1-5 秘密の契約と結婚式

「けいやく、けっこん……?」


 アデルはわけがわからず、言葉をそのままおうむ返しした。ユリウスはひとつ頷いてから、言葉を続ける。


「そうです。お恥ずかしながら……俺が様々な結婚話から逃げ回っているのは、ご存じでしょうか?」

「ええ、存じております。どんなに美人からでも、どんなに高い身分を持った女性からでも、すべての結婚の申し込みを断っていると。ご結婚する気がないようだとも、聞き及んでおります」

「その通りです」


 答えたアデルに嫌な顔もせず、ユリウスは頷く。アデルは生来はっきり物を言うところがあり――「口が悪い」だとか「生意気」だとか、この世界の殿方には言われがちなのだが、ユリウスは嫌な顔ひとつしなかった。


「俺はもう二十一歳。とっくに結婚していなければいけない歳です。しかし……」

「女性が苦手、なんですよね?」

「……そうです。困ったことに、あからさまに媚びを売ってくる女性が多く、正直うんざりしています。何より、女性のつけるあの……香水の匂いが苦手で」

「え、香水?」


 意外な話に、口を挟む。これは初耳だった。


「俺はとても鼻が効くんです。だから女性の香水の匂いを沢山嗅いだあとは、いつもひっそりと吐いています」

「うわあ……」


 それはとても可哀想だ。この世界では高価な香水をたっぷりつけることが、女性の一種のステータスでもある。


「それが……あなたからは、甘いお菓子の良い香りしかしない。このように近づいても、甘いもの好きの俺は全然平気です」

「え、ええ。私はお菓子作りが趣味だから、香水はほとんどつけません。自分でも、人工的な香水の香りがあまり得意ではないんです。大きな夜会の時だけ……どうしても必要な時に、自然な香りのものをほんの少しだけつけることもありますが」

「それは素晴らしいです」


 何度もこくこくと頷くユリウス。ふだん、匂いで相当苦労しているに違いない。


「そこで、契約結婚の提案です」

「はあ……?」

「つまり……私と、結婚しませんか?」

「ええ!?!?」


 契約結婚ってもしかして、とは思っていたが、やはり、ユリウスとアデルが結婚するという話のようだ。あまりのことに、アデルは飛び上がって驚いた。


「俺と結婚してもらう代わり、あなたの家の借金を肩代わりする。そしてあなたの夢――洋菓子店を出すという夢を、我が公爵家が全面的にバックアップします。公爵家と縁ができるとあれば、フーバー子爵との結婚話はすぐに立ち消えるでしょう」

「ええええ!?そ、そんな。私に都合が良すぎます。ユリウス様に全く利がないではないですか!」

「利ならあります。俺はうんざりするほど舞い込む結婚話から逃れられるし、香水臭い女性陣に囲まれなくて済むようになる」

「た、確かにそうかもしれませんが……ユリウス様が、変態扱いされるのでは……?」

「元より同性愛者の疑いをかけられていますし、俺は気にしません。それに、俺にとっての何よりの最大の利は……です!」


 ユリウスは無表情を少しだけ緩めて、手元のケーキを指差した。心なしか目がキラキラと輝いている。よほど甘いものに目がないらしい。


「俺はあなたと結婚すれば、沢山、遠慮なくこの菓子を……天下一品の芸術品を食べられる。違いますか?」

「そ、それほどのものでは……!も、勿論いくらでも作ることはできますが!」

「本当に素晴らしいです!」


 やはり目が、とってもキラキラしている。無表情は崩さないものの、少年のようにあどけなく声が弾んでいる様子は、大層可愛らしかった。色気たっぷりの顔面でこの無邪気さ。推しのギャップ萌えで脳が死にそうだ。

 

「勿論、契約ですから、白い結婚とします。あなたに手を出したりしません。誓います」

「はあ。私にとっては願ってもない話ですが……」

「あなたに好いた御仁ができれば離婚にも応じます。でもそれまで。せめて、あなたへの危険がすっかりたち消えるまで――私と、契約を結びませんか?」


 ユリウスはその凶器とも言える顔面を私に近づけて、迫った。


「もう一度、言います。俺と結婚してくれませんか?――――アーデルハイト嬢」



 ♦︎♢♦︎


 

 結論から言うと、この婚約はあっという間に整った。

 ローゼンシュタイン公爵家とオットー伯爵家は、稀に見る急ピッチで婚儀へ向けた準備に追われることになったのである。

 表向きの結婚の理由は、ユリウスがアデルに一目惚れしたというもの。彼自身の証言に異を唱える者は、いなかった。


 アデルに断る理由は、最早ないと言えた。夢を叶えられて、しかも推しのそばにいられるなんて、何の文句もつけようがない。いわば天国である。

 突然舞い込んだ公爵家との婚約話に、アデルの父は「よくやった、お前ならできると信じていた」と大興奮で喜んだ。フーバー子爵との結婚話なんか、最初から存在しなかったもののように扱われる始末だった。


 対するローゼンシュタイン公爵家も、ものすごい勢いでこの婚約話に食いついた。今まで女性に見向きもしなかった息子が、突然結婚すると言い出したのである。もう息子の結婚は諦めて、養子を取ってもらうつもりだった元公爵とその奥様は、近々孫の顔が見られるかもしれないと、泣いて大喜びした。伯爵家がかかえた借金など、天下の公爵家にしてみれば微々たるものだったようで、大したマイナス要素にならなかったようであった。

 この見目にも関わらず、結果として――アデルはローゼンシュタイン家に、大歓迎で迎え入れられたのである。

 

 

「今日のお菓子も絶品ですね……これはメレンゲですか?こんなに美しい装飾は、見たことがない」


 ユリウスは、実際は愛のない結婚にも関わらず――足繁く、婚約者であるアデルの元に通った。それは勿論、愛しい婚約者の元にではなく――正しくは、愛しいの元に、である。


 彼はその日も上機嫌で、アデルの作ったケーキを頬張っていた。無表情は相変わらずだが、随分目元がやわらかく緩むようになって来た気がする。ついその美貌にぼうっと見惚れてしまってから、アデルはハッとした。いけない、いけないと己を叱咤しながら、私はまるで洋菓子店の店員のようにてきぱきと説明していく。

 

「そうです、メレンゲです。正確には、イタリアンメレンゲと呼ばれるものです。香り付けに、リモンチェッロというお酒が入っています。レモンの季節になりましたので……レモンのケーキを作ってみました。タルト・オ・シトロンと呼ばれるケーキです」

「成程……爽やかな風味で、いくら食べても飽きませんね。あの。アデル、その…………」


 ユリウスは、言いにくそうに、でも期待を込めた眼差しでアデルをじっと見た。その様子が可愛らしくて、アデルは思わず微笑みながら言う。

 

「お代わりですね?勿論ありますよ!」

「やった!」


 ユリウスは、当初思っていたよりもずっと分かりやすくて、可愛らしい人だった。表情筋はほとんど仕事をしていないが、よくよく観察すれば、そのルビーの瞳は雄弁に感情を物語っている。一緒に過ごすうち、段々とそれが分かるようになってきて、アデルは嬉しかった。

 それに彼は誠実で真面目で、決まり事をきっちりと守ってくれた。今は婚約準備で忙しいが、無事結婚したあかつきには洋菓子店のオープンの準備をしようと約束し、既に良さそうな物件を見繕ってくれているのだ。

 彼は騎士団の中でも、第一王子の護衛と隊長を兼任し、一番の出世頭と言われている。だから相当多忙の身であるだろうに、アデルとの約束に誠実でいてくれて、本当にありがたい。


「このお菓子が、いつでも食べられるようになるなんて……夢のようです」


 いや、正確には。彼が大変に誠実なのは、美味しいお菓子を食べたいと言う欲望に忠実だからなのかもしれないが――――そこには、目を瞑ろう。



 こうして過ごすうちに、あっという間に婚儀の準備が進んだ。息子の気が変わらないうちに、一刻でも早くと、公爵家がことを急いだのである。

 

 そして、ユリウスとアデルが出会ってから三ヶ月とちょっと後。

 とてつもなく急展開だが――私は既に、豪奢なウェディングドレスを身に纏って大聖堂に立ち、新郎新婦の誓いを立てていたのである。


 

 かくして――話は、冒頭に戻る。



「新婦、アーデルハイト・オットー」


 自分の名前を呼ばれたアデルは、身体が揺れないように細心の注意を払いながら、緊張でコクリと唾を飲み込んだ。


「あなたはここにいるユリウス・ローゼンシュタインを夫とし、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しい時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを、誓いますか?」


「…………はい、誓います」


 声は震えてしまったが、何とか答えた。これで結婚はもう、完全にしたのである。

 


 それは二人の秘密の契約結婚の、始まりだった。

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