第2話 事の始まり
いつも通りの休み時間、いつも通りのくだらない会話をしている時だ。
「昼飯代稼がねえ?」なんて軽く言った四葩にバイトでも始めるのかと聞けば首を横に振られ、センター分けの淡いピンク髪がはらはら揺れていた。
「ブレンドドラッグ売るんだよ」
メンタルの安定が何よりとされる現代、ストレスケアドラッグは錠剤から液体までごく普通に薬局に置いてある。ただ、ブレンドドラッグと呼ばれるものは、用法用量ガン無視ドラッグのことで、四葩のように独自で調合した物をひっそりと売る奴は案外多い。
「掃除屋にバレたらやばいんじゃ……」
「そう簡単にバレねえだろ。つーか売るだけならセーフじゃん」
「いやまあ……確かに売るだけなら……って駄目だろ! 売る方は警察にバレたらやばい!」
「警察なんか掃除屋に比べたら怖くねえわ。息吹、真面目くんすぎ」
「別に真面目じゃないし……絶対ブレンドドラッグなんて飲んだりするなよ」
「はいはい、分かってますよー」
四葩のコミュニケーション能力の高さ故だろうが、財布が肥えるのはあっという間だった。思ったより素行の悪い生徒が多いことを知り、根が真面目でチャラついた振りをしている息吹は結構引いた。
四葩はそのうち校内での小遣い稼ぎに飽きたのか、
「盛り場行けばもっと稼げんじゃね?」
なんて、とんでもないことを言い出した。
調子に乗った四葩の悪ノリを、やめておけと厳しく言えば良かったと後悔してももう遅い。
盛り場なんて治安の悪い場所に同行する友人は誰一人居なくて、結局四葩は一人でネオンの中に消えていってしまった。
電話があったのはその後だ。
四葩の番号なのに四葩の声ではなかった。
『ああ、もしもし? 掃除屋のもんだけど──』何で掃除屋が? なんて聞くほど息吹は馬鹿ではない。
無視できず、指定された掃除屋の事務所に着くと、床に転がる四葩が息吹の視線を奪った。顔が腫れ、淡いピンク髪が乱れていた。中年の低い声が耳に流れてくる。
「おう、なんだ、親御さんじゃねえのか。まあいい。金髪の兄ちゃんもなかなかイケメンじゃねえの。オジサンたち、イケメンボコボコにすんの大好きなんだワ」
その言葉がはったりではないと転がる四葩が示しているせいで息吹の全身が強ばった。
周りで、ヤクザ映画で見たような男達がデスク越しにニヤニヤと笑っている。掃除屋の厳粛なイメージが書き換えられた。
「はははっ、冗談だよ冗談。さっさとそこのピンクの兄ちゃん連れて帰ってくれ──と、言いたいところだが、そうはいかないんだよなあ」
社長椅子に沈み込む中年が感情のない瞳を向けてくる。デスク上にある透明な紙コップを指差し、中身の確認を促された。
少量の液体は底の見えない漆黒で、ねっとりと泡立っている。
「墨汁……? ですか?」
「ざんねん。これは、人の血だ」
「……え、血?」
「ブレンドドラッグ中毒の初期症状だ。可哀想だがこの段階で殺処分対象なんだよなあ。まあ安心しな、オジサンも鬼じゃねえ。ガキ同士の熱い絆見せてくれるってんなら、処分は免除してやる」
まさか、四葩のやつ、売っているだけじゃなかったのか? 初期症状って、放っておいたらどうなる? 絶対飲むなって言ったのに……。
息吹の沈黙を破るかのごとく、足元を何かに掴まれた。
「なあ、息吹、おれら親友だろ?」
四葩だった。腕に採血後の絆創膏が見え、漆黒の血が四葩のものだと結び付いてしまった。
「四葩……」
縋られて見捨てられるほど、息吹は薄情ではなかった。中年を見つめ、逸らさずに伝える。
「どうすれば、絆を見せたことになりますか」
一瞬の間の後、中年は口角を上げ、引き出しから物騒な物を取り出した。
「これでオジサンの女を殺してこい。裏通りのラブホで、
「息吹くーん? さっきまでの元気はどこ行っちゃったのかな?」
女の声に、回想に耽っているどころではなくなった。下半身が弄ばれている羞恥に叫び出しそうだ。こんなの羞恥プレイだと思いつつも、膝立ちで見上げてくる女の視線に意図せず硬くなってしまった。
「ふふ、いいね。じゃあ、そろそろしよっか?」
「……へ? あっ、はい……」
「息吹くんは、寝てるだけでいいからね」
明かりが絞られ、ぼんやりと物の形が分かる程度になった。息吹は心臓をさすりつつ、学ランの内ポケットにあるフォールディングナイフを確認した。藪枯から受け取った物だ。
「──あの女は馬乗りになるのが好きだからな。兄ちゃんはマグロでいい。隙を見て殺れるだろ? なあに心配するな。あれはもう人間じゃねえから」
再生された藪枯の言葉に従い、震える手で今だ! とナイフを取り出そうとしたところで、「上、着たままするの?」とそそくさと学ランを剥ぎ取られてしまった。
非常にまずい。
息吹の停止した思考ではどうすることもできず、ぐっと快楽に引っ張られていく。熱々の本能が情けなく吐き出された。
「うふふ。お早いことで」
羞恥と絶望で死にたくなった。
全裸のまま顔を覆うことしかできない。
「ところでさあ、」
女の声が半音ほど低くなる。
「こんな危ないもの、いつも持ってるの?」
顔を覆った手の隙間から覗けば、フォールディングナイフを持った女が口元だけで笑っている。
息吹は身体の気だるさも忘れて、脱兎のごとく飛び起きた。
「あ、そのっ、えっと……護身用です!」
「嘘つかなくていいよお。どうせ藪枯さんに殺してこいって言われたんでしょ」
「あ……はい……」
根が真面目な息吹は嘘が下手だ。無表情になった女の手元で、カチッという音と共に飛び出した刃先が息吹の喉元に向けられる。
声にならない呼吸が漏れた。
「これで五人目? だったかなあ」
「……え」
「返り討ちにあうおバカさん」
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