1-9 二人で夜会へ(ユリウスサイド)
元公爵夫人、つまりアデルの義母となった人の名は、ブランカ・ローゼンシュタインと言った。
彼女は騎士を多く輩出する侯爵家に生まれ、また自らも才能があったため、女性騎士を志した。騎士団ではその才気で団長補佐の位にまで上り詰め、団長であったユリウスの父と一心同体となって騎士団をまとめ上げた女傑である。
彼女は大変に美しく、その身長はゆうに百八十センチを越していた。細くしなやかな体躯には無駄のない筋肉がつき、癖の強いハニーブロンドを男のようにバッサリと切って、横へ流していた。
そんな彼女は『美しき男装の女騎士』として貴族女性の憧れの的となり、ダンスパーティーでは多くの女性のパートナーを務めたものである。
さて、そんな彼女には、人にはあまり言えない秘密があった。
彼女は――――『可愛いモノ』が、大好きだったのである!
レースにフリルにリボン、お砂糖、カラフルなお菓子。お花に、ロマンチックな恋物語。そして可愛らしい、小さな女の子。そんなモノたちがとにかく、大好きだったのである。
けれど彼女の身長はどんどん大きくなってしまい、そんなモノは自分には似合わないと、必死に切り捨てて来た。だがその一方で、彼女の秘密の宝箱には、アンティークのレースやフリルたっぷりのリボンなんかが、どんどんと溜まっていったのだった。
彼女は自分が結婚できた時、ある決意をしていた。可愛らしい女の子を産んだ暁には、これまでの自分の抑圧を捨て去り、目一杯に猫可愛がりするのだと。
しかし彼女は、長男のユリウスを産んだ後、不妊となってしまい、女の子には恵まれなかった。
公爵が心から彼女を愛してくれており、子供はユリウスだけで十分だと、妾を取ったりしなかったことだけは救いだった。
だから。
そんな事情があったから――――彼女は初めてアデルを目にした時、衝撃を受けたのだ。
「初めまして。アーデルハイト・オットーと申します」
――――妖精さんがいる!!
ブランカ夫人が真っ先に思った言葉は、これであった。
しかも何と、何と。
息子のユリウスはこの可愛い可愛いアデルを、嫁にすると言うではないか。
それはつまり、彼女が『
ピシャーーーン!!
そのとき、ブランカ夫人の脳内には雷鳴が轟いた。
だって、この妖精さんが、『
可愛がり放題である!
着せ替え放題である!!
飾り付け放題なのである!!!
ブランカ夫人は、こっそりと温め続けてきた自分の趣味を、今こそ解放する時だと悟ったのだ。
幸い、センスには自信があった。
それからブランカ夫人は公爵家の伝手という伝手を使って、アデルを美しくドレスアップするための準備に取り掛かったのである。
♦︎♢♦︎
今日は第一王子の生誕を記念する夜会の日だ。
アデルを公爵夫人として夜会デビューさせると公爵家が決めた、大切な日である。
恋心を自覚したユリウスだが、アデルとは結婚前と変わらない良好な関係を築いていた。
ただ一つ、初夜から変わったことと言えば、ユリウスが、アデルと二人寄り添って眠るようになったことだ。
これは不思議な現象なのだが、寝入る時二人がどんなにベッドの端と端で離れていても、朝方気づくと寄り添って眠っているのだ。しかも多くの場合、ユリウスはアデルをしっかりと抱き締めてしまっている。
困り果てたユリウスはアデルに申し訳が立たず、何度もしきりに謝った。境界線として真ん中にクッションを並べてみたりもしたが、気づくと綺麗にクッションを避けて、二人寄り添っているのだ。
とうとう、アデルが「大丈夫、これで問題ないわ」と折れてくれたので、毎日そのまま過ごすようになってしまった。
これはユリウス自身も不思議なことなのだが、仮にも初めて好いた女性を抱き締めて眠っているというのに、ユリウスは以前よりも熟睡してしまうようなのだ。毎日、身体の調子がすこぶる良い。どうやらアデルの体温や香りが、ユリウスを安らがせるようだった。
このままで良いのか
「お待たせしました」
夜会のための正装の騎士服を身に纏い、自宅の玄関でぼうっとしていると、ドレスアップしたアデルが階段を降りてきたようだった。何だか母親がやたらと張り切っていたが、大丈夫だろうか。
ユリウスはパッと顔を上げてアデルを認め――――そのあまりの美しさに呆然として、固まってしまった。
アデルは薄いグレーの生地の、スタイリッシュなノースリーブドレスを身に纏っていた。生地自体は薄いグレーだが、見る角度によって薄紫のようにも見える、不思議で美しい生地だ。その上を、クリスタルのように輝くオーガンジーが一枚覆っている。スカートはシュッとしたマーメイドラインだ。
それは、まるでアデルのためだけに造られたかのように、とても彼女に似合っていた。
アデルの後ろから着いてきたユリウスの母が、鼻高々に言う。
「どうだ?見惚れたろう、息子よ」
「……はい」
正直に答える。自分が今どんな顔をしているか、皆目分からない。頬が赤くなっている気がする。
ユリウスの答えに、アデルはパッと頬を薔薇色に染めた。その愛らしさに、動悸と眩暈がした。
そんなユリウスたちのやりとりをニヤニヤと眺めながら、凛々しい騎士服を
「アデルは折角、こんなに細くてスラリとした体型なんだから、縦のライン、つまりIラインを強調する方が良いと思ったんだよ。勿論、今流行りのパフスリーブとプリンセスラインのドレスも、可愛らしくて似合うけどね。アレはちょっとゴテゴテしやすいから。私はこっちの方が、アデル自身の魅力を引き出せる上に、大人っぽく見えると思ったんだ。アデルはもともと持っている色が美しいのだから、ドレスは無彩色のものにして、アデル自身の美しさを強調するようにした。その分、特殊な生地で妖精のようなミステリアスさを演出させてもらったけれどね?」
母は早口で、非常に嬉しそうだ。この人はこう見えて可愛い物が大好きなので、アデルのような
「わ、私自身もこんな素敵なドレスを着たことがなくて、恐縮なんですけど……ねえユリウス、衣装負けしていない?」
「全然。とても綺麗だ」
思ったことがそのまま口をついて出てしまう。ユリウスは口下手だから女性を上手く褒められた試しなんてないが、アデルのことは心の底から可愛くて綺麗だと思っているので、思ったことをそのまま言うだけで良かった。
近づいてきたアデルは、ユリウスの言葉を聞いて、また頬を薔薇色に染めている。その顔をよく見ると、薄づきのメイクが整った彼女の顔を引き立てていることがわかった。薄い紫のアイシャドウが似合っている。
「ありがとうございます、お
「いいんだよ!君自身が魅力的なんだから自身を持って、アデル」
アデルがクルリと母の方を振り向いた時、ユリウスはギョッとした。アデルのドレスは、背中が大きくパックリと開いているデザインだったからだ。真っ白な背中が眩しすぎる。
「お、おい、母上。ちょっと背中が開きすぎなんじゃないのか」
「大人の女性なんだから、それぐらい良いだろう」
「全然良くない」
「はあ……過保護だね。仕方がない。アデル、コレを羽織っていなさい」
母はやれやれと言った風に、アデルに薄生地の白いショールを手渡した。アデルがそれを身に纏ったのを見て、ユリウスはほっとした。あまりにも心臓に悪すぎる。
「ハハハ、俺と同じで、妻にベタ惚れだな。良いことだ」
横で見ていた父がそう言い、上機嫌で笑った。ユリウスはカッと体温が上がるのを感じたが、事実そうであるので、何も返す言葉がない。
どうして契約結婚なんて言ってしまったんだろう。普通に結婚を申し込んでいれば、今頃どんなに幸せだっただろうか。ユリウスは本当に、心底後悔してしまう。
「……アデル、行こう」
今一度気を取り直して手を差し出すと、アデルがはにかみながら、そのほっそりとした手を載せた。
「はい、ユリウス。頑張るわ」
「俺が付いているから、大丈夫」
こうしてユリウス達は馬車に乗り込み、夜会に出発した。
♦︎♢♦︎
会場に到着すると、ユリウスたち二人は一気に注目を集めた。
無理もない。今まで女性に見向きもしなかった公爵が、突然電撃結婚したのである。噂好きの貴族の好奇心を、これほど集めることはないだろう。
アデルは堂々とした足取りでリードされていたが、ユリウスの腕にかけた手に、少しだけ力が入るのを感じた。
「大丈夫。そのまま堂々としていれば。君は綺麗だ」
「……はい」
余分に入った力が少し抜けたのを見て取り、ユリウスは安心した。
まずは第一王子のクロード・サン・シュトラウス殿下に挨拶に行く。殿下とは従兄弟であり、乳兄弟でもあるので、実は気心の知れた仲だ。公の場でもない時は、気軽な口調で話しているくらいだ。今日は、そういうわけにもいかないが。
「クロード殿下。本日は誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。ローゼンシュタイン公爵、ユリウスと、その妻、アーデルハイトが参りました」
「殿下、誠におめでとうございます。アーデルハイトでございます」
殿下の御前に出て、正式な礼を取る。アデルもそれに続いた。アデルのマナーチェックは母が直々に行ったが、何も問題ないと太鼓判を押されている。そもそも彼女は賢い上に、所作も綺麗である。
「ありがとう、ユリウス。二人とも、楽にしていいよ。ユリウスの奥様としては初めましてだね、アーデルハイト夫人」
「はい。今後とも、夫ともども何卒宜しくお願い致します」
クロードはその美しい金髪をきらめかせ、翠色の目を細めた。アデルに向けるその眼差しは、まるで面白いおもちゃを見つけた子供のそれである。ユリウスが結婚した相手に、興味津々なのだ。
ちなみに契約結婚云々については、ユリウスは誰にも口外していない。この結婚は表向き、ユリウスの一目惚れということになっている。アデルは自分のメイドと親友にだけ、真実を話したいと言い、了承しているが。
「ユリウスが一目惚れなんて、うららかな春の日にヒョウでも降るのかと思ったけれど。これは納得だね。まるで精霊の女王のようだよ。アーデルハイト夫人」
「お褒めに預かり、大変光栄です」
アデルが恐縮する。そう、今日ユリウスたちが注目を集めているのは、この電撃結婚だけが理由ではない。アデルがあまりにも美しいから、というのもまた、理由の一つなのだ。
アデルへの視線を隠そうともしない貴族男性達に向けて、ユリウスは思う。今までアデルの価値を何も分からずに、彼女を見下してきたくせに、と。まあ、アデルのことを知らなかったユリウスが言えたことではないのだが。
「今度ゆっくり、二人の馴れ初めを聞きたいなぁ?」
「お戯れを。どうか程々にしてください、殿下」
ユリウスは拒絶の眼差しを向けたが、殿下は全く怯まない。これは近々、根掘り葉掘り聞かれそうだぞ、とユリウスは思った。異様に勘が鋭いクロードに一体どこまで隠し通せるのか、ユリウスは一抹の不安を覚えた。
その後は第一王子派閥の主要な貴族たちに、上から順に挨拶をしていった。
アデルの実家はもともと、第一王子派閥寄りである。彼女は派閥に属する貴族たちの、その末端の家族の名前まで暗記しているようで、挨拶に詰まることはなかった。少し心配していたのだが、逆にユリウスが助けられる始末だ。ユリウスは女性の見た目の見分けがあまりつかないから。香水の臭いにうっとなる間にアデルがこっそりと名前を耳打ちしてくれて、大変助かったのである。
貴族達の品定めするような嫌な目線が、次々とアデルに向けられる。ユリウスは彼女を励ますように、何度か彼女の手を握った。彼女はその度に、それを握り返し、シャンと姿勢を正して見せたのだった。
「本当は俺の親友を紹介したかったんだが、今日はあいにく裏方にいるらしい」
「ユリウスが親しくしているというと……騎士で侯爵家嫡男の、アレックス・ギルバート様とか?」
「良く知っているな。そうだよ」
ユリウスが最も親しくしている友人、そしてライバルと認識している人物――それがアレックス・ギルバートだ。彼は今日は殿下の護衛として、完全に裏方にいるらしい。本来ユリウス自身も殿下の護衛ではあるのだが、今日は公爵としての仕事とアデルのお披露目を優先している。
本当はアレックスにもアデルを紹介しておきたかったのだが、どうにも姿が見えなかった。少し残念だが、まあ機会はこれからいくらでもあることだろう。本音を言えば、美しいアデルを見せびらかしたかっただけだ。
だけど、奴は大変な女たらしで有名なので、今日のアデルに会えば甘い言葉を投げかけること間違いなしであった。それはそれで面白くないだろうな、とも想像する。自分はここまで心の狭い人間だっただろうか。
「これで必要な挨拶は終わったよ。お疲れ様」
「サポートしてくれてありがとう、ユリウス」
「いや、俺の方が…………ああ、ちょうど曲目が変わる。ダンスを踊ろう」
ダンスを踊って見せるのも、公爵夫人のお披露目としては重要なことである。
「お手をどうぞ」
「はい、ユリウス」
アデルは立派に微笑んでみせた。
ダンスを踊るスペースの中央に進み出ていく。多くの好奇の眼差しが、一斉に自分達に注がれるのを感じる。
少しでも彼女を励ましたくて、アデルの手を握る力をきゅっと強めた。
「大丈夫だ、リラックスして」
「はい」
曲目が変わった途端、ユリウスたちは滑るように踊り出した。
アデルとユリウスはかなり身長差がある。だから家での練習は入念に行ってきた。ダンスの師に相談して、振り付けにアレンジを入れたところもある。
しかし、アデルはこれにもすぐに順応してみせた。彼女は運動神経も、なかなか優れていたのだ。それに、騎士であるユリウスは元々、身体を隅々まで使うことに慣れている。何度か練習すれば、かなり早い段階で息が合うようになった。
「上手いよ、アデル」
「ふふ。あのね……私、楽しいわ、ユリウス」
大注目を浴びているのにも関わらず、ユリウスたちはお互いを熱心に見つめ合い、気づけば言葉を交わしていた。
――きっと俺の仏頂面も、下手くそな微笑みを少し浮かべているに違いない。ユリウスはそう思った。
美しい生地のドレープを広げて舞うアデルは、ユリウスが最初に印象を受けた通り、やっぱり精霊のようだった。ユリウスは夢見心地でアデルに見惚れながら、彼女を時にサポートし、ダンスを踊った。
この時が永遠に続けばいいのに、とさえ思う。しかし、楽しい時ほど時間が過ぎるのは早いもので、すぐに曲は終わってしまった。
気疲れしているだろうアデルに無理をさせる訳にはいかないので、一曲終わるとすぐにダンス会場から離れた。
「アデル、喉が渇いただろう。飲み物を持ってくるから、ここで少し休んでいて」
「ありがとう」
ユリウスはアデルを座らせて、飲み物を取りに行った。お披露目として必要なことは全部こなしたし、もう十分だろう。休ませているアデルに飲み物を飲ませたら、すぐに帰ろうと思っていた。
そう、ここまでは。
とても、順調過ぎるほど――――順調、だった。
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