1-12 洋菓子店のオープンへ向けて

 それから、アデルとユリウスの関係は少し変わった。

 ユリウスが細やかに労いの言葉をかけたり、アデルを心配するようになったのである。ちょっと過保護なほどだ。

 そうしてアデルは、自分自身が思っていたよりも、自分がずっと気を張っていたことに気が付いた。

 

 あの日ユリウスがアデルを認めてくれて、誓いを立ててくれたから、とても自信がついたと思う。夜会で「釣り合っていない」と言われたことは、さして気にならなくなっていた。

 

 まあ、件の令嬢達とその実家は見事に特定され、しばらく夜会の出入り禁止というキツいお灸を据えられたのだが。令嬢達本人とその父親達が、顔面蒼白になって謝りに来たが、「アデルが謝罪を受け入れる必要はないから」とユリウスが小さく微笑んで言い、きちんと会わせてももらえなかった。それは初めて見る、ユリウスの黒い笑みだった。

 ユリウスと義母のブランカが相当動いたようだが、二人とも「何もしてないよ?」とすっとぼけている。怒らせたら相当怖いタイプの人達だと思い、ちょっとあの令嬢達に同情したのは秘密だ。

 


「アデル、君はまた身体を冷やして……。というか、早く寝よう」


 レシピの試作結果の紙を並べて、寝室の机でうんうん唸っていると、ユリウスにやんわりと止められた。アデルは熱中すると止められなくなるタイプで、ついつい徹夜してしまいそうになるのだ。


「でも、オープンが近づいているし……」

「頑張りすぎだ。明日にしなさい」


 ユリウスはひょいっと私を抱きかかえて、ベッドに運んでしまった。急に彼の香りに包まれて、アデルはドキドキしながらその首につかまる。それにしても、軽々としたものである。

 それからベッドの中央に優しく横たえられて、すぐ横にユリウスが潜り込んだ。布団を丁寧にかけてから、アデルを包み込むように抱きしめて言う。


「今日もよく頑張ったね。アデルは努力家だ」

「そんなこと……」

「いつも尊敬してる。偉いね」


 ユリウスの長い指が、アデルの髪を梳くようにして撫でる。甘い言葉であまやかされて、優しく触れられて、身体の中心がきゅぅんと疼くのを感じた。


「おやすみ、アデル」

「おやすみなさい……ユリウス」

 

 彼の逞しい腕に、更に抱き寄せられる。酷く心臓がどきどきしてうるさくなるのに、同時に何もかもから守られているように感じて、安心しきって――すぐに眠気がやってくるのだった。



 ♦︎♢♦︎

 

 

 洋菓子店のオープンの準備は、どんどん整っていった。

 ユリウスは自分の出る幕がなさそうだからと言い、店舗だけはと、良い場所をすっかり手配してくれた。公爵家の伝手を最大限利用してくれたのだ。


 洋菓子店オープンの場所は、王都の表通りの一角にある、元惣菜店に決まった。ちょうど、店を手放そうとしている老夫婦がいたのである。

 ここなら大型のオーブンも初めからついているし、ちょうどよかった。当面の間はこのオーブンだけでも、何とかなりそうだ。そのうち拡充はするかもしれないが。

 立地は完璧で、治安も良いし、人目にもつきやすい。

 

 アデルは、大急ぎで店舗の改装を手配した。

 外壁を可愛らしいターコイズブルー……前世で言うところの、ティファニーブルーに塗ってもらう。看板は真っ白の楕円形にして、グレーで流麗なテキスタイルデザインを描いてもらった。店名はわかりやすく、『パティスリーアデル』である。少し悩んだが、分かりやすく親しみやすい方が良いだろう。

 店内はまるで宝飾品を扱う店のように、真っ白にした。売り場の床は、白の大理石で覆った。

 ジュエリーのようなケーキ達を際立たせて、高級感を持たせるのだ。木造で温かみのある作りの多い、他の洋菓子店と差別化するという意図もある。


 それに、実は店の裏手には広々としたウッドデッキが付いており、景色も中々良い。昔はイートインスペースとして、使われていたらしい。経年劣化が見られるが、改装して屋根などを綺麗にすれば、パティスリーアデルにもいつかイートインスペースを作ることができるかもしれない。

 初めは持ち帰りの販売だけで様子を見るものの、夢が広がる。


 看板メニューは、一番品質に違いの出る王道、イチゴのショートケーキにした。そして、季節のフルーツのタルト。フランボワーズのムース。さらに、長期保存が可能な焼き菓子である、クッキーの詰め合わせを並べる。

 クッキーは、ティファニーブルーのアイシングとピンク色の食用花で華やかにしたものを、目につくアイコンにした。それを含む四種類のクッキーを、透明な四角いラッピング袋に詰めている。

 

 まずはこれらのメニューを基本に、回していくこととした。

 価格帯は一般に流通している洋菓子より少し高めに、でもぎりぎり庶民にも手が届くくらいの、絶妙なラインに設定する。主なターゲット層は、貴族と裕福な平民だ。味の品質の高さと、見た目にも凝って高級感をつけることで、付加価値をつけていくつもりだ。

 

 ゆくゆくは月替わりの季節メニューも加えたいと考えているが、それは様子を見つつ行なっていくことにした。

 それに、王道なものだけでなく、捻ったメニューも作りたいし。沢山のケーキがずらりと並んでいると、選ぶ楽しみもあると思う。

 本当はチョコレートを使ったメニューも是非加えたいのだが、材料のチョコレートの安定的な入荷に、少し不安があった。どこかの転生者が作ってくれたおかげで、チョコレート自体は存在するものの、まだ流通が不安定なのだ。これは、今後の課題である。

 

 

 さて、夜会デビューであんなことがあったが、公爵夫人として社交から逃げてもいられない。

 アデルは義母のブランカと一緒に、出席する夜会やお茶会を慎重に選んだ。ブランカは美しき男装の騎士と呼ばれているだけあって、多くの女性貴族の事情に詳しかった。とても頼もしい味方だ。

 公爵夫人として自ら開く初のティーパーティーでは、店のケーキを先んじてお披露目する予定だ。貴族達への宣伝としては、絶好の機会である。

 それに、貴族は『ここでしか食べられない』とか『ここでしか手に入らない』とか、そういうのに滅法弱い。アデルのケーキに価値を持たせることは、アデル自身の武器を作ることにもなり得るのだ。

 『貴婦人は厨房に立つべからず』という常識を覆す勢いにしてやる、と、アデルは息巻いている。



 忙しい日々はあっという間に過ぎていく。アデルの夢である洋菓子店のオープンは、もう目の前に迫っていた。


 

 ♦︎♢♦︎

 


 一方その頃、コンラート王国の東側にある大国、ストイッタ帝国。

 その城の、一角にて。

 

 黒を基調にした部屋には、ところどころに金細工で豪奢な装飾が施されている。その窓際で、一人の男がチェスをしていた。

 

 男の髪は真っ白だったが、歳は若く、その見目は非常に整っていた。群青の軍服を着こみ、足を組んでいる姿は、まるで一枚の絵画のようである。

 その冬の空のような、静かな蒼い瞳がじっと思案する。


「ユリウス・ローゼンシュタインが結婚か…………その周辺に、『ゲーム』を知る人物がいる可能性があると捉えて良いか」


 コトン、と一つチェスの駒を進める。ゆったりした声で、でもほんの少し愉しそうに、男は続けた。


「ならばこちらも、『シナリオ』を早めてやろう。なに、一人くらい、物語の主要人物に死人が出ていた方が……王国は、荒れるだろうからな」

 


 シナリオの始まりが、大きく前倒しされようとしていた。

 今まさにコンラート王国の運命が傾きつつあることを、この時はまだ王国の誰も――アデルでさえも、知らなかったのである。

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