1-8 ケーキの試作と訓練

「……で、契約結婚なのに、結婚初夜に好きになっちゃったと」

「ううう。改めて言葉にして言われると、ぐっさり刺さるものがある……」


 公爵家の、アデルの自室にて。テーブルの斜め隣に座ってお茶を飲みながら、今の状況を的確に表現して見せたのは、アデルの一番の親友、エリーゼ・ギュンター伯爵令嬢だ。

 エリーゼは、王立学園に通っていた頃、アデルと同じクラスだった。彼女も日本からの転生者であることを知って、すぐに仲良くなったのだ。


 エリーゼは真っ直ぐなダークブロンドをサラリと伸ばし、今日はハーフアップにしている。前髪はセンター分けで、口元にほくろがある。彼女は、とても清楚な色気を持つ美人だった。瞳はつやめく黒曜石のような黒。身長も丁度良い百六十五センチ程度で、体は痩せているのに胸が大きい。そして彼女は大層色白であり、よく『薄幸そう』と言われるのだそうだ。

 恵まれた容姿に思えるエリーゼだが、彼女もまた、変な男性を惹きつけやすいことでお馴染みであった。王立学園では男子生徒たちから密かに、『生まれた時から未亡人』なんて不名誉なあだ名で呼ばれていたものだ。

 

 エリーゼは、アデルが『ゲーム』でこの世界を知っていたということも、アデルの結婚が契約結婚であることも知っている。アデルの大切な、秘密の共有者だ。無論、彼女自身は『ゲーム』を知っていたわけではない。彼女は生前、小児科の勤務医をしており、仕事に生きる女として忙しくしていたらしい。だからスマホゲームなんて、やったことがないのだそうだ。

 

 エリーゼとお茶をするアデルの自室に部屋に控えているのは、もう一人の秘密の共有者――メイドのリナだけである。人払いを済ませてあるからこそ、二人は今、こんな秘密の話ができるのだった。

 エリーゼは容赦なく、小さな子供を叱るみたいに言葉を続けた。


「どうするの?第一白い結婚なんて、子ができなかったらいずれバレるじゃない」

「ごもっともですけど……数年経ったら養子を取る予定にするって、ユリウスは言っているわ」

「あなたは、それでいいの?」

「ううん……本当は、ユリウスに迷惑が掛かりそうになったら、自分から離縁を申し込むつもり。表向きは不妊を理由にできるし……」

「そうじゃない。そうじゃなくて、アデル。あなたの心はどうなるのって、聞いているのよ」


 エリーゼの口調は優しいけれど、彼女は静かに怒っていることがわかった。アデルはしゅんとする。彼女は普段おっとりしている分、怒ると怖いのだ。


「この気持ちは伝えないつもりだもの……少しでもユリウスの迷惑になることは、嫌なの」

「そんなの、アデルの心が参ってしまうわよ。絶対にダメ。ねえ……今から本当の夫婦になることはできないの?」

「そんなの、無理……!第一ユリウスは女性が嫌で、この契約結婚を持ちかけたのに。その相手が自分に惚れてしまったなんて知ったら、悲しむわ。私は大恩人を裏切ることになるのよ……!」


 アデルは強く否定した。自分に言い聞かせるみたいに、言葉を続けていく。


「せめて洋菓子店を軌道に乗せて、少しでも黒字を出して。肩代わりしてもらった借金を……少しずつでも、返せるようになったら。そうしたら……私から、この契約関係を終わりにするわ」

「アデル……」

「私、仕事に生きるわ!!職業婦人になるのよ!!」

「公爵夫人になったばかりなのに、何を言っているの……」


 エリーゼは頭を抱えてしまった。確かに彼女の言う通りであるが、こんな状況になってしまった以上、仕方がないのだ。


「このあと、早速ケーキの試作に『従業員』の二人を呼んでいるの。エリーゼも見ていく?」

「勿論、見ていくわ。私もお菓子作りは好きだし……あなたが困った時、力になれるようにしておきたいもの」

「ありがとうエリーゼ!大好きよ!!」


 アデルはエリーゼに抱きついて、自分の心が少しだけ解れるのを感じた。



 ♦︎♢♦︎


 

 さて、洋菓子店の経営に当たって重要なのは、信頼できる『従業員』である。建物は主にユリウスが探してくれているから任せてしまい、その一方でアデルは料理人の引き抜きに力を入れていた。厨房でエリーゼ、メイドのリナと共に待っていると、待ち人が二人やってきた。

 

「おーい、来たぞー」


 明るい声で呼びかけてきたのは、元オットー伯爵家料理人のエミール。アデルが小さい頃からお菓子作りに付き合ってくれている、心強い味方である。公爵家に行くからには、腕の良い料理人の一人くらい連れて行きたいと、父を説得して引き抜いてきた。公爵家と縁ができて上機嫌の父はといえば、二つ返事で了承した。

 実はエミールは、私と同じ固有魔法――『調合』という魔法を持っており、料理人としてはかなり希少な存在なのだが。そういうことは、父には黙っておいた。

 彼は明るい茶髪を短く刈り上げ、綺麗な新緑の目を持っている。中肉中背の男性だ。


 「………………お待たせしました」


 小さな声を出しながら、エミールの後ろをそっと着いてきたのはローザ。彼女は公爵家の料理人見習いだったのだが、とても手先が器用だと聞き、洋菓子屋を手伝ってもらうことになった。主にケーキの繊細な装飾などを担当してもらう予定である。

 ウェーブのかかった黒髪に、暗めの青い目。少し人見知りで物静かだが真面目で、小柄な可愛い女の子だ。


「よし。じゃあ今から基本のショートケーキを作るわよ。今日は私の『調合』をじっくり見せるから、よく見ておいてね」

「お嬢様……じゃない、奥様の『調合』はすげぇからなぁ!楽しみだ!!」

「エミール、あなたにも私と同じくらいのレベルになってもらうつもりだからね?」

「げぇ。スパルタすぎる……」


 エミールは舌を出して変な顔をしている。まあ無理もない。『調合』をアデルくらい、変人の領域まで極めている人は珍しいから。


 固有魔法『調合』。アデルが持つスキルである。固有魔法とは、この世界で一人一つずつしか持てない、高度な魔法スキルのことだ。

 この魔法は空中に任意の大きさの空間を作り、そこに液体や気体、固体を閉じ込めることができる。そこに魔力を注ぎ込むことで、風を起こして攪拌かくはんしたり、温度を上下させたり。果てには圧力の操作もできるのだ。菓子作りという点において見れば、チートな魔法と言えるだろう。

 この固有魔法自体は平民でも時々持っている人がいるくらいで、さほど珍しいものではない。勿論、平均的な魔力量は貴族の方が多いし、できることの幅も広いが。

 この魔法で繊細な操作を行うには、とにかく地道な反復練習が必須である。物心ついた時から、この神スキルを使ってお菓子作りに没頭していたアデルは、もう達人の域に達していると思う。


 洋菓子店を営もうと思ったのは、何も無謀な夢を掲げたかったわけではない。大量の生地でも一気に仕込める、このチートな魔法を自分が持っていたからこそ、決意したことなのである。


「行くわよ」


 まずは生地、パータ・ジェノワーズを作成していく。アデルが魔力を込めて指をひょいひょいと動かすと、厨房の机に置かれていた卵とグラニュー糖が浮き、球体になった空間へしゅるしゅると投入されていった。それから内部に起こした風で少し攪拌して、馴染ませる。


「ここが一番重要だから、よく見ていて」


 集中して魔力を込め、空中に浮いた球体――砂糖の入った卵液が、ふわりと光った。アデルはそこに指を入れて、温度を確かめる。


「これが人肌。必ず35℃〜40℃にすること。加熱しすぎると卵が固まってボサボサになるから、極めて慎重に。本当は湯煎するんだけど、魔法ならもっと均一に温度を上げられるわ。皆、指を入れてみていいわよ。温度を体で覚えて」


 言われたエミールたちが、次々に指を差し入れて、温度を確認していく。


「見事な人肌の温度だな」

「すごいです……」


 私は全員が確認したのを見届けてから、頷く。


「この温度にすることで、卵の気泡力を最大に高める。で、泡立てるわ」


 魔力で強い風を起こして、球体の中を一気に撹拌する。前世における、電動ミキサーの代わりである。


「白っぽくなるまで高速で攪拌かくはんして…………最後は、キメを整えるために、低速で攪拌する。一分程度ね。注意して均一に仕上げること。……こうよ」


 あっという間に、卵液は白くもったりとした泡状になった。仕上げにキメを整え終わった卵液を、台の上にあるボウルの上に注いでいく。球体から線が伸び、しゅるしゅると液体が落ちていった。


「目安は、こんな風に泡立て器で持ち上げて、八の字が描けるくらい。……このくらいね。見てみて?」


 泡立て器を使って、八の字を描いてみせる。うん、今日も完璧だ。


「いやすっげぇ。奥様、ここまで繊細な操作ができる人は皆、錬金術師になってますよ」

「うう〜ん、料理に使ってもチートなスキルなのに……どうして皆、使わないのかしら?」

「そりゃ、料理人より錬金術師の方がずっと稼げるからですよ。まあ俺は、あんまり繊細な操作ができないからこそ、料理人になったんですけどね……」

「エミール、絶対に極めてもらうからね?」

「はいはい……」


 エミールの言う通りで、『調合』スキル持ちが目指すのは大抵が錬金術師だ。精度の高い『調合』魔法を使える腕利きの錬金術師を、調理師として雇う案も勿論考えた。けれどアデルはやっぱり、信頼を一番に取った。エミールとは昔馴染みで、気心もよく知れている。公爵家に雇われていたローザも、しっかりとした身辺調査がされているのだ。

 事業運営で一番怖いのは、お金の持ち逃げや、技術の情報漏洩。アデルは、まずは信頼できる彼らを雇って、その技術を高め、育てることにしたのだ。

 まあ、アデル一人でもそこそこの大量生産はできる。貴族なだけあって魔力量が多いし。基本的な仕込み――魔力操作が必要な部分は、しばらくの間はアデル自身が主になってやれば良いと考えている。

 彼らを育成するのは、アデルがどうしても多忙な時や病気の時に、作業を代わってもらえるよう備えるためだ。


 アデルは卵液を球体の空間に戻して、今度は空中で小麦粉をふるい入れ、風でさっくりと攪拌した。やや粉っぽさが残るまで行ったら、静かにバターを流し入れる。さらに切り混ぜてから、再度ボウルに戻した。

 出来上がった生地をゴムベラで掬って、皆の前で落としてみせる。


「こんなふうに、リボンを描けるようになる程度が理想よ。落ち方とツヤの程度を、よく見ておいて」


 エミールとローザは何度も確認しては、感心していた。ローザは熱心にメモを取っている。エミールは手ぶらだ。幼い頃から何度も一緒にお菓子を作ったことがあるので、今回は生地の状態を、目に焼き付けることに集中したようだった。


 「ここからは手作業。型に流し入れて。空気抜き。優しく五、六回揺する。で、予熱したオーブンに投入、っと……」


 てきぱき作業をして、オーブンに入れた。この世界のオーブンは、幸い発達している。動力は電気ではなく、魔力の込められた魔石だが、繊細な温度調節もできるのだ。技術発達に貢献してくれたどこかの転生者の方、ありがとう。

 ちなみに冷蔵庫も同じで、魔力を原動力として稼働する大型の冷蔵庫が流通している。


「ここまでで質問は?」

「俺も練習はしてるけどさ。勢いの良い攪拌はなんとかなるけど、風で切り混ぜする感覚がまだわからない」

「あとでもう一回教えるから、地道な反復練習を続けてくれる?」

「は〜い……」

「……あの。魔法を使わないときの作り方も…………見せてもらえると、嬉しい……です」

「それは絶対に必要ね。今度改めて、一回やってみせるわ」


 エミールとローザの質問に答えていく。

 その後、アデルたちはオーブンから生地を出して冷ました。生クリームを、また『調合』の魔法を使って七分立てにし、一部分だけ八分立てにしておく。塗る部分によって硬さを使い分けるためだ。

 ここからも手作業になる。隣でローザにも同時に作業してもらいながら、手元を見せつつ、教えていく。


 切った生地に丁寧にシロップをはたき、間にクリームとスライスしたイチゴを挟む。そして、ナッペという作業――クリームで美しくケーキを覆っていく、大切な作業を行う。スパテラを使った繊細な動作が必要になる。まず一度クリームの下塗りをしてから、本塗りを行う。手早くやらずに何度も塗り直すと、クリームがどんどん硬くなってしまって口当たりが悪くなるから、一気に美しく仕上げていく必要がある。


「そうそう、上手よ!ローザ!!」

「細かい作業…………好きです…………」

 

 ローザは何度かの練習を経て、随分手早く綺麗にナッペできるようになった。これは心強い。

 

 最後に仕上げの装飾。クリームをもう一度攪拌して硬さを調節した後、絞り袋に入れたクリームを搾り出し、飾り付けていく。乾燥防止のため、茶漉しで全体に粉糖をまぶしたら、上に艶々のイチゴを乗せていく。最後にナパージュ――イチゴを更にツヤツヤに見せるためのゼリーを塗って、完成だ。これをよく冷やせば、美味しく食べられることができる。


「やっぱりお菓子作りは楽しいわね」


 イチゴにナパージュを塗りながら、エリーゼがニコニコと言った。前世医師だった彼女の趣味もまた、お菓子作りだったという。繊細な飾り付けが上手で、彼女もまた心強い味方である。


「実は物件も目星がついていて、正式に決まり次第、改装する予定なの。このメンバーで二ヶ月後のオープンを目指すから、各自私の課した課題の訓練を怠らないように。訓練中の給与も払うから、しっかりね。三日後また試作とチェックをしましょう」

「はーい」

「はい…………頑張ります…………」

「私は味見担当を、頑張りますので!!」


 最後に元気よく言ったのは、メイドのリナだ。彼女はドがつくほどの不器用なので、戦力外である。でも私の作ったお菓子を食べて育っているから、確かな舌は持っていると言える。


「リナの舌は頼りにしてるわ。それに、頼りになる用心棒だもの」

「うう……私の魔法も、お料理の役に立てばいいんですけど。なんせ浮かせるしかできないのでぇ」

「その効果範囲が全然違うじゃない。あなたは戦闘向きなの。適材適所よ」

「重いものを運ぶのはいくらでも任せてくださぁい……」


 リナはしょんぼりしているが、彼女の護衛があるからこそ安心して店の運営ができる部分もある。アデルはリナの背中をぽんぽんと叩いて、励ました。

 ここでエリーゼが横から、質問を挟んだ。

 

「原料の仕入れ先とかは、決まっているの?」

「公爵家の厨房が利用している商人から仕入れるのよ。最高級の材料だけじゃなくて、手広くやっているの。信用できるし、商品の品質も安定しているわ」

「公爵家様さまね……」

「本当に、それはそう」


 開店準備をするにあたって、それは嫌というほど実感していた。公爵家が全面的にパトロンになってくれるというのは、はっきり言ってとんでもない好条件。これこそが正真正銘のチートである。


「店が軌道に乗ったら売り子さんも雇うかも知れないけど、しばらくは私たちで交代しながら、頑張りましょう」

「私も仕事がない時は手伝うわよ」

「ありがとう、エリーゼ」


 エリーゼは伯爵令嬢だが、治癒院で治癒師の仕事をしている。別に働かなくても生活していけるのだが、やはり傷ついている人や病気の人を放って置けないのだという。実質的にはボランティアだ。

 そんなエリーゼは遠くを見て、ふっと笑って言った。


「お休みの日はとても暇してるから、丁度いいわ。どうせもいないしね」


 悲しき事実である。彼女は『前世から今世まで男性に縁がない仲間』でもあるのだ。


「み、店で良い出会いがあるかもしれないし!お手伝いしてくれたら、ちゃんとお給金は弾むから!!」

「わかってるわ、ちょっとやさぐれてみただけなの。ごめんね?」


 エリーゼは微笑みながらそう言って――それからふと、心配そうな顔になった。


「ねえ、アデル。あなたこんなことばっかりやって、公爵夫人としてのお仕事は大丈夫なの?」

「ああ、うん。ちゃんとやってるわ。と言っても、夜会デビューを第一王子の生誕パーティーに設定してもらったから、本格的に公爵夫人として稼働するのはそこからなのよ」

「来週の夜会ね……アデルの正念場の始まり、ってわけね」

「そ、そうね…………」

 

 そう。アデルにはもう一つ、大切なミッションがあるのだった。公爵夫人として相応しく、きちんとお仕事をこなすこと。この結婚が契約である以上、きっちりと守らなければいけないことだ。

 ローゼンシュタイン公爵家は、第一王子派閥筆頭である。第一王子の生誕パーティーは、絶好のお披露目の場。失敗は許されない。


「無事に済めばいいけど……アデルは変なのに絡まれやすいから、気をつけるのよ」

「う、うん…………」


 正に懸念していた点をエリーゼに心配されて、返す言葉もない。公爵夫人としてのデビューは、もうすぐ来週に迫っているのだった。

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