第2話 神様の贈り物

 ――静かな浮遊感を感じながら、私は暗闇に落ちていく。


 真っ暗で何も見えない。


 どこまでもどこまでも深い闇の中を、私の身体はただ落ちていった。


 音もなく、光もない。空気さえないかもしれない。


 ――あれ? でも何か、遠くから聞こえてくる。


 誰かの……声?


 思い切って呼び掛けてみる。


「誰か居るんですか! ここはどこですか!」


『おや、私の声が聞こえるのかな?』


 かすかに、とても小さな声が聞こえた気がした。


「あの! あなたは誰ですか?!」


『私は豊穣の神。君を見守る者だよ』


 ……神様って言った?


「あの! 本当に神様なんですか?!」


『ああ、そうだ――そろそろ危険だ。君は元の場所に帰りなさい』


 帰れって言われても、ここはどこなのよ?!


 だけど私の意識はすぐにどこかに弾き飛ばされ、そして光に包まれた――。





****


 はっと目が覚める。


 目の前には見知った天井。木造の、孤児院の部屋。


 空気が凍えてる。この感じは……朝、なのかな。


 すぐそばから院長先生の声が聞こえる。


「――ヒルダ! 目が覚めたのね!」


 声のする方に目を向けると、院長先生がベッドサイドの椅子に座っていた。


 安心した様な笑顔の院長先生が、私に告げる。


「あなた、三日三晩も高熱を出して寝込んでいたのよ?!

 だいじょうぶ? 苦しい所はない?」


 苦しいところ……。


「なんだか体が汗臭いです」


 院長先生がふぅ、と小さく息をついた。


「よかった、すっかり元気になったみたいね。

 今着替えを持ってくるから、着替えてしまいなさい」


「はい、院長先生」


 院長先生は椅子から立ち上がり、私の洋服ダンスに向かった。


 私はパジャマの上を脱いでいく。


 ベッドサイドを見ると濡れタオルが絞って置いてあった。


 タオルを手に取り、身体を拭いて行く。


 冬の朝は寒いけど、汗でべたつく身体も気持ち悪い。


 寒さを我慢して一気に拭き終わると、院長先生が新しいパジャマを渡してくれた。


「はい、あなたのパジャマよ――」


 私にパジャマを渡した格好で、院長先生が固まっていた。


 私は新しいパジャマに着替えながら、院長先生を見上げる。


「どうしたんですか? 院長先生」


 驚いた顔で目を見開く院長先生が、たどたどしく告げる。


「ヒルダ、あなた、目が」


 目? 目がどうしたんだろう。


 確かになんだか、左目がゴロゴロするけど。


「院長先生、手鏡を取ってくれますか。

 目にゴミが入っちゃったみたい」


 戸惑うように院長先生が部屋を見回し、机の上に置いてあった手鏡を手に取った。


 院長先生は私に振り向き、震える手で手鏡を渡してくる。


 ……どうしたんだろう?


 私は手鏡を受け取ると、自分の左目を鏡に映し出した。


 そこに映ったのは真っ赤な瞳。


 充血してるわけじゃない。


 赤い宝石をはめ込んだかのような無機質な輝きが、私の目の中にあった。


 人間味を感じないその瞳からは、感情を感じ取ることができない。


 右目を映すと、困惑する私の目が見える。


 こちらは生まれ持った鈍色の瞳。特に異常はないみたいだ。


 再び左目を鏡に映し出し、赤い宝石のような瞳が見えた。


 私は思いっきり息を吸い込み、心の限り声を張り上げる。


「なにこれえええええええ!!」





****


 頭の混乱が収まり、私は院長先生に涙目で告げる。


「院長先生! なんですかこれ! 病気なの?!」


「私にも分からないわ。初めて見るんだもの。

 でも、すぐにお医者様を呼んできますからね。

 あなたは横になって待っていなさい」


 院長先生は小走りで部屋の外へ駆け出していった。


 私は手鏡に目を戻し、今度は顔全体を映し出す。


 顔が腫れてる、ということはないみたい。


 ニコリと微笑むと、鏡の中の女の子もニコリと笑った。


 これでも顔が整っている自覚くらいはある。


 密かな自慢で、こうして鏡を覗き込んでは『よし、可愛い!』と気合を入れる。


 だけど今は、とても可愛いとは思えなかった。


 左目に異物がある。


 可愛い顔が台無しだ。


 柔らかい印象の顔で、左目だけが無機質な宝石に変わっていた。


 そのグロテスクな顔が、悲し気に眉をひそめてる。


 涙でにじむ視界で、手鏡をベッドの上に放り出す。


 袖口で涙を拭いながら、見ていた夢を思い出した。


 たしか、神様の声が聞こえた気がする。


 何を話したかは覚えてない。


 でも確かに、神様と話をした。


 ――それじゃあこの目は、神様の贈り物ってこと?


 ただの病気であって欲しい――切実にそう願いながら、私はベッドに横たわった。


 熱病でうなされた私の体力は戻ってないらしい。


 私はすぐに意識を手放した。





****


 眩しい光が目に入って目が覚める。


 光を手で遮りながら目を開けた。


 部屋の中に、空の高いところから強い日差しが差し込んでいた。


 たぶん、お昼前後だろう。


 私はいくらか元気になった体を起こし、ベッドの上で伸びをする。


「んー! よく寝た!」


「おや、目が覚めたかね?」


 近くで男の人の声が聞こえて、慌ててそちらに振り向いた。


 ……ダンディなお爺さんだなぁ。


 私の第一印象はそれだった。


 白いものが多く混じった深い灰色の髪。


 その髪は丁寧に後ろに撫で付けられ、額があらわになっている。


 髭はきちんと剃られ、清潔感があった。


 しわが刻まれてても、輪郭は凛々しく引き締まっている。


 とても背が高く、座っていても見上げる必要があった。


 年齢は……五十代くらいかなぁ。


 お爺ちゃんと呼ぶには可哀想な、でも年を取った人だ。


 ――あれ?! 院長先生は?!


 私は急いで目を部屋に走らせた。


 部屋の中には私と、このお爺さんだけ。


 入り口の扉は閉められていた。


 私はお爺さんから見えないように拳を握り、いつでも殴りかかれるように備える。


 人の良さそうな微笑みを浮かべていても、危険じゃない保証なんかない。


「どなた、ですか」


 お爺さんが微笑みながら応える。


「ああ、大丈夫。そんなに怯えなくていいよ」


 彼は読んでいた本を閉じてサイドテーブルに置き、私に向き直った。


 私は彼からなるだけ遠くに移動する。


「ハハハ、だから大丈夫だよ。安心をしなさい。

 私はグランツ領伯爵。わかりやすく言えば、ここの領主だね」


 私はきょとんとして尋ね返す。


「領主? 領主様? 一番偉い人?」


 お爺さん――領主様は微笑みながらうなずいた。


 私はおずおずと尋ねる。


「なんで領主様が居るんですか」


「町医者から『精霊眼が見つかった』と報告を受けてね。

 面白そうだから、直接見に来たんだよ」


 『面白そう』って。暇か。領主様は暇なのか。


 貴族は仕事がたくさんあって忙しいって勉強したのに。


 ――いや、それよりも。


 私は領主様が口にした単語について尋ねる。


「その、『せいれいがん』ってなんですか?」


 領主様がうなずいて、穏やかな声で応える。


「昔から、稀に生まれ持ってくる人間がいる瞳だ。

 このレブナント王国でも、百人くらいは居るんじゃないかな。

 伝承では『人ならざるもの』を見ることができるとある、不思議な目だよ」


「人、ならざるもの?」


「ああ、もちろんただの言い伝えだ。

 実際にそんなものが見えた、という話は聞いたことがない。

 そして君のように、後天的に精霊眼になった者の話も、初めてだ」


 後天的な精霊眼……。


 私は慌てて領主様に尋ねる。


「じゃあこの目は病気じゃないんですか?! 治らないんですか?!」


 領主様が落ち着いた声で応える。


「病気というより、体質だろう。

 だから治ることはないと思うよ」


 私は死刑宣告を受けた気分で、その言葉を聞いていた。


 涙を流しながら、私は声を上げる。


「神様っ! あんまりですぅぅぅぅーっ!」


 私は枕につっぷして泣き出した。

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