3-2 正体

「ねえナターシャ。レオンを元気付けるためには、どうしたら良いかしら」


 翌日、アメリアは白虎のナターシャのブラッシングをしながら、ため息を吐いていた。


≪そうね……。まずはアメリア様が、元気を出すこと。それが、レオン様にとってはきっと一番だわ≫

 

「そう……よね。わかってはいるんだけど……やっぱり私もショックだったの」


≪元気ダシテ。レオン様、アメリア様ミテルトキガ、一番ウレシソウ≫


 そう言って来たのは、新入りの黒トカゲだ。オリーブと名付けた彼は、アメリアの肩にお行儀よくちょこんと乗っていた。


「ありがとう。オリーブ」


≪笑ッテルノガ一番イイ。ソシタラ、レオン様ハ一番ヨロコブ≫


「そうね。心配事があっても、いつも笑顔で接するようにするわ」


 にっこりと笑顔で答え、ナターシャのブラッシングを再開する。温かな体に触れてブラシを入れていると、アメリアも心から癒された。


「甘いものが好きなレオンのために、今日もお菓子を焼いておこうかな。使用人たちも喜んでくれるし、私も嬉しいから」


≪それは良い考えね≫

≪オレモタベタイ!≫


「ふふ、モナカは食いしん坊ね。動物用のものも、もちろん作るから安心して?」

 

 そうしてアメリアがやる気になっていた時である。家令のジャダンが、大層慌てた様子でやって来た。


「アメリア様!オリヴィエ様がいらっしゃいました。なんだか、とてもお急ぎの様子で……緊急事態かと」

「オリヴィエが?すぐに通してちょうだい!ごめんね皆、私は行ってくるわ」


 動物たちをその場に置いて、玄関へ急ぐ。スカートが翻るのも構わずに大階段を降りていくと、顔面蒼白になったオリヴィエが、ちょうど入って来たところだった。


「一体、何があったの?」

「アメリア様!!レオン様が!!騎士団の何者かにやられて、大怪我を……!!」

「……!!」


 アメリアの脳裏に、昨晩のレオンの言葉が蘇った。


 ――俺は、騎士団の中の誰かに命を狙われているかもしれない――


「レオンの容態は?」

「芳しくありません。僕が転送するので、一緒に現地に急行してくださいませんか?」

「分かったわ!」


 アメリアは部屋着のままだったが、着替えるどころではない。すぐに家令のジャダンに言った。


「レオンが大怪我を負ったらしいの。私はこのまま行ってくるわ」

「な、何と!分かりました……!」

「いつ戻るかは分からない。状態がわかったら、すぐに知らせを飛ばすわね」

「お願い致します。ああ、レオン様…………!!」


 ジャダンは動揺している。無理もない。レオンは折角、大怪我から回復したばかりなのだ。


「オリヴィエ、お願い」

「分かりました!」


 オリヴィエが、空中に転送の魔術陣を描き出す。彼の目と同じ、緋色に光る魔術陣だ。


「準備ができました。僕にしっかり掴まっていていてください!」

「ええ」


 周囲の景色がぐにゃり、ぐにゃりと連続して歪む。そうして転送先の、新しい景色が広がった。見たこともない景色だ。どうやら森の中らしく、うっそうと木が生い茂っていた。


「レオンは何処!?」

「………………」

「ねえ!オリヴィエ…………」


 オリヴィエは穏やかな笑顔を崩さず、しかし何も言わなかった。アメリアはここで初めて、大前提のことを思い出した。


 ――裏切り者がいるかもしれない――

 

 そんな。

 まさか。

 だって、彼はレオンの右腕で。

 一番に信頼している相手で。

 しかも彼は、ゲームの攻略対象で。


 頭の中がぐるぐると、勢いよく混乱する。アメリアは震える声を出した。


「あ、貴方が…………、なの…………?オリヴィエ…………」

「……………………ふふ。愉快ですね?」


 オリヴィエは顔に手を当てて、くつくつと笑った。


「こんなに簡単にいくとは、思わなかったです。俺の演技が、よっぽど良かったのかな?」

「だって……レオンは、貴方を信頼していたのよ……!?」

「信頼ねえ…………。じゃあ、こうしたら……良く分かりますか?」


 オリヴィエは緋色の複雑な魔術陣を描いた。見たこともないほど、ものすごいスピードだ。あっという間に術が発動し、彼の姿にもやがかかった。

 

 そこに現れた、のは――――


「青い髪に、赤い目の、男……………………」


≪ようやく理解しましたか?≫


 青い長髪に変わったオリヴィエは、で喋った。

 そのままだ。

 動物たちから、何度も何度も聞いた、犯人の男の特徴。


「裏で動くときは、この格好なんですよ。魔術で匂いも変えています。緋色の目だけは、魔術を行使するために変えられないんですがね……下賎な動物たちなんて、これですぐに僕だと分からなくなる。奴らは人相の細かい区別なんて付かないから」

「…………!!」

「さあアメリア様。ここは国境線です。僕と一緒に来てもらいますよ」


 あっという間に魔術陣に囲まれ、アメリアは身動きが取れなくなった。声すら少しも出せない。

 彼の魔術は、ここまで強力だったというのか。今までずっと、実力を隠していたというのか?

 

 「タンザ帝国に行きましょう。きっと、とても楽しいですよ?」


 身動きの取れないアメリアは、ハンカチを優しく押し当てられた。甘い、甘い匂いがして――――そこから先の、意識は途切れた。



 ♦︎♢♦︎



 レオンはその夜帰宅して、すぐに違和感を感じた。


「どうした?一体何を騒いでいる……?」

「レオン様!お怪我は大丈夫なのですか!?」

「怪我……?何のことだ?」

「昼間、オリヴィエ様が慌てた様子でいらっしゃって、レオン様が大怪我をしたと!奥様が、現場に転送されていきました」

「アメリアが……!?」


 レオンは真っ青になった。いつもパタパタと大階段を降りてくる、愛おしいアメリアの姿が見えないと思ったのだ。


 ――オリヴィエ。

 今日は騎士団を休んでいた。

 まさか。

 まさか……。

 疑わしい点は、あるにはあった。

 だがレオンは彼を疑いたくなかった。


 レオンは、ひどく狼狽した声で言った。



「ジャダン、大変だった。アメリアが、拉致された。…………犯人は…………オリヴィエだ」



 それは、決別の合図だった。

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