閑話 敵情視察

「ユリウス、お願いがあるの」


 洋菓子店のオープンに向けた準備をする傍ら、アデルはユリウスにそう切り出した。

 ユリウスがアデルを抱き締めて眠ろうとした、その瞬間の「お願い」である。ユリウスは一体何事かと、一瞬ドキリとしたが、「お願い」は至って健全な内容であった。


「他の洋菓子店の視察がしたいの」

「…………視察?よく他の菓子店のケーキを、使用人に買ってきてもらって食べ比べているよね。それとは別に?」


 少しだけ拍子抜けして、間が空いてしまったユリウスである。しかし、アデルは首を振ってこう言った。

 

「違うの、自分で実際に、店舗に足を運びたいのよ。店舗の改装をするに当たって、参考にしたくて……それと、イートインできるお店のカフェスペースで実際に食べてみたいの」

「成程……それは勿論良いが……」

「勿論お忍びにするけど、公爵夫人が外出するとなると護衛がいるでしょう?だからユリウスに相談しようと思って。……リナだけでもいいかしら?それとも、公爵家の護衛さんを借りて行った方がいいかしら?」


 ユリウスは間近でアデルの瞳を見ながら、顎に手を当てて少し思案した。

 何度か手合わせしたが、アデルのメイド、リナ・ロイエンタールは、すぐさま騎士団にスカウトしたいくらいの実力者である。正直、あれは数十年に一度の逸物。アデルの身の守りを減らしたくないから、実際にはスカウトしないが。

 彼女の戦闘能力は、はっきり言ってユリウスに匹敵すると言ってもいい。敵の一個隊くらいならば簡単に撃破するだろう。だから、護衛なら正直リナ一人で問題ないと言えた。

 しかしユリウスの脳裏には……あることが閃いたのである。


 ――これは、もしかすると、『デート』のチャンスなのでは?


 ユリウスは、一人の女性としてアデルが好きである。

 はっきり言って、世界で一番愛している。

 アデルの気持ちが自分に向くならば、いつか本物の夫婦になりたいとも思っているのだ。

 そのために、アデルにもっと近づきたい。これは絶好のチャンスと言えた。


「アデル、それなら俺と二人で行こう」

「……えっ!?」


 アデルはただでさえ大きな目を見開いて驚いているが、ユリウスは間髪を入れず、最もらしい理由を並べ始めた。


「夫婦が二人で、カフェでお茶。これが一番自然だし、敵情視察とも知られずに通常通りのサービスが受けられるんじゃないか?」

「そ、それは、確かに」

「それに、勿論リナは強いが。騎士である俺自身が付いていく方が安全だ。この点で、俺以上に適任がいると思うか?」

「い、いないわね……」

「それに」


 ユリウスは無表情ながらも、内緒話をするように人差し指を唇に当てて、茶目っ気たっぷりに言って見せた。


「これは俺が思う存分、甘いものを楽しめるチャンスだ。違うかい?」

「うっ……!!」


 トドメである。アデルはぎゅっと目を瞑って、しばらくうーうー唸っていたが、やがて観念したように言った。


「忙しいユリウスを付き合わせるのは、恐縮なんだけど…………お願い、できる……?」

「喜んで」


 ユリウスは内心大喝采を上げながら、口角を上げて微笑み、言った。


「デートだね、アデル?」


 その微笑みの迫力に、アデルがひゃっと悲鳴を上げて固まってしまったのは、言うまでもないことであった。



 ♦︎♢♦︎



 敵情視察、もといデート当日。


 ユリウスは、巡回用の騎士服で待っていた。ならず者への牽制にもなるし、これなら帯剣もできる。ちなみにユリウスは双剣使いであるので、腰の両側に小型剣を携えているスタイルだ。

 待っていると、準備を終えたアデルが小走りでやってきた。


「へ、変じゃない?何だか、お義母かあ様が張り切っちゃって……」


 アデルはいわゆる、貴族のお忍びスタイルであった。ちょっと裕福な、街娘に扮しているのである。

 サーモンピンクのシフォンワンピースに、白いカーディガン。白いタイツを履いて、足元は編み上げのロングブーツを履いている。平民の中では目立つプラチナの髪を結い上げて、隠すように鍔広の麦わら帽子を被って完成だ。


「可愛い」

「そ、そう……?」


 ユリウスは、思った言葉を直球で出した。

 ――俺の奥さんがこんなに可愛い。

 世界中に見せびらかして自慢したいような、でも誰にも見せずに隠しておきたいような、何とも複雑な気持ちである。


「可愛いから……今日は。俺が、しっかり護りますね?お嬢様」

「ふふ、そうして下さいな、騎士様」


 二人は微笑みあって、巫山戯ふざけあった。そうして、街歩きに出たのである。



 さて、二人の身長は大変差がある。その差、三十センチ以上だ。ユリウスの大きい一歩分は、アデルの二歩分に相当した。それに、ユリウスは女性の歩幅に合わせて歩いた経験なんかほとんどなく、少し油断するとアデルの前に出てしまうのだ。


「うまく歩幅を合わせられなくて、ごめん」

「そんなの気にしないで」

「でも、君を見失ったら……困るから」


 ユリウスは手を差し出す。

 これは下心からではない、必要だからやるのだ、と自分に言い訳をした。


「あ、ありがとう……」

「ん」

 

 ユリウスの大きな手に、驚くほど小さなアデルの手が重ねられる。その柔らかさに、ユリウスは眩暈がした。夜会のエスコートで腕を組むのとはまた違う。なんだか照れくさくて、心臓がドキドキしてとても煩いのだった。


「ふふ、ユリウスの手、大きいね」

「アデルの手が小さいんだ」


 アデルは一度手を離し、手と手を合わせてその大きさを比べて見せた。本当に全然違う。これで同じ生き物なのだろうか。


「こんなに違うね」


 はにかんで笑うアデルは、今日も支離滅裂なほど可愛い。

 ユリウスは思い切り抱き締めたい衝動を堪えながら手を繋ぎ直し、そっぽを向いて歩き出した。


「行こう」

「うん!」



 ♦︎♢♦︎



「王都の大通りは賑やかね」

「露店も沢山出ているからね」


 ユリウスたちは気軽に、露店をひやかしながら回った。アデルは転生者なだけあって、買い食いにも抵抗がないようで、今は肉団子が串に刺さったものを頬張っている。

 気取ったご令嬢達と違う、こういうところが、一緒にいて心地よくて、やっぱり好きだと思う。

 アデルに好きになってもらうためにデートを提案したはずなのに、結局ユリウスが惚れ直しているのだった。


「あ、可愛いアクセサリー」

「……そういえば、アデルは宝飾品を何もねだらないな」

「ううん、高価なものはそこまで興味がなくて……」

「気が利かない俺が悪かった。夜会用のものは、今度贈るよ」

「お義母かあさまが揃えて下さったから、当面は大丈夫よ?」


 ――なんと、母にも負けているではないか。

 ユリウスは大きな敗北感を感じて、ガックリと肩の力が抜けた。

 せっかくなら、自分の贈ったものを身につけるアデルも見てみたい。

 どうせなら、この紅い瞳の色とか。よくルビーみたいだと言われるから、それならどうだろう。独占欲を出し過ぎだろうか。


「あっ……これ、可愛い」


 ユリウスがうだうだ考えていると、アデルが露天で一つのバレッタを手に取った。花束をモチーフにしたそれは、色取り取りのガラスが嵌められて、ステンドグラスのように見える作りだった。


「よく出来てるな。買おうか?」

「大丈夫。今日の目的はケーキだもの」


 アデルはサッとバレッタを元の場所に戻したが、ユリウスはその店の場所を覚えておくことにした。

 


 それから二人で、ケーキ屋をいくつか回った。あまり量が食べられないアデルと違って、ユリウスは甘いものなら無限に入る。だから味を見るための数口をアデルが食べ、残りをユリウスが引き受ける、と言うのを繰り返した。


 だが。


「……最近アデルの菓子を食べ慣れていたから……どの店も、少しこってりし過ぎに感じるな……くどいと言うか……」


 甘いものなら大抵好きだったユリウスの舌も、大分肥えてきたようである。こうして改めて色々なケーキ屋の品を食べると、アデルのケーキとの味の違いが如実に分かった。


「確かにここのクリームは硬いし、ちょっと甘すぎね。あと、やっぱりスポンジのキメが荒いわ」


 小声で言いながら、アデルはサッとメモを取っていった。


「やっぱり……アデルの作った菓子が世界一美味しい」


 ユリウスがしみじみ言うと、アデルの丸い頬はぽぽぽっと薔薇色に染まった。


「そう言ってもらえると、自信がつくわ」

「俺は世界一の幸せ者だ……」

「言い過ぎよ」


 比喩でなく、あらゆる意味でそう思っているのだが、アデルはあっさりと否定する。いつかこの言葉を、本当の意味で受け入れて欲しいものだ。


「でもここのメニュー表だとか、店員さんの服装だとかはとても可愛いわね。素敵な絵画が飾ってあって、内装にも凝っているし、参考になるわ。デートのカップルで賑わっているのも頷ける」

「確かに、ここは、俺一人ではとても入れない……」

「ふふ、結婚して良かった?」

「良かった」


 真面目に返す。

 契約結婚じゃなければもっと良かったのだが、とはまだ言えない。


「公爵家の使用人の皆にも、お土産を買っていきましょう」

「それなら、焼き菓子とかの方がいいかもしれない。彼らもアデルのお陰で、ケーキに関してはかなり舌が肥えてしまっているから」


 大量にできるアデルのケーキの試作は、公爵家の使用人達のお腹にいつも収まっている。公爵邸の使用人は数が多いので、毎回争奪戦が起きるほどの人気だ。極上のケーキが無料で食べられる福利厚生の優れた職場だと、専らの噂になっているらしい。

 それにアデルは時々、使用人達にケーキだけでなく手料理も振る舞っている。これもまた、大層評判が良いのだ。正直、ユリウスもアデルの手料理を食べたくて仕方がないのだが、まだ言い出せずにいる。異世界出身ならではのレシピは料理人たちの創作意欲を大変刺激し、参考になっているのだとか。

 こんな風にして、無骨だった公爵家は、アデルが来てからパッと華やいだ。アデルはセンスも良くて、テーブルクロスを替えたり花を見繕って飾ったりと、まめに動いてくれているのである。

 

 そういうことにいち早く気づかなかった自分はやはり『朴念仁』なのだろうな、とユリウスは思った。これからはもっともっと、アデルの色々な魅力に気づける自分になりたい、とも思うのであった。



 ♦︎♢♦︎

 


「今日は付き合ってくれてありがとうね、ユリウス」


 帰り道にアデルがポツリと言った。照れ臭さを誤魔化すかのように、繋いだままの手をプラプラと揺らしている。


「やっぱりその……で、デート、として来てみると、大分視点が違ったし。新しい見方ができたと思うの」

「それなら良かった。……アデル、これを」

「え…………」


 ユリウスは、アデルの手に包みを乗せた。


「えっ……これ……嘘…………」


 それは途中通りかかった露天で、アデルがじっと見つめていたバレッタだった。


「俺の固有魔法が『転移』で良かった。君が席を立った隙に買ってこられたから」

「ユリウス……ありがとう」


 なんとアデルはその美しい目に、少し涙を溜めていた。ユリウスはびっくりして、おろおろする。


「かなり安物だから、気にしないで」

「そういう問題じゃないの。私を喜ばせようとしてくれたその気持ちが、嬉しいのよ」


 アデルはふにゃりと、愛らしい笑みを浮かべた。

 ――やっぱり、今日も世界で一番可愛い。


「……宝物にするわ」


 色ガラスを天に透かして見るアデルの瞳は、涙でキラキラときらめいていて。それが夕焼けの温かな光を反射していた。


 この光景を、きっと自分は死ぬまで忘れないのだろうなと――ユリウスは、思った。

 

 

 そんな風にして、二人の敵情視察は幕を閉じたのであった。

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