第4話 究極の選択
ヴォルフガング・フォン・ファルケンシュタイン。
現在の爵位はグランツ領伯爵。
だが元々はファルケンシュタイン公爵という、レブナント王国屈指の貴族だった。
家格は国内で一、二を争い、他家の追随を許さない。
魔導に長け、『周辺諸国でも並ぶ者は居ない』とまで言われた大魔導士。
筆頭宮廷魔導士を長年勤めあげ、国王の懐刀として国家を支えてきた男だ。
人柄は高潔にして誠実。
『高い能力を持つ者は、国家に貢献する義務を持つ』が持論の男だった。
その持論通りの人生を歩んできた自負を、彼は持っていた。
高い能力で国家を支え続けてきた男は、老境を機に現役を退いた。
現在は小さな領地を経営しながら、後進の育成に励んでいる。
――そして今、新たな人材を見つけたのだ。
言葉を失って呆然とするヒルデガルトに、ヴォルフガングは丁寧に説明していった。
私は領主様の言葉を、
自分で『充分な地位と力を持つ』というだけあって、立派な経歴だ。
しかも『誠実に生きてきた』と胸を張って臆面もなく言えるなんて、普通の神経じゃできない。
だけどそこまで高貴な貴族が、孤児である私に誠実な態度を貫き通している。
その言葉と態度に嘘はないのだろう。
領主様が『私を引き取りたい』と言った真意も理解できた。
私を『次世代を支える有望な人材』として定めたんだ。
それなら領主様の目的を満たせるから、引き取るメリットはある。
領主様は私欲より公益を尊ぶ人。
その言葉は、するりと心に飲み込まれて行った。
領主様が穏やかに告げる。
「どうだろう。養女になることを検討してみてはもらえないかな」
ほら、ここでも無理強いをして来ない。
あくまでも私の選択を尊重してくれる。
この人が私を保護してくれると言うなら、それは選択肢として考えてもいいだろう。
だけど――。
「私に貴族が務まると思いますか?」
領主様が楽しそうに微笑んだ。
「君は務まらないと思うのかね?」
だって、貴族の養子になるってことは、たくさんの勉強が必要だ。
ほとんどの貴族は領地を持って、領民の生活や人生を背負うことになる。
女性だからって責任から逃れられる訳じゃない。
特権階級には、相応の義務と責務がセットで付いてくる。
それを背負う覚悟や自信なんて、私にはない。
努力して必死に勉強すれば、もしかしたら届くかもしれない。
……当てのない逃亡生活と、どっちがマシだろうか。
ベッドの上で悩んでいる私に、領主様が告げる。
「私は院長と話をしてくる。
君は自分がどうしたいのか、戻ってくるまでに決めておいてほしい」
領主様は椅子から立ち上がると、部屋から出て行った。
……自分がどうしたいのか、か。
私はベッドに倒れ込み、どちらがマシな人生か、検討を始めた。
****
孤児院の応接間に、院長とヴォルフガングの姿があった。
ヴォルフガングが紅茶に口を付けてから告げる。
「聡明な子だね」
院長は膝の上でティーカップを包み込み、赤い水面に目を落としていた。
水面に昔日が映っているかのような遠い目をして、院長が応える。
「昔から利発な子でした。とても頑張り屋なんです。
夜遅くまで一人で勉強するような、そんな子でした」
よく笑い、周囲から愛されるべくして愛される少女は、努力家でもあった。
自分を高めるためなら、努力を惜しまない少女だ。
院長にもっと力があれば、高等教育を受けさせてあげたかった。
院長の目がヴォルフガングを見つめる。
「あの子をどうするおつもりですか」
「私が養女として引き取り、育てていこうと思っている。
彼女には提案し、考えてもらっているところだ」
領主の言葉だ。院長に拒絶する力などない。
だがそれでも、我が子のように慈しんできた少女。
あの子が不幸になるのであれば、阻止してみせる――そんな決意を込めた眼差しで院長はヴォルフガングを睨み付けた。
「何をお考えか、お伺いしてもよろしいですか」
ヴォルフガングは紅茶をテーブルに戻し、楽し気に微笑んだ。
「彼女の夢を応援したいと、そう思ってね」
院長がきょとんとした顔で応える。
「ヒルダの夢を?
あの子の夢は、ありふれたお嫁さんになることですよ?」
「今のあの子の境遇で、『ありふれた』は無理だ。
『穏やかで慎ましい生活』も、許されないだろう。
だが『温かい家庭』なら、まだ望みはある」
呆然とする院長に、ヴォルフガングは微笑みかけた。
「私はね、あの子に望まぬ婚姻をさせたくないと、そう思ってしまったんだよ。
だから私が引き取り、守って行きたい。
――まぁ、年寄りの酔狂だと思ってくれればいい」
院長は困惑しながら考えた。
領主の人柄は、制度を通して知っている。
この孤児院の子供たちが健やかに成長し、立派に社会に出て行けるのも、ヴォルフガングが整備した支援制度の恩恵が大きい。
院長の実家の出資や善意の寄付だけでは、孤児院を経営できない。
それを支えてくれているのが、ヴォルフガングという男だった。
この男がここまで言うのであれば、信じてみてもいいのかもしれない。
孤児でも領民の一人として、大切に扱う男だ。
この孤児院で、今のヒルデガルトを支えることはできない。
そんな彼女のことも、大切にしてくれるだろう。
院長の目から、迷いと険が薄れていった。
「お任せしても、よろしいでしょうか」
ヴォルフガングが頼もしい微笑みを浮かべてうなずいた。
「引き受けよう」
****
私が部屋で人生プランを検討していると、部屋の中に院長先生が入ってきた。
「ヒルダ、ちょっといいかしら」
私は起き上がって応える。
「なんですか? 院長先生」
院長先生はベッドサイドの椅子に腰かけ、私に告げる。
「話はぜんぶ伺ったわ。
あなたは領主様の元へ行くべきだと、私は思うの。
大変だと思うけど、たぶん一番良い結果が待っているはずよ」
そっか、院長先生はそう判断したのか。
大人の院長先生もそう考えたなら、この選択肢が一番『マシ』なのだろう。
私は黙って院長先生にうなずいた。
そして、視界の隅――部屋の入り口に立っている領主様を見る。
領主様は、変わらず穏やかに微笑んでいた。
「決心がついたかね?
では明日の朝、改めて迎えに来よう。
今日中に養子縁組の手続きを済ませてくるよ」
随分と気が早いな。
さてはせっかちだな?
院長先生は領主様とうなずきあい、部屋から出て行った。
部屋には入れ替わりに孤児仲間たちが入ってきて、私に告げる。
「ヒルダ! もらわれて行っちゃうのかよ!」
「行かないで! ……なんて、私たちには言えないけど」
黙って泣き出す子もいた。
私はみんなに笑顔を向けて告げる。
「もう会えなくなっちゃうかもだけど、私は大丈夫!
だからみんなも一緒に頑張ろう!
私たちは仲間だよ! 離れていてもね!」
抱き着いてくる仲間たちを受け止めて、彼らを慰めた。
その日の晩は、私を送り出す夕食が開かれ、涙と笑いが混じり合う夜を過ごした。
****
翌日、朝早くから支度をして孤児院の外で迎えを待った。
支度と言っても、孤児院から持って行く物なんてない。
いま着ているコットンのワンピースと、この体が荷物の全てだ。
院長先生や仲間たちも、見送りに出て来てくれた。
みんなで朝の寒さに凍えながら、ただ迎えを待つ。
やがて孤児院の敷地に馬車が入ってきて、私たちの前で止まった。
馬車から一人の女性が降りてきて、私にお辞儀した。
「ウルリケと申します。
本日付でヒルデガルトお嬢様の専属侍女を拝命しました。
以後、お見知りおきください」
マロンブラウンの詰めた髪の毛と、線の細い体付き。
だけど瞳には意志の強さが宿っていて、『できる女』のオーラが漂っていた。
私もお辞儀をして応える。
「よろしくお願いします、ウルリケさん」
私は院長先生たちに振り返って告げる。
「それじゃあ、みんな! 元気でね!」
泣き出す仲間たちに笑顔を向けながら、私は馬車に乗りこんだ。
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