新約・精霊眼の少女

みつまめ つぼみ

第1章:精霊眼の少女

第1話 そして歯車は回り出す

「なにこれえええええええ!!」


 朝の凍えた空気で澄み渡る、孤児院の一室。


 静寂は彼女の絶叫で破られた。


 手鏡に映る自分の左目を、彼女は呆然と見つめている。


 それは非人間的で無機質な、宝石のような赤い瞳。


 彼女は運命が、この日この時から一変したことを悟った。


 人ならざる瞳を見つめ、少女は言葉を失った。



 ――話は、三日前にさかのぼる。





****


 静寂が支配する、静謐せいひつな洋館。


 その一室に、艶やかで長い金髪をまとった細身の青年の姿があった。


 庶民のようにラフな服装をしているが、顔つきは言葉にできないほど美しい。


 余るものはなく、足すものもない。調和された美がそこに居た。


 優雅にソファに腰かけながら、青年はどこか遠くを見るような目つきをしていた。


 彼の眉がひそめられ、形の良い唇が動く。


「ふむ……これはまずいな。あと三年か」


 少し考えた青年は、軽く指を鳴らす。


 パチンという破裂音が室内に鳴り響く。


 扉を勢いよく開けて、手のひらサイズの少女が二人、空を飛んで飛び込んできた。


 白髪の少女が元気に告げる。


『お呼びですかー! 豊穣の神ー!』


 黒髪の少女が静かに告げる。


『突然、何事ですか』


 金髪の青年――豊穣の神がニコリと微笑んで少女たちに告げる。


「来てくれたか、アールヴ、ドヴェルグ。

 君たち精霊に頼みたいことがあってね」


 少女たちが豊穣の神に近づき、小首をかしげた。


 豊穣の神が握りこんだ左拳を少女たちに掲げ、そして開いた。


 手の中には赤い宝石が一対、輝いていた。


 白髪の少女――アールヴが声を上げる。


『――これは、精霊眼じゃないですか!』


 黒髪の少女――ドヴェルグが驚いて目を見開いて告げる。


『豊穣の神が精霊眼を作るだなんて、何千年振りでしょうか』


 豊穣の神が少女たちに告げる。


「この目を『ある少女』に届けてもらいたい。

 なるだけ急いでね。

 君たちどちらかで構わない。頼めるかな」


 アールヴが困惑したように応える。


『豊穣の神のお願いなら、断りはしませんですが。

 いったい何事なのですか』


 豊穣の神が美しい微笑みで応える。


「今はまだ多くは語れない。未来が変わってしまうからね。

 だがその少女が居ないと、地上が少し大変なことになる」


 アールヴが元気に応える。


『わかりましたのです!

 そういうことでしたら、私に任せて欲しいのです!』


 ドヴェルグが小さく息をついて告げる。


『アールヴだけに任せておけません。

 私も同行します』


 二人の少女が宝石を一つずつ胸に抱えた。


 豊穣の神がニコリと微笑んで告げる。


「頼んだよ。アールヴ、ドヴェルグ」


『ハイなのです!』


『お任せください』


 二人の小さな少女は、勢いよく部屋から廊下へ飛び出していった。


 静まり返った室内で、豊穣の神は独りつぶやく。


「レブナントが滅ぶまで、あと三年。

 彼女がここにやってこれるのは、早くても夏ごろ。

 さて、間に合うかな」


 彼の声は部屋の静寂に吸い込まれるように消えていった。





****


 洋館の外を飛びゆくアールヴとドヴェルグに、一人の女性が声をかける。


「ちょっとあなたたち、止まりなさい」


 声に反応して少女たちが振り向いた。


 そこに居たのは艶やかで長い金髪を見にまとった若い女性。


 身に付けるのは一枚の大きな絹の布。それを肩で留めるだけの、簡素な出で立ちだ。


 まるで豊穣の神を女性にしたかのような人物が、少女たちに手招きした。


 アールヴが女性に告げる。


『何の用ですか? 愛の神。

 私たちは忙しいのですが』


 女性――愛の神が微笑みながら告げる。


「あなたたちの持つ精霊眼、片方を私に預けなさい。

 豊穣の神は自分の目的しか見えていない。

 これでは『あの少女』の将来が危ぶまれてしまうわ」


 きょとんとするアールヴが愛の神に応える。


『どういう意味なのですか?

 それにこれは、豊穣の神の目ですよ?

 それを預かってどうするのですか?』


「どう説明しようかしら……。

 たとえば『結婚を夢見る少女』が居たとするわね。

 彼女に両目を与えてしまうと、その夢がとても遠のいてしまうの。

 だから片方を私が預かるわ」


 アールヴが眉をひそめて応える。


『そういう事情であれば、やぶさかではありませんですが。

 でも豊穣の神に怒られてしまうのです』


 愛の神がフッと笑みをこぼした。


「大丈夫よ、その時は私がかばってあげるから。

 ――さぁ、片方を寄越して頂戴」


 愛の神が差し出した手のひらに、アールヴがおずおずと宝石を乗せた。


 ニコリと微笑んだ愛の神がアールヴに告げる。


「良い子ね。ありがとう」


 そう言い残し、愛の神は背中を見せて立ち去った。


 残された少女たちはその背中を見送りながら告げる。


『良いんですかねぇ、こんなことになって』


『構いませんよ。神々のお考えを詮索するだけ無駄です。

 ――それより、急ぎましょうアールヴ』


『ハイなのです!』


 二人の少女は再び空を駆け、目的の少女に向かっていった。





****


 とある町の青果店、その店の前に質素な身なりの子供たちが居た。


 クラールヴィント孤児院の孤児たちだ。


 その中にひときわ顔立ちの整った少女が居た。


 淡い金髪を肩まで伸ばし、つぶらな瞳は鈍色に輝いている。


 小柄な背丈は孤児たちの中でも一番低い。


 華奢な体つきは、どこか弱々しさを感じさせる。


 見て居ると庇護欲をそそられる、いわゆる可憐というものだろう。


 彼女はヒルデガルト。周囲からはヒルダと呼ばれる少女だ。


 ヒルデガルトが告げる。


「おじさーん! 今日もいつもの野菜セットをくださーい!」


 青果店の主人が店の中から顔を出して応える。


「おお、ヒルダ! ちょっと待ってろ、いま見繕ってやる」


 主人は紙袋に根野菜を詰め込み始めた。


 紙袋が満載になると子供たちに渡し、次の紙袋に野菜を詰めていく。


 五人の子供たち全員が紙袋を持つと、主人が声を上げる。


「しめて銀貨三枚だ!」


 野菜の量に対して二割も安い値段を提示した。


 ヒルダがうなずいて財布から銀貨を取り出し、主人に手渡す。


「いつも負けてくれてありがとう!」


「気にすんな! それよりヒルダ、お前はもう十四歳になったんだろう?

 あと一年で成人だな! 結婚は出来そうなのか?」


 ヒルデガルトは自信に満ちた笑みで応える。


「大丈夫です! なんとか相手を探しますから!」


 ヒルデガルトが最後の紙袋を受け取り、頭を下げて帰路についた。


 孤児たちが去った青果店の奥から、主人の妻が出てきて告げる。


「あんた、あんなに安くしてどうするのさ」


「慈善活動だよ、慈善活動! 寄付するのと変わらねぇだろ!」


 妻が小さく息をついて告げる。


「しょうがない人だねぇ、あんたは」


 主人は「へへ」っと笑みをこぼして応える。


「ヒルダを見てると何かしてやりてぇって思っちまう。

 青果店をやる俺なら、安く野菜を売ってやるのが正しい道って奴だろう?」


 呆れてため息をつく妻の背中を押して、主人は店内に戻っていった。





****


 紙袋を抱えた孤児たちが、ヒルデガルトを先頭に孤児院へ向かっていた。


 ヒルデガルトが微笑みながら告げる。


「今日の夕食はなにかなー」


 孤児の少年が応える。


「院長先生が作る料理だぞ? 煮込み料理に決まってんだろ!」


 孤児の少女が同調して応える。


「私たちは人数が多いから、仕方ないわよ」


 院長の口癖は『大人数用の料理なんて、刻んで煮込めばなんとかなるわ!』だ。


 もれなく孤児たちは、毎日欠かさず煮込み料理を食べている。


 笑いあいながら歩くヒルデガルトの耳に、どこか遠くから声が聞こえてくる。


『居たのです! あの子ですよ!』


『わかってます。アールヴは黙って見て居なさい』


 人の声とも違う『音』に、ヒルデガルトは驚いて辺りを見回した。


 周囲に変わった物や人など見当たらない。


 小首をかしげるヒルデガルトの顔面を、突然の衝撃が襲った。


「――いたっ!」


 衝撃と左目から走る激痛で紙袋を取り落とし、ヒルデガルトはその場にうずくまった。


「ヒルダ?!」


 孤児たちが心配して彼女の周囲を取り囲む。


 ヒルデガルトは「だいじょうぶ――」と言いかけながら倒れ込んだ。


 孤児たちの声を意識の遠くで聞きながら、ヒルデガルトは左目の激痛に抗っていた。


『――入りました。成功です』


『さっすがドヴェルグ! お見事なのです!

 豊穣の神に報告に行きますですよ!』


 ――この声、誰の声なの?!


 困惑したヒルデガルトの意識は、そのまま暗闇へと沈んでいった。

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