1-9 レオンの想い

 レオン・ヴァレットは、孤独な少年時代を過ごした。

 

 彼が生まれ持った祝福ギフト【天候操作】ウェザーマスター。天候を操るという、強大で非常に稀有なものだ。幼い時はその強すぎる力を操りきれず、持て余した。全く意図せずに、周囲を傷つけてしまうことだってあった。

 彼と遊んでいるとおかしなことが起こると言われ、子供たちからは気味悪がられた。そうして幼いレオンは、遠巻きにされたのだ。


 レオンが十歳になった、ある日のことである。王宮で働く父の忘れ物を届けるため、彼は王宮へ赴いた。

 父に忘れ物を届けた、帰り道。王宮の広大な庭園で、レオンはある少女を見つけた。レオンより、一回りくらい年齢が低そうな少女だった。彼女は重たいジョウロを四苦八苦して持ちながら、必死に花壇へ水をやっていたのだ。その小さな体に対してジョウロはかなり大きく、よたよたとして、非常に危なっかしかった。

 

 見かねたレオンは近づき、指を軽く振って雨雲を出した。そうして、花壇にサアッと雨を降らせたのである。少女は口をぽかんと開け、驚いてその様子を見ていた。


 ――気味が悪いと、思われたかな……。


 レオンが気まずく思い、立ち去ろうとしたその時である。少女はレオンの服の裾を、くいっと引っ張った。


「ありがとう!貴方、とっても素敵な祝福ギフトを持っているのね!!」


 ぱあっと笑った顔は、まるで可憐な花が開くようで。レオンは一瞬で見惚れた。


「花たちも、すごく喜んでいるの!≪ありがとう≫って、みんなが言ってるわ!!」


 そう言って花壇の周りをくるくる回る姿は、美しい妖精のようにも見え、一種の神聖さがあった。

 レオンは思い切って、少女に尋ねた。


「君の、名前は……?」

「?アメリアよ」


 アメリア、という名前を聞いてレオンはすぐに思い至った。王の末姫の、アメリア姫だ。


「っ!失礼、しました!」


 王族に対して、随分馴れ馴れしい態度を取ってしまったと後悔し、レオンは走ってその場から立ち去った。


 けれど、家に帰っても。

 何を、していても。

 花開くように笑った、彼女の表情が。煌めくトパーズの瞳が。頭から、ずっと離れなくて。

 レオンは自分が、初めての恋に落ちたのだと思い知った。


 あまりにも身分違いの恋で、到底叶いそうもない。

 だがレオンは、彼女のためにできることはないだろうかと考えた。

 

 ――そうだ。騎士になって、彼女を守れば良いんじゃないか。

 

 それは、とても良いことのように思えた。騎士になれば王宮に出入りできるし、またアメリア姫を見ることだって叶うかもしれない。


 文官を多く輩出するレオンの家だったが、騎士になることは特に反対されなかった。レオンの強大すぎる祝福ギフトを生かすには良い職業だろうと、侯爵は判断したのである。


 果たしてその判断は、間違っていなかった。

 レオンは血反吐を吐くような騎士団の訓練に耐えながら、その恵まれた祝福ギフトを見事に開花させていった。まるで自分の手足のように、天候を自在に操れるようになっていったのだ。戦いに活かせば、その応用の幅は無限大にあった。彼はまさしく、一騎当千の騎士に成長したのである。


 王宮に出入りする中で、遠目にアメリア姫を見掛けられることもあった。彼女は、ある時は小鳥と話して戯れていたり、またある時は白虎と追いかけっこしていたりした。

 アメリア姫はいつだって、まるで童話の中に出てくるお姫様のようで。可憐で、キラキラと光り輝いているように見えた。レオンは姫に憧れ、いっそう恋焦がれた。


 そんなある日、騎士団でめきめきと頭角を表していたレオンを、王が直接見に来た。レオンが十五歳の時である。


「お主がレオンか。活躍は聞いておる。今後も期待しておるよ」


 王から直接言葉を掛けられるなんて、それだけでこの上ない名誉である。しかしレオンは、これは千載一遇のチャンスだと思った。だから、持てる限りの勇気を振り絞って言ったのだ。


「王様。不躾ながら、お願いがございます」

「ほう。良いだろう、言ってみたまえ」


 王は鷹揚に頷いた。この国の王は穏やかで、懐が広いことで有名だった。


「将来、私が大きな武勲を立てた暁には、どうかアメリア姫との結婚をお許しください」


 レオンの突然の申し出に、周囲の騎士はザワリとした。いくら侯爵家と言えど、姫を降嫁させて欲しいだなんてかなりの無茶である。万が一許されるとしても、よほど大きな武勲を立てなければ難しいだろう。

 しかし王は口端を吊り上げて、良い顔で笑った。


「その胆力、気に入った。良いだろう。お前を待ち、アメリアの婚約は止めておいてやる。ただし、あの子が十八歳になるまでだ」

「ありがとうございます!!」


 レオンは地面に這いつくばる勢いで、お礼を言った。アメリア姫は、レオンより四つ年下だ。期限はあと七年ということになる。王は、さらに言葉を続けた。


「よく励め。このことは男と男の約束であるが故、アメリアには言わぬ」

「はっ。全身全霊で精進いたします!!」


 レオンは飛び上がりそうなほど嬉しい心を抑え、美しい騎士の礼を取った。


 その日以来、騎士として精進するレオンの気迫は、更に凄まじいものとなった。鬼気迫る勢いの彼は、あっという間に様々な成果を上げ、どんどん出世していったのである。

 レオンには大きな縁談がいくつも舞い込むようになったが、全て断った。何せレオンの目的は、アメリア姫を妻に迎えることなのである。当然だ。

 

 そうしてレオンは弱冠十九歳にして、ついに騎士団長にまで上り詰めた。その年は奇しくも、アメリア姫のデビュタントの年であった。

 もしも夜会で姫に会うことができたら、話しかけようとレオンは思っていた。王との約束のことは口外できないが、姫と個人的に親しくなる分には問題ないだろうと考えたのである。


 しかしレオンは、とうとう姫に話しかけられなかった。何故なら成長して着飾ったアメリア姫が、あまりにも美しく、まるで遠い人のように感じられて。生来口下手な彼は、緊張のあまり、機を逃し続けたのである。彼にはそもそも、女性と親しく話した経験自体がほとんどなかった。


 やがてアメリア姫の婚約が決まらないことに関して、口さがない者達が『残り物姫』などと揶揄するようになった。これにレオンは心底、怒り狂った。しかし、彼女が婚約できないのは自分のせいなのだ。早く大きな武勲を立てなければと、焦るばかりであった。


 そうして結局、レオンはアメリア姫の姿を遠目に見つづけ、その恋に身を燃やしながら、将軍にまでなったのである。

 

 彼が二十一歳の時に、いよいよ契機は訪れた。タンザ帝国との小競り合いが起きたのをきっかけに、あわや戦争が始まる寸前となったのだ。

 レオンはこの機会を逃さなかった。勝算も十分にあった。彼は自分の祝福ギフトと優秀な部下達を駆使し、帝国の裏をかいて奇襲作戦を成功させたのである。帝国はその戦力を大きく失い、あっという間に撤退していった。レオンはここに来てようやく、十分に大きな武勲を立てたのである。



 ♦︎♢♦︎


 

 カラス型の魔獣の杭を抜き、二人で侯爵邸に戻った後。レオンはまず、アメリアに医師の治療を受けさせた。専門家の治癒魔術により、彼女の脚に傷跡は残らなかった。心配で仕方がなかったレオンは、このことに心底ほっとした。それから二人とも湯浴みをして、寝室で休みながらお茶を飲み始めた。


 レオンは今こそ、自分の想いを正直に伝える時だと思った。彼は人払いをしてから、これまでのことを少しずつ話し始めた。自分の生い立ちのこと。少年時代に、アメリアに一目惚れしたこと。大きな武勲を立てたら結婚を許すと、王に約束されたこと。社交場では緊張して、ずっと話しかけられなかったこと。

 

 話の途中から、アメリアは開いた口が塞がらない様子だった。無理もない。レオンは最後にこう、締め括った。

 

「だからアメリア、俺が好きなのは、ずっと君だけだ」

「……そ、そんなの…………」


 見るとアメリアは、小さくぶるぶると震えていた。

 俯かせていた顔を、キッとこちらに向ける。その両目にはもう、涙の膜がいっぱいに張っていた。

 

「そんなの!言ってくれなきゃ、わからないわ……!!」

「すまない……。どう、伝えたら良いのか、分からなくて……君を前にすると、俺はどうも緊張してしまって……」


 アメリアの目から、透明な雫がぽろりと流れ落ちる。場違いなはずなのに、その涙さえ美しく、愛おしいと思ってしまった。

 

「レオンって……本当に不器用なのね……」

「それについては、否定できない……。でも……ずっと君を迎えようと思って、俺は準備していた。君の部屋も、メイドも、ドレスも。何もかも……」

「どうりで……」


 アメリアは眉を下げながら、涙を拭っている。レオンはここで、慌ててハンカチを差し出した。


「ねえ。もしかして、毎日花を贈ってくれたのも……?」

「ああ……。女性は花をプレゼントすれば喜ぶと、君の兄……アルフレッドに聞いたから。君は本当に嬉しそうにしてくれたから、俺も嬉しくて。思わず毎日、贈ってしまった」

「じゃあ……。じゃあ、あのう…………」

 

 アメリアは胸の前で両手を組んで、頬を薔薇色に染め、もじもじとし始めた。レオンは疑問に思い、首を傾げる。彼女は思い切った様子で、こう言った。


「しょっ、初夜、以降!どうして……どうして、私を抱いて、くれなかったの…?」


 意外な質問に、レオンは動転した。顔が熱を持つのを感じる。あの夜の彼女の可愛さを、柔らかさを、まざまざと思い出してしまった。

 

「そ、それは……!俺は、侯爵だから。初夜は……どうしても君の初めてを、貰わないといけなかった。だが、二度目はアメリアの気持ちが俺に向いてくれるようになってからにしようと、思っていた……。何せ俺は、結婚前の茶会も全て断られ……君に相当嫌われていると、思っていたから……」

「そ……そんな……!」


 結婚前の茶会を全て断られたことは、レオンの心にとって大きな傷となっていた。アメリアの気持ちを考え、彼女の降嫁の話を断るべきかと、真剣に悩んだほどだ。

 でもレオンは、結局彼女を諦めきれなかったのだ。だから結婚してから、徐々にでも心を開いてもらえれば良いと考えていた。


「じゃあ……もしかして。ず、ずっと……私に嫌われていると、思っていたの……?」

「ああ。この家に来てからは、君の態度は軟化したと思ったが……せっかく心を開き始めているところなのだから、まだまだ油断はできないと……。……?もしかして、違うのか……?」

「違う。違うわ。全然違う。私はとっくのとうに、貴方のことが好きなのよ……」

 

 レオンは大きな衝撃を受けた。アメリアは今、何と言ったのだろうか。彼女は熟れた果実のように真っ赤になりながら、上目遣いでレオンを見つめていた。破壊力が高すぎる。

 

「え……?」

 

 思わず呆けた声を出してしまう。アメリアはなおも、そのトパーズの目に涙をいっぱいに溜めながら、懸命に続けた。


「茶会を断ったのは、本当に悪かったわ。ちょっと事情があったの……。でもね。私は、多分もう……結婚して初めて抱かれた時から……貴方を好きになってしまったのよ……」

「アメリア……っ」

「でも、貴方はジゼル様のことが好きなんだと、ずっと思っていて…………。私、ずっと苦しかった…………」

「……ジゼル、だって?何故、ジゼル……?」


 突然出てきた名前に、レオンは怪訝な顔になった。ジゼルは確かに、レオンが親しくしている数少ない女性の一人だ。しかし、彼女に惹かれたことは微塵もない。

 アメリアは意を決した顔で、レオンに言った。

 

「……理由が、あるの。私も、全部話すわ。私の秘密も、何もかもを」

 

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