現れ、彼女に告げる。
「私のことは『お父様』とでも呼びなさい」
途端に少女の顔が柔らかくなった。
「――はい! お父様!」
可憐な笑みだった。
心から笑っているのが見て取れた。
孤児の少女にとって、父親というのは憧れのひとつだったのだろう。
****
少女を着替えさせ、旦那様の書斎へと案内した。
そこで旦那様は、彼女に今後の予定を伝えていた。
どうやらグランツに通わせるつもりらしい。
あそこはエリート養成機関だ。
そこに春から通わせるなど、非現実的な話だった。
仮に入学できたとしても、周りは貴族子女ばかり。
きっと彼女は、侮蔑の眼差しでみられるだろう。
旦那様が少女に告げる。
「そこに通うのは貴族ばかり。
だからお前は、貴族の教養や振る舞いを身に付ける必要がある。
それができなければ、周囲から侮られる。
お前も、そんなことで侮られるのは嫌だろう?」
少女は小さくうなずいた後、堅い決意の炎を目に宿していた。
この少女であれば、あるいは――そう思わせる目だった。
****
書斎から部屋へ戻る途中、少女が私に告げる。
「あの、ウルリケさん。
お願いがあるんですけど、よろしいでしょうか」
「貴族は家人――従者や使用人に対して、敬語など使いません。
そういった態度は侮られる元です」
これもつい、口をついた。
この少女が侮られる姿など、見たくはない。
そう思ってしまった。
少女は少し考えたあと、改めて言い直す。
「ウルリケ、夕食まで何時間ありますか」
時刻を確認する。
夕食まではだいぶ時間がある。
この後は屋敷を案内する予定だった。
残った時間は、部屋でくつろいでもらえばいい。
そう考えていた。
「……四時間少々ですが、いかがなさいました?」
少女が突然、私の手を両手で握りしめた。
「お願いウルリケ! 今夜の食事に必要な振る舞いを、できる限り教えて!」
少女の瞳は決意に燃えていた。
なんて貪欲なのだろう。
一分一秒でも無駄にしたくない、その決意の固さが伝わってきた。
その後、請われるままに基本的なテーブルマナーを教えた。
飲み込みが早い上に、納得がいくまで何度でも繰り返していた。
その日の夕食では大きなミスもなく、見事に食事をこなしてみせていた。
――まったく、本当に仕え甲斐のある主人だ。
****
翌日から、少女の教養と所作の授業が始まった。
だが私が少女を起こしに行くと、少女は既に起床していた。
自力で教本を読み込み、繰り返し練習しているようだった。
「おはようウルリケ!
いいところにきてくれたわ!
私の動きが教本通りか、見てもらえる?」
請われるままに指導を繰り返した。
これでも貴族の一員であり、所作もそれなりに修めている。
元は公爵家に仕えた侍女だ。
相応の自負もある。
教本では不足しているポイントも指摘しつつ、指導を続けた。
****
午後の授業が終わると、今度は復習が始まった。
朝と同じように指導を繰り返す。
その日に習った分は、見事にものにしていた。
それに満足せず、さらに洗練させようと反復練習していた。
――時計を見る。職務が終わる時間だ。
「お嬢様、私はそろそろ下がらせていただきます。
お嬢様もお休みください」
「私はもう少し復習します。
ありがとうウルリケ。
下がっていいですよ」
少女は頑固だった。
彼女を就寝させることも職務の内だ。
だが彼女は頑として譲らなかった。
「ほどほどにしてください」
私は根負けして、その晩は下がった。
****
異変に気付いたのは三日目の朝だった。
少女の目にクマができている。
「お嬢様、まさかお眠りになられて居ないのですか」
「まさか! ちゃんと寝てますよ?」
彼女の就寝時間を確認した。
彼女の部屋からは、午前三時近くまで物音が聞こえた。
まさかと思い、そのまま起床時間も調べた。
五時前にもう、中から少女が予習をする気配がした。
下手をすると二時間も寝ていない。
信じられなかった。
そこまでする理由がわからない。
こんな生活が長続きするはずがない。そう思った。
だが彼女は三週間が過ぎても、その生活をやめなかった。
「お嬢様、それ以上はお身体を壊します」
「今の私に、怠けている暇などないのです!」
少女――お嬢様は譲らなかった。
ご自分が納得するまで研鑽を続けた。
侍従からも制止するよう言われた。
「お嬢様が納得されない限り、止まることないでしょう」
そう応えるしかなかった。
****
当初こそ『孤児を引き取る』と聞き、眉をひそめる同僚はそれなりに居た。
我々にも、従者としての矜持がある。
それが『孤児に仕えろ』と言われ、腹に抱えるものくらいあったはずだ。
だけどお嬢様の日々を見守るうちに、彼女を侮る者は居なくなった。
今では皆が、胸を張ってお嬢様にお仕えしているように見えた。
私もいつしか、お嬢様に仕えることに誇りを持つようになった。
その気持ちが肉親に対する情に近いものに変わるのに、そう時間はかからなかった。
だが私がそれに気づくのは、もう少し後の話になる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます