おやすみなさい、世界。
はるむら さき
おやすみなさい、世界。
あーあ、つかれた、つかれた。
おやすみなさい。
やっと、今日が終わるのね。
ベッドの上で、つかれて重たい身体をよこたえ布団にくるまり、ひとりごと。
けど、言葉とはうらはらに、彼女はとてもやわらかな微笑みをその口元に浮かべてる。
今日は誰も知らない、彼女が決めた彼女だけの特別な日。
他人にとっては何でもない、カレンダーにはのってない、彼女だけのステキな記念日。
この日をお祝いするために、今までわたしは生きてきたの…。
どこかの小さな田舎町。彼女は毎日、いつもひとり静かにひっそり暮らしてた。
けれど今日は、朝起きてすぐ陽が昇る前に畑に行って、ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、それからマッシュルームを荷車に山ほど積んできて。
その足で市場に行って、ありったけの卵とミルク、砂糖にバターを買いこんで、店の人に挨拶する間もおしんで、足早に家に戻ったら、ひと息つく間もなく、腕まくりして気合いを入れて、オーブンと竈に火をいれた。
さあ、これからが本番よ。
まず大きなお鍋にまっしろなシチューをたっぷりと作るでしょ?
それから、トマトとカマンベールチーズのサラダもいるわ。
デザートには、自慢のマーマレードジャムとブルーベリージャムを使って、二種類のふわふわシフォンケーキを焼いてみようか。
…そうそう、今日のためのとっておきのワインも用意しておかなきゃね。
昨日磨いておいたこの家でいちばんキレイな銀のナイフとフォークにスプーン。いちばんお気に入りの青い薔薇模様の陶器のお皿に、出来たての料理を盛りつけて。
透明よりも透き通ったグラスにルビーのワインを注げば、特別なディナーの完成ね。
西の空のあの星が、南の空の十字架の隣へと昇るまでに全部そろえてお祝いしなくちゃ。
ああ、いそがしい、いそがしい。
歌うように良いながら、彼女はひとり右へ左へいったりきたり…。
今日の彼女を畑で、市場で、道端で。
見かけたそれぞれの誰かは不思議な顔して、その口をぽかんと開けたまま、何にも言わずに彼女の後ろ姿を見送った。
そのみんなが心のどこかで思ってた。
「いつも静かに、小さな家でひとり暮らしてるあのおばあさんが、朝からあんなにあちこち走りまわって。いったいぜんたい、どうしたのだろう? それもまた、こんななんでもないただの日に…」
吹きつける風が「冷たい」よりも、肌を刺すように「痛い」季節だというのに、おばあさんは、庭に小さなテーブルと椅子を置き、そうして、たった今出来あがった料理をつぎつぎ並べて、西の空に光るあの星をひとり見上げて、思わずふふっと笑って言った。
「ああ、良かった。間に合った」
さあ、パーティーをはじめましょう。
それから、ゆっくり時間をかけて、今日のために用意した特別なすべてを平らげた。
たったひとりで、幸せそうに。
料理もワインも食器も家具も。
彼女が住んでた小さな青い星さえも。
おやすみなさい、世界。 はるむら さき @haru61a39
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