第2話 神隠し

「あっつい……」


 その言葉以外はもう思いつかない。

 日陰を歩くなと言われても、日なたを歩いていたら熱中症になってしまうくらいの気温。


 日傘持ってくればよかった。

 荷ほどきしていない荷物のどこかにあるはずなんだけど。


 夏休みでやることがないとはいえ、あの荷物を片づける気にはならなかった。

 いつかあのまま持って帰りたい。

 そんな思いがまだ心の中を占めていたから。


 私はなるべく日陰の裏道、裏道へと進む。

 高い家の塀と木々に囲まれた裏道は、先ほどより何度温度が下がったのだろうかと分かるくらいに涼しい。


「はぁ、もう無理」


 日なたへは戻らず、このまま日陰の道を行こう。

 いくら裏道とはいえ、表だって誰も歩いていないのだから同じだ。


 ようは側溝に落ちなければいいだけのこと。

 こんな田舎の真昼間じゃあ、変な人も出ないでしょう。


「原付の免許とか、何かないと本当に不便ね」


 坂道しかないこの辺りでは、自転車すら無理そう。

 ああ、本当にヤダな。


 そう首を振ってため息をつくと、不意にイヤフォンからジリジリジリという嫌なノイズが走る。

 私はすぐに片方のイヤホンを外し眺めた。

 特に電源が切れたわけでも、壊れたようにも見えない。


「嘘でしょう。まだ買ったばかりなのに、もう壊れたの?」


 もう一度付けようとした時、今度はキーンという耳鳴りが聞こえてくる。

 暑い中歩き続けたせいだろうか。

 耳を抑えても、それは消えることはない。


「なんなのこれ。……あっ」


 耳を抑えた手から、イヤホンがこぼれ落ちる。

 コロコロと線のないイヤホンはどこまでも地面を転がって行った。


 耳鳴りといい、なんなのもう。最悪すぎるでしょう。


 私はやや前かがみになり、下を向きながらイヤホンを追いかける。

 そして二つとも拾い上げた時、ふとおかしなことに気付いた。


「あれ?」


 音がない。

 まるで真夜中のように辺りはシーンと静まり返り、あれほどせわしなく鳴いていたせみの声も聞こえない。


 嫌な汗が背中を伝う。

 静かな町の中と比例するように、心臓の音がうるさい。


 やだなぁ。なんかの気のせいよね、これ。

 ほら、雨が降る前とかせみが鳴くのをやめるし。


 そう自分に言い聞かせても、まるで張り付いたように足が動かない。

 ちょうど金縛りというのは、こういうことをいうのだろか。


 だけど金縛りとは寝ている時に起きる、脳の伝達障害でんたつしょうがいだとこの前テレビでやっていたっけ。

 今はもちろん寝てなどいない。それならばなぜ、動けないのか。


「……」


 なんなのよ! と言いかけて、私は声すら出ないことに気付く。

 生温かい風がただ体にまとわりつき、不快以外のなにものでもない。


 しかしそんな静寂せいじゃくを破るかのように、どこか遠くから鈴の音が聞こえてきた。

 ある意味すずやかで、でも不気味に聞こえるその音は、よく耳を澄ませると私のちょうど後ろの道からゆっくり近づいてきている。


 どう頑張っても、いい予感はしない。

 ホントにさぁ、私がなにをしたというのよ。


 しかしそんな私の思いなどとは裏腹に、音は真っすぐ近づいてきたかと思うと、すぐ真後ろで鳴り止む。


 気のせい? でも体は動かないし。


 そう思った次の瞬間、自分の足の隙間から何かがもぞもぞと動く様が感じられる。

 見えていないはずなのに、それをくっきりと感じ。

 黒くうごめくそれが、髪だと分かるのにはさほど時間はかからなかった。


 もぞもそ動くそれは急激にスピードを上げ、両足に絡まりつく。

 そして髪は靴から膝へと這い上がってきた。


 なになになになに。

 やだやだやだやだやだ。


 気持ち悪いを通り越し、その髪が触っている部分から体の熱が奪われていくのがわかる。

 このままこの髪が自分の体全体を包みこんでしまったら。


 その先なんて、考えたくもなかった。


 誰か、誰か助けて!

 しかしこの空間に人がいるわけでもなく、ましてや声が出せるわけでもない。


 胸の近くまで髪が伸びてきたかと思うと、急にその本体ともいえる顔が髪の間から湧き出るように現れる。

 綺麗な朱色の着物を身に着けた、日本人形。


 ただその顔は意思を持ち、私の顔を見ると不気味なほどにニタリとわらった。


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