1-10 嫉妬と意地悪

 その日、アデルはずっと、夢見心地だった。


 公爵夫人としてデビューする夜会の日。

 義母ははであるブランカが用意してくれたドレスは、まるで御伽話のように美しいものだった。

 

 アデルの実家はしがない伯爵家だから、一般的な、それも少し型の古いドレスしか着たことがなかった。アデルの幼い外見に合わせて、ピンクやオレンジの、ありがちなプリンセスラインのドレスばかりである。

 それに対して今日のドレスは、とてもスタイリッシュで大人っぽかった。縦のラインを強調する、ノースリーブのマーメイドライン。背中は挑戦的に大きく開いており、首元だけリボンで結ばれている。色だって大人っぽい薄グレーだ。

 初めて目にした時は自分なんかに着こなせるのかと、とても不安だった。でも、いざ着てみると、それはアデルに大変馴染んだ。ブランカのセンスがいかに良いかが伺える。

 縦のラインはアデルのほっそりした体を強調し、身長の小ささや幼く見えるという欠点を、見事にカバーしていた。角度によって薄紫に見える薄いグレーの本生地と、上に重ねられたオーガンジーは、大人のミステリアスさを演出していた。

 

 施されたメイクも素晴らしかった。今まではピンク系を主体とした子供っぽいメイクをしていたが、今回はブルー味の強い紫を主体とした大人っぽい色使いだ。チークは控えめに、リップも彩度の低い、ブルー味を帯びたピンクである。公爵家のメイドのメイクの腕は素晴らしく、鏡を見たアデルは思わず「これが……私……?」と言ってしまったのだ。

 

 改めて見た鏡には公爵夫人に相応しい……新生アーデルハイト・ローゼンシュタインが映っていたのである。


 ドレスアップした後もずっと、夢見心地だった。ユリウスはアデルのドレス姿を、真っ直ぐな言葉で褒めてくれた。嘘みたいな話だが、彼はその白磁の目元をほんのり赤らめていて、その言葉が嘘ではないことを物語っていた。


 そして正装の騎士服を纏ったユリウスの、凛々しいことと言ったら。ダンスシーンのスチルでしか見たことのないその姿に、アデルはすっかり見惚れた。深い紺の禁欲的な騎士服は、まるでユリウスのためにあつらえられたみたいに彼に似合っていた。詰襟をきっちり締めて着こなしているのに、紅い瞳と泣きぼくろがこの上なくセクシーだった。


 いざ会場に入ると、貴族の好奇の視線を一斉に集めたのを感じて少し緊張したが、隣に堂々としたユリウスがいるのを思い出し、心強かった。

 

 王子殿下の御前に出るのは初めてではないものの、今回アデルはかなり緊張した。

 なんたって第一王子、クロード・サン・シュトラウスは、乙女ゲーム『煉獄に咲く野薔薇』のアイコンにもなっていた、一番のメインキャラクターである。同じくメインキャラクターを務めていたユリウスと並び立っている姿は、美麗すぎてまさに壮観だった。


 クロード・サン・シュトラウスは、『ゲーム』の運営が一番推していた攻略キャラクターである。母である前王妃は彼を産んでなくなっているものの、彼女はローゼンシュタイン公爵家から嫁入りした経緯があり、公爵家の強い後ろ盾があるという設定だ。このため第一皇子派閥では、騎士の家系の勢力が強い。

 クロードは金髪碧眼で、まさに正統派の王子様といった外見。その絹のような金髪は斜めに流され、翠の目はいつも優しげに光っている。微笑みを絶やさないその姿は、まるで絵物語の王子様のようだ。しかし彼の内面はとても賢く、どちらかと言えば狡猾で――――物語の裏で派閥争いを操り、自分に有利なように暗躍するような面もあるという設定だった。

 彼は他の人間達をやや見下しているところがあるのだが、ヒロインに出会って初めて、恋の激情に苦しむという設定だ。こんなことを言っては大変失礼に当たるが、いわゆる初恋童貞というやつである。


 ユリウスとも親しいクロードは、面白がりながらも、まるで見定めるような視線をアデルに向けてきた。アデルは自分にできる精一杯のすまし顔をして、それをやりすごした。


 貴族たちとの挨拶の間中、アデルは今まで向けられたことのないような視線の数々に晒され続けた。

 しかし、会話にはさして問題を感じなかった。幸い記憶力だけは前世から抜群であり、一度聴いた名前ならすぐにそらんじることができる。

 そもそも一度読んだ本の内容を二度と忘れないので、前世高校生の時までは『勉強』というものを本格的に必要としなかったぐらいなのである。伊達に日本トップの国立大、その博士卒ではないのだ。

 隣にいるユリウスはと言えば、勿論その明晰な頭脳に重要人物たちの情報はしっかり入っているものの――その娘さんなど、女性の名前を覚えるのがやや苦手なようだった。さすが『女性嫌い』、本当に女性に興味がないらしい。


 友人のアレックス・ギルバートを紹介したかった、と言われた時は少しギクリとした。

 アレックス・ギルバートと言えば、スマホゲーム『煉獄に咲く野薔薇』において、ユリウスの親友兼ライバルとしてお馴染みの攻略キャラクターだからだ。今日は見当たらないと言われて、正直ホッとした。一日にメイン攻略キャラクターとこれ以上話すのは、いくらアデルでも少々キャパオーバーである。

 アレックス・ギルバート様は貴族女性たちの間で『赤髪の貴公子』と呼ばれ、これまた大変人気のある殿方だ。ゲーム内ではお色気チャラ男枠として、多くの女性と浮名を流しているという設定だった。主人公にだけ本気の恋をしてしまうという、よくあるお馴染みのやつである。

 

 さて、そうこうしてやってきたダンスの時間は、まさに夢のようだった。ユリウスとの身長差をカバーするための訓練には多少苦戦してきたものの、既に調整は終わっており、今日の本番はリラックスしてこなすことができた。

 ユリウスのリードは力強く、でも思いやりがあって繊細で、とても踊りやすかった。アデルは途中からすっかり楽しくなってしまい、この時間が永遠に続けばいいのに、と思ったほどである。

 あいにく曲はすぐに終わってしまい、二人はすぐにその場を離れた。

 

 ユリウスがサッと休憩用の椅子に座らせてくれたので、アデルは大人しくそれに従った。どっと疲労感が押し寄せる。やはり、相当気疲れしていたらしい。ユリウスは飲み物を取ってくると言い、その場を離れた。

 


 ――――ここまでは、順調だった。


 

 しかしアデルはそこで、はっきりと目撃してしまった。

 ほんの少し自分から離れただけで、ユリウスがあっという間に、花のような女性陣に囲まれる姿を。

 彼がもう既婚者であるということは、まるで無視されているみたいだった。特に最前列にいる社交界の華――ラファエラ・グラッセ侯爵令嬢は、一番遠慮がなかった。見ればまるで自分がユリウスのパートナーであるかのように、その腕を取り、ベタベタとくっついているではないか。ユリウスはと言えば、すっかり困った様子ではあるものの、さして抵抗もせず為されるがままである。

 

 ――ユリウスは、私の夫なのに。

 

 カッと頭に血が昇るのを感じた。大変なショックを受けている自分に、自分でも驚く。

 結婚より以前、彼が女性に囲まれている姿を遠目に見た時は、「さすが推しキャラ」としか思わなかったのに。

 これは――紛れもなく嫉妬、だ。私は知らないうちに、こんなにユリウスを好きになってしまったんだ、と改めて絶望する。自分の独占欲に、ほとほと呆れた。

 この結婚は契約なんだから、彼に迷惑はかけられないのに。そもそも、好きになっちゃいけない人なのに、こんなに苦しいなんて――――どうしたらいいのだろう。

 アデルはユリウスから目を逸らし、俯いて、自分の胸の痛みをやり過ごすので必死だった。


 ユリウスは何とか飲み物を取ってきて手渡してくれたが、その時にすっかり弱った声で言った。


「ラファエラ・グラッセ侯爵令嬢がどうしても一曲と言って聞かない。すまないが、一曲踊ってきても良いか?」


 ――嫌だ。胸がぎゅうっと、軋むように痛んだ。本心は、泣いて嫌だと駄々を捏ねたい気持ちだ。

 でもグラッセ侯爵家と言えば、第一王子派閥をまとめ上げるのに尽力している重要な家。その娘の要望を軽視することはできない。

 それに、ファーストダンスは既に夫婦で踊ったのだ。これ以上ユリウスを縛ることはできないと、自分に言い聞かせた。


「グラッセ侯爵家の顔を立ててください」

「……すまない」

「私は……少し、バルコニーの方に出ています。夜風に当たってきます」


 そう言って、ユリウスと別れた。

 アデルは一人、ふらりとお城のバルコニーに出る。ここなら好奇の視線からも少し逃れられると思ったのだ。それに何より、ユリウスがラファエラと踊るのを目の当たりにしたくなかった。彼女はブロンドが美しい大変な美人で、身長が高く、おまけにスタイルも抜群。並び立つ姿があまりにもユリウスとお似合いだったから、どうしても自分と比べてしまう。本当は、ラファエラがユリウスの結婚相手として最有力候補だったということも、アデルは知っていた。

 

 冷たい夜風が、頬を撫でて心地よい。少し心の整理ができたら、この会場にいるはずの義両親を探しに行って合流しよう。そう、思っていたその時である。

 


「ちょっと、あなた」


 

 尖った声をかけられた。すぐに振り向くと、そこには令嬢が四、五人、並んで立っていた。まるで、アデルの逃げ道を塞ぐみたいに、囲んでいる。

 

「あなた、何様のつもり?急にユリウス様と結婚するなんて。一体どんな手を使ったの?皆噂しているわ!」


 しまった、厄介なのに絡まれた――と思うが、もう遅い。中心になって立っている彼女は、社交界の華であるラファエラの取り巻きの、筆頭だったはずだ。彼女はただでさえキツい目元を更に吊り上げながら、その高い背でもって私を威圧してきた。

 

「見た目も家格も全然釣り合ってないのよ、恥を知りなさい!」

「ユリウス様は、本当はラファエラ様と想い合っていたのよ!それをあなたが引き裂いたの!」


 それはない、と分かっているのに、先ほどの二人のお似合いな様子を思い出してしまい、胸がちくりと痛む。令嬢達はアデルに向けて更に歩み寄り、集団で次々に口撃をかましてきた。

 

「あなたみたいなお子様、ユリウス様に何もかも釣り合ってないのよ!」

「あなたのせいでユリウス様が少女趣味だとレッテルを貼られているのよ、分かってるの!?」

「あの麗しい方がそんなレッテルを貼られるなんて、許せない」

「一体どんな卑怯な手を使ったのよ!この恥知らず!」


 アデルは本来、弁が立つ方だ。こういう喧嘩を売られることはしょっ中だし、虐めてきた令嬢を論破し続け、逆に泣かせてしまうことだってしばしばある程だった。

 でも、今日のアデルは全然ダメだった。何一つ言い返せなかった。


 私の存在が――――ユリウスに、迷惑をかけている。

 

 少女達の言葉の一つ一つが、刃のように私の胸を切り裂いていった。アデルはただ黙って、それを聞いていた。第一こういうものは右から左に流すのが一番良いとわかっているはずなのに、今日はどうしてもそれができなかった。

 

 その時ふと、控えていた護衛の騎士と目が合った。アデルは小さく手招きして見せた。

 ようやく異変に気づいた騎士がこちらに来る、それまで何とか耐えようと、そう思った瞬間のことである。


「あなた、ちゃんと聞いているの!?――――――ああいけない、あなたのせいで、手が滑ってしまったわ!」


 中心に立っていた少女が、アデルのドレスに盛大に赤ワインをひっくり返した。

 

 美しい、ドレスが……。

 せっかくブランカが仕立ててくれたドレスが汚れていくのを、まるで他人事のようにぼうっと眺める。アデルは自分の見ていた夢が、急速に覚めていくような――せっかく掛けてもらった魔法が、すっかり解けていくような、そんな心地だった。


「おい、何をしている!」


 それを目撃した騎士が、声を荒げて駆け寄ってくる。令嬢達はまるで蜘蛛の子を散らすように、一目散に逃げていった。


「公爵夫人!大丈夫ですか!?」

「…………ごめんなさい、ドレスを、ちょっと汚してしまって」


 アデルは、何とか苦しい声を絞り出した。

 こんな惨めな姿で、この場に立っているのが耐えられなくなったのだ。


「ごめんなさい。…………ローゼンシュタイン公爵家へ帰る馬車を、手配してください」

 

 本当は、ユリウスが帰ってくるまで会場を去るべきでないとわかっている。公爵夫人として、毅然として対応すべきだったこともわかっている。


 でも――――アデルはこの世界では、まだ十七歳の女の子だったのだ。


 心はどうしたって傷ついてしまい、悲鳴を上げていた。

 ユリウスに釣り合っていない、と言われたその言葉を、確かにその通りだ、と納得してしまう自分がいるのも事実だった。


 アデルはユリウスを待たず、一人で馬車に乗り込み、ローゼンシュタイン公爵家に帰った。

 心配するメイドのリナや、他の使用人達に、一人にしてほしいと言い残す。自分で簡単な湯浴みをしてしまい、着替えたあと、アデルは大きなベッドにばふんと横になった。


『見た目も家格も全然釣り合ってないのよ、恥を知りなさい!』

 

「…………そんなの、」


 小さな声で呟く。そして息を殺しながら、小さくしゃくり上げた。


「私が一番、わかってるよ………………」


 その晩アデルは、枕に顔を埋め、小さな悲鳴を上げるように一人で泣き続けた。

 そうしているうちに泣き疲れて、そのまま眠ってしまったのだった。

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