1-4 契約結婚の提案
ユリウスの来訪に、オットー伯爵家は大パニックになった。何せ、取り立てて取り柄のない、いまや借金まみれの伯爵家に、雲上人の公爵本人が突然来訪したのである。
「アデル!!お、お前、公爵様と面識があったのか!?」
「あの、ええと、昨日の夜会でお会いして……」
「何故それを早く言わない!?」
父にぴしゃりと叱られて、アデルは黙り込む。だってアデル自身にだって、何故ユリウスが突然やって来たのかわからないのだ。昨日交わした言葉はほとんどなかったし、アデルはと言えば、彼に失礼を働いただけである。
でもさっき、ユリウスは確かに、アデルを助けようとしてくれたみたいだった。アデルだって、フーバー子爵と積極的に婚約を結びに行きたいわけではないから、ここは彼の
「少し、二人にしてもらっても?」
「ど、どうぞどうぞ!!」
アデルの父は揉み手をしながら媚びへつらい、人払いをした。父自身は最後までその場に残りたそうにしていたが、最後はユリウスにチラリと目を向けられて、慌てて部屋を後にした。
「…………人払いはできたようですね。未婚の男女を簡単に二人きりにするところは、感心しませんが……」
「すみません…………あの、助けて、いただいたんですよね?ありがとうございます……!」
アデルは勢いよく頭を下げた。素朴な我が家の応接間に似つかわしくない美貌のユリウスは、相変わらず無表情のまま言葉を続ける。
「頭を上げてください。騎士として、女性への狼藉を見過ごせなかったまでのこと。実は今日は……あなたにこれを、返しに来たのですが。丁度あのような場面に出くわしたものだから……」
「あっ、ハンカチ……!」
ユリウスが懐から取り出して差し出したのは、紛うことなきアデルのハンカチだった。自分で家紋を刺繍したものである。もしかして昨日、落としたのだろうか。何とわざわざ、届けに来てくださったらしい。
「あ、ありがとうございます……!私、昨日あんな態度を取ったのに……すみませんでした」
「いいえ。謝らないでください。実は俺の方こそ、昨日の無礼を詫びたくて、直接やって来たのです。あなたは……立派な大人の女性なのに、勘違いして子供扱いしてしまって、すみませんでした。レディに対して、とても失礼でした。このハンカチに家紋が刺繍されていたので、あなたが誰であったのか、すぐにわかったのです。それで……突然で申し訳ありませんが、ハンカチを返すついでに、お詫びを申し上げに来たのです」
「あ、あ、頭を上げてください……!!」
ユリウスが丁寧に頭を下げたので、アデルはおろおろした。自分より身分の低い女性に頭を下げるなんて、なんて誠実で真面目な人なのだろう。この世界の男性は女性を見下す傾向にあるので、びっくりしてしまう。
それからユリウスは、言いにくそうに続けた。
「偶然知ってしまった身で恐縮なのですが……もしや、あなたは今、望まぬ結婚を強いられているのですか?」
「え、ええ……。先程は、大変お見苦しいところを失礼致しました。実は今日、フーバー子爵との婚約が成立しそうなのです」
「フーバー子爵ですか……失礼ですが、あまり良い噂を聞く御仁ではありませんね……」
ユリウスは嫌悪感を隠さずに、顔を大きく顰めた。
「何とかあなたの力になれると良いのですが……」
「ありがとうございます。見ず知らずの私のために、親身になってくださって……。でも、実は家の事業が失敗してしまい、借金があるのです。結婚はきっと避けられないでしょう……私が我慢すれば良いことなんです……」
「……」
しんみりした空気になってしまったので、アデルは慌てて気を取り直し、机の上に置いてあるケーキを勧めた。
「気を病ませてしまって申し訳ありません!あ、あの!是非このケーキを食べていただけませんか?私の作った自信作なんです!」
昨日マカロンと一緒に作った、自慢のケーキである。ゲームの設定の通りなら、ユリウスは世間には隠しているものの、大の甘いもの好きであるはず。是非、生の推しにこれだけでも味わっていってもらいたい。
「あなたが……!?これを?」
ユリウスは単純に驚いたようで、大きな声を出した。しかし、そこに侮蔑の眼差しはなくてほっとする。貴婦人が厨房に立つことを忌み嫌う殿方は多いから。
「これは、黒い森のケーキと言います。どうぞ是非、召し上がってください」
黒い森のケーキ。キルシュ酒につけた季節のさくらんぼと、削ったダークチョコレートをたっぷり載せた、黒いケーキである。水煮にしたさくらんぼは、長めにキルシュ酒に浸けておいてあり、口に含むと深い味わいが広がる珠玉の一品。見た目は真っ黒で少し地味だが、なかなか手間のかかるケーキで、前世からの得意レシピの一つなのである。
「そういうことでしたら……遠慮なく、いただきます」
無表情ながら心なしか目を輝かせたユリウスは、美しい所作でケーキを一口分取り、その口に運んだ。静かに咀嚼し、こくりと飲み込む。それからしばらくしてユリウスは――微動だにしないまま、カッとそのルビーの瞳を見開いた。
「う…………美味い…………!!」
「本当ですか!?嬉しいです!」
にっこりと笑って答えると、ユリウスは放心したまま突然、アデルの両手をぎゅっと掴んだ。大きくて剣だこのある手に包まれて、アデルの心臓がドッと壊れそうな音を立てる。何が起こっているのか、頭の理解が追いつかない。
「ユ、ユリウス様……!?」
「あなたは…………天才です!!!!!」
ユリウスは感極まった様子で、熱心にアデルの目を見つめて言葉を続けた。熱っぽい紅い瞳に見つめられて、アデルは身じろぎもできずに固まってしまう。
――――推しキャラに、手を握られて見つめられている。大混乱である。
「こんなに繊細な菓子は食べたことがありません!!!これをあなたが手ずから作ったなんて……すごすぎる!!!」
「あ、ありがとうございます……。実は、お恥ずかしいのですが、菓子作りが趣味でして……」
「恥ずかしくなんてない!」
ユリウスがきっぱりと言ったので、アデルは呆気に取られた。こんな風に言ってくれる男の人に、この世界で会ったことはなかったから。
「そうでしょうか……。じ、実は。洋菓子店を開くのが夢なんです」
「素晴らしい。……これは、俺が首を突っ込むべきことではないのかもしれませんが……その。フーバー子爵は、あなたのその夢を、応援してくれているのですか?」
「…………いいえ」
アデルは項垂れた。結婚が嫌で仕方ないのは、何もフーバー子爵がロリコンの変態だからという理由だけではないのだ。
「子爵はとても保守的な方で……貴婦人は絶対に厨房に立つべきでないとのお考えです。結婚したあかつきには、私の趣味と夢は捨てるようにと、父にきつく言われています」
「そんな…………!!!」
フーバー子爵と結婚することは、すなわちアデルの夢が潰えるということでもあった。だからこそアデルはこの結婚話に、ことさら強く反抗していたのである。
「仕方ありません……。初めから、難しい夢だったんです。もう、諦めなくちゃ……」
「…………待ってください。アーデルハイト嬢」
ユリウスは少し思案したあと、突然閃いたというふうにぱっとアデルを見た。何かと思い、アデルも首を傾げて、ユリウスの紅い瞳を見つめ返す。
「一つ、提案があります。俺にも、あなたにも利がある話です」
「はあ……一体、何でしょう?」
彼は生真面目な仕草で一つ頷いてから、アデルに切り出した。
「俺と――『
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