第3話 愛の渇望
私は孤児だ。
冬の朝、孤児院の前に捨てられていた赤ん坊だった。
身元を知らせる物は何もなく、名前すらわからなかったらしい。
院長先生は私に『ヒルデガルト』という名前を付けた。
たくさん居る子供たちの中で、私を識別するだけの名前だ。
親の顔も、声も知らない私は、切実にそれを求め続けた。
親の愛を求め、心は愛で渇いていた。
院長先生はとても優しくて、子供たちを等しく慈しんでくれる。
だけど子供の心はわがままで、『自分だけの愛』を求め続けた。
子供が『もっと自分を見て欲しい』と願う心を、誰も否定は出来ないと思う。
この気持ちを表に出したことはない。
だけど愛の渇望を止めることはできなかった。
いつしか、私の夢は『可愛いお嫁さん』になっていた。
穏やかで慎ましく、暖かな家庭を持ちたかった。
そして生まれてくる子供たちに、私がもらえなかった分だけ、愛を注いで育てたかった。
愛されて幸せに笑う子供たちを、微笑んで見守りたいと願っていた。
『愛される子供たち』を見て満たされたいと思ってしまった。
夫は優しい人であれば良かった。
優しく私を愛してくれる人と家庭を築く。それが私の目標だ。
――それなのに。
泣き疲れて涙が枯れた私に、領主様が優しく声をかけてくる。
「少しは落ち着いたかい?」
私はタオルで顔を拭きながら、うなずいた。
領主様が言葉を続ける。
「申し訳ないが聞こえてしまった。
『これじゃあ、可愛いお嫁さんになれない』というのは、どういうことかな?」
どうやら、泣きながら余計なことを口走っていたらしい。
渋々、私は領主様に応える。
「私は普通のお嫁さんになりたいんです。
穏やかで慎ましく、温かい家庭を築きたかった。
でもこの目じゃ、夫になってくれる人を探すのも一苦労です」
人は異物を嫌うものだ。
異物そのものの精霊眼。
しかも片目だけが、異物に変化している。
こんなグロテスクな外見の女の子が、お嫁に行けるとは思えなかった。
だけど夢を諦める訳にもいかない。
なんとかして、夫になってくれる人を探し出さないと。
領主様が微笑まし気に私に告げる。
「とてもいい夢だね。素敵な夢だ。
大丈夫、『精霊眼だから結婚できない』ということはない。
既婚者だって居る、その程度の瞳だよ」
そうなのか。なら、少しは望みがあるのかな。
せめて両目とも精霊眼だったならなぁ。
このアンバランスな顔で、本当に夫を見つけられるかな。
考えこんでいる私に、領主様が告げる。
「実は精霊眼にはもう一つ、大事な特徴があるんだ」
私は領主様を見上げて尋ねる。
「特徴? 特徴ってなんですか?」
「とても高い魔導の素質を持つ、というものだよ。
国内の精霊眼保持者は、みな魔導士になっているくらいだ」
魔導士――魔力を使って魔導術式という技を操る職業だ。
俗に『魔術』と呼ばれるその技術は、貴族の世界で重宝されてるらしい。
平民は魔力が低い人ばかりなので、ほとんど縁がないと聞いた。
私も十二歳の魔力検査で調べてもらったけど五等級、つまり『魔力無し』だった。
三等級なら高等教育の学費が免除になったのに。
高等教育は学費が高いから、孤児が通える学校じゃない。
悔しい思いをしながら、この二年間を過ごしてきた。
私はふてくされるように領主様に告げる。
「魔導の素質って言われても、私は五等級なんですけど」
「それなんだがね?
君は後天的な精霊眼だ。魔力にも、変化があるかもしれない。
一度、再検査をしてみても構わないかな?」
そんなの、私が寝てる間に調べてしまえばよかったのに。
わざわざ起きるのを待って、同意を求めてきた。
『勝手にプライバシーを調べる』ことを嫌う人なのか。
領主様の癖に、律義な人だな。
私はうなずいて応える。
「構いませんよ。十二歳の時と同じなんですよね?」
領主様が「ああ、そうだよ」と言って、足元の鞄から水晶球を取り出した。
私はそれを手渡され、両手で握りこんだ。
「それじゃあいくよ、力を抜いて」
領主様の言うままに体をリラックスさせる。
領主様の手のひらが私の額に押し当てられ、その手が淡く輝いた。
――同時に、水晶球に赤い光が灯っていた。
炎のようなその光は水晶球の中で燃え盛り、見る間に大きくなっていく。
昼間だというのに太陽の光すら遮り、水晶球からほとばしる赤い光が部屋を染めていく。
その光はもう、直視することもできなかった。
「ほぅ……」
領主様が感心する声が聞こえた。
その手が私の額から離れると、水晶球の光は急速にしぼんでいった。
あっという間に赤い光は消え失せ、ただの水晶球に戻っていた。
……なんだろう、十二歳の時とまるで違う。
あの時は部屋を暗くしないとわからないくらい、淡い光だった。
これはいったい、何が起こったの?
領主様が私の手から水晶球を受け取って告げる。
「君は特等級だね。それも見たことがないほど高い魔力だ。
おそらく、国内随一の強さを持つだろう」
私は小首をかしげて尋ねる。
「特等級ってなんですか?」
領主様がニコリと微笑んで説明してくれた。
魔力は人間なら誰しもが持っている力だ。
その強さは五段階。五等級から一等級まである。
平民は『魔力無し』の五等級から四等級、ごくまれに三等級が生まれるくらい。
貴族は血が濃くて、最低三等級から一等級らしい。
魔力は子供に遺伝すると言われてるので、血筋の良さを現すステータスだ。
……ここまでは、勉強しているので知っていた。
でもごくまれに、一等級より高い魔力を持つ人が生まれるらしい。
上限もわからない、そんな人たちをひとくくりに『特等級』と呼ぶのだとか。
人口三十万人を誇るレブナント王国でも、今まで二人しか居なかったらしい。
一人は領主様、もう一人はそのお弟子さん。
そして今日、私が三人目として加わった。
精霊眼より珍しい、三十万人に三人しか居ない、特異体質だ。
私は必死になって領主様に告げる。
「この魔力、小さくは出来ないんですか?!」
領主様が驚いたように片眉を上げた。
「魔力を小さく? なぜそんなことを?」
「だって、私の夢を叶えるのが更に難しくなるじゃないですか!
そんな責任が重たい力、私には分不相応ですよ!」
領主様の目の色が変わったような気がした。
領主様が私に告げる。
「……そういえば、君の名を聞いていなかったね」
「ヒルデガルト、みんなは『ヒルダ』と呼びます」
領主様がうなずいて応える。
「きちんとした自己紹介がまだだったね。
私はヴォルフガング・フォン・ファルケンシュタイン。
先ほど言った通り、グランツ伯爵だ。
――ヒルダ、君は自分がこれからどうなるか、わかるかな?」
これからか。
私は頭を回転させながら、領主様に応えていった。
まず『この国に三人しか居ないほど高い魔力を持つ孤児』の噂が流れる。
そんな高い魔力、貴族たちが放っておくわけがない。
孤児なら引き取るのも簡単だ。
そして養子にして、政略結婚を企てる。
これほど高い魔力なら、縁談には困らない。
自分の家より上位の家と縁を繋ぎ、力を増す道具にされる。
そんな空虚な結婚を認める訳にはいかない。
不幸が約束されてるようなものだし。
だけど私には力がなければお金もない。
だから私にできるのは、噂が広まるより早く身を隠して逃げること。
当てがなくても身分を隠して、逃亡する人生を送ることぐらいだ。
私が言い終わると、領主様は感心するようにうなずいた。
「そうだね、おそらく君の言う通りの流れになるだろう。
だが当てのない逃亡生活では、野垂れ死にするようなものだ。
そんな手段を取るより、良い選択肢があるとしたら――君はどうする?」
「良い選択肢? いったい何があるっていうんですか?」
領主様がニヤリと微笑んだ。
「充分な地位と力を持つ貴族が、君を引き取ればいい。
他家に結婚を強制されないほど強い家がね。
そうすれば、君は逃げなくてもよくなる」
私は思わず声を荒げて反論する。
「そんな酔狂な貴族様が、どこに居るっていうんですか!」
十四歳、あと一年で成人する年齢で、基礎教養しか勉強してこなかった。
その上、政略結婚の道具にもならないんじゃ、私を引き取る貴族のメリットがない。
無駄飯食らいの私を引き取る貴族が居るわけがない!
今にも噛みつきそうな私に、領主様が穏やかに応える。
「目の前に居るよ」
「……はい?」
領主様の言ってる意味がわからず、私は小首をかしげた。
領主様が微笑みながら告げる。
「私が君を引き取ろう、ヒルダ」
その言葉に、私は思わず言葉を失った。
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