1-3 モブ令嬢の危機

 この世界において転生者の存在はたびたび確認されており、取り立てて大騒ぎするほど珍しいものではない。人々からは『稀人まれびと』と呼ばれており、自分で申請すれば国から補助を受けられるが、それだけだ。


 アデルが前世を思い出したのは、世の中に沢山出回り始めたユリウスの絵姿を見つけた時。十歳の時のことである。前世を思い出した衝撃で、しばらく高熱にうなされたが、命に別状はなく。国の正規の規定を経て転生者であることは申請済みで、実家に補助も受けている。

 

 ただし。

 アデルには、他の転生者とはちょっと違う秘密があった。『この世界』を前世の時から、『ゲーム』で知っていたということである。実はこういった話は、他に例を聞いたことがない。何だかうっすらと身の危険を感じるので、メイドのリナと親友のエリーゼ以外には、このことは話していない。アデルが抱えるトップシークレットなのである。



 端的に言うと、この世界はアデルが前世でプレイしていた乙女ゲーム、『煉獄に咲く野薔薇』に酷似していた。


 

 『煉獄に咲く野薔薇』は、そこそこ流行り始めていた、スマホでプレイするタイプの乙女ゲームだった。主に剣を使う騎士と、杖を使う魔法士が対立するコンラート王国の物語。戦闘や育成の要素が大きく、鬱展開も多いシナリオが特徴のゲームだった。絶妙なパワーバランスの第一王子派と第二王子派で、真っ二つに分かれる国。その中枢に、主人公マリアは『救国の聖女』として君臨し――そこでやんごとなき高位貴族の方々との、恋に落ちるのである。

  各キャラクターのパラメーターは予め固定されており、レベルアップにより強化されていく仕組みだった。一人一つ、生まれつきの『固有魔法』を持つのが特徴で、それがキャラクターの個性を引き立てていた。

 プレイヤーは、騎士キャラの多い第一王子派と、魔法士キャラの多い第二王子派の、どちらの派閥につくかを序盤で選択することになる。それによって、シナリオが大きく分岐する仕組みだ。

 男爵令嬢である主人公は聖女として国の命運を握り、貴族たちに奪い奪われる。彼女がつく派閥によって、敵同士での恋というシチュエーションや、引き裂かれる悲しい恋の展開も楽しめるのだ。ただし、攻略対象が死亡してしまうバッドエンドも数多くあり、その難易度は高かった。だからこそ、なかなか人気が出にくかったとも言える。

 ちなみに、シリアスなシナリオの割に、季節イベントは非常に明るいものが多かった。メインストーリーとの温度差が、しばしばネタにされていたことを良く覚えている。

 

 前世でも男性との縁がなかったアデルは、まだあまり有名ではなかったこのスマホゲーの、重課金プレイヤーだった。推しは第一王子派閥のメイン攻略キャラ、最強騎士ユリウス・ローゼンシュタイン。数多くいる騎士キャラの中でも、戦闘能力がピカイチだった。彼は無表情で無口なクールキャラで、それでも中身は誠実で硬派であり、とても魅力的だった。その麗しい見た目も声も大好きで、彼のカードは全てコンプリートしていたっけ。



 ♦︎♢♦︎



 かの夜会の翌朝のこと。ことの顛末を聞かせられたメイドのリナは、大層美味しそうにフランボワーズのマカロンを頬張りながら、こう言った。


「その『推し』にせっかく会ったのに、つれない態度を取ってしまったんですか。全く、つくづく、お嬢様は生きづらい性格をしていますよね!!」

「笑顔で言わないでリナ。マカロン没収するわよ」

「それはご勘弁を!!これ美味しすぎますよぅ!!」


 彼女は甘いものが大好きなので、お菓子作りが得意なアデルには、ものすごく、それはもう、ものすごーく懐いており、「一生どこにでも着いていきます!お嬢様に忠誠を誓います!!」と宣言している。どことなく前世で飼っていた犬を彷彿とさせる性格だ。

 彼女はアデルの秘密も知っている、頼れる存在である。


「ふん。どうせ私は、ゲームにも登場していなかったモブキャラクターなのよ。ユリウス様とどうこうなろうだなんて、おこがましいわ」

「もぶ?とかは、良くわかりませんけど……。ユリウス公爵と言えば、容姿端麗な上に誠実で、『嫁ぎたいナンバーワン男性』と言われるほどの良物件ですからねぇ。でも何でだか、恋愛や結婚の噂は全く聞かないんですよね〜」

「ゲームの通りなら、女性が苦手でいらっしゃるのよ。仕方がないわ。ああ、あとは……実は甘いものが好きって設定もあったわね」

「ええ!?じゃあダメ元でもいいから、お嬢様、アタックすれば良かったのに!!」


 リナは、今度はピスタチオのマカロンをもしゃもしゃと頬張りながら、アデルを指差した。友達だから許すが、ご主人に向かって大変失礼なやつである。


「だって!こんなにお菓子作りが上手な貴族女性なんて、この世にいないですよー!?」

「あのねぇリナ、一般的には貴婦人が厨房に立つのは嫌がられるって忘れてる?私のやってることって、完全に令嬢失格なのよ?」

「あ〜。お貴族様はそうなんですよねえ。忘れてました!!」

 

 リナはハッとしてからしゅんとし、今度はまた違う色のマカロンを手に取った。喋りながらも食べる手は止まらない。一体どれだけ食べる気なんだ。


 リナは平民の孤児で、道端で飢えて倒れていたところを、アデルが拾ったという経緯がある。当初は痩せ細っていたのに、沢山食べて今はとても健康的になった。すくすく育って、身長は何と百七十九センチもあり、スタイルも抜群だ。女性の平均身長が高いこの国でも、彼女はずば抜けて大きい方だ。ちょっとでいいから分けて欲しい。

 そして何より、リナは強力な固有魔法を持っており、べらぼうに強かった。アデルの護衛も兼ねていて、しばしばロリコンの変態にかどわかされそうになったところを助けてもらって来たのだ。なんでも思ったことを口にしてしまう欠点はあるが、大変頼りになる相棒なのである。


「お嬢様がお菓子を作ってくれなくなったら、私は困ります……人生の楽しみを失って、死んでしまいます…………」

「大げさねぇ。洋菓子店を開くのが夢なんだから、止めるわけないでしょ」

「それでこそお嬢様!!私、何があっても一生着いていきますから!!」


 アデルは前世から、お菓子作りが趣味だった。最初は働きながら教室に通い詰め、いくつかの資格を取った後には、自宅でお菓子作りの教室を開いていたほどだ。教室は人気を博し、レシピ本も出版していた。そっちを本業にしようと動いていたところで、呆気なく死んでしまったのである。

 ちなみに前世では、大変エリートな一家に産まれており、一応、トップの国立大の理学部を卒業していた。本業は大学で、ポスドクとして働いていたのだ。専門は、化学物質の合成研究であった。しかし、大学の研究室という場所は非常にブラックな労働環境で、ストレスも大きかったものである。そこまで研究一筋ではなかった『私』のもっぱらの楽しみが、お菓子作りと乙女ゲームだったというわけだ。

 享年三十六歳。口が悪く、その上出会いも暇もなく、男性とは無縁で、処女のまま死んだ。今思い出しても悲しい。


 だから今世こそ――幸せに、なりたかったのに。この見た目のせいで、幸せな恋愛結婚こそ望めないとしても。それなりの人と結婚して、自分の洋菓子店を持つのが夢だったのに。

 

「お嬢様のお菓子は奇跡です!!格別です!!この世の財産です!!」

「大げさよ、リナ。でも確かに、この世界のお菓子って、なんていうか大味なのよねぇ。見た目も大雑把だし……」


 転生者がたびたび現れるおかげで、この世界の技術レベルは非常に高い。ガスや水道は通っていて、街は清潔だし、下着や衣装の類も発達している。だけどどうやら、パティシエの転生者はあまりいなかったらしく――お菓子作りは未発達で、大味なものしか流通していなかった。この世界の菓子を前世の日本くらいに、繊細で作り込まれたものにすることが、アデルの野望だった。


「アデル!!いるか!!」


 ドタドタと大きな足音を鳴らして厨房に入ってきたのは、アデルの父だ。

 ああ、また始まった。


「お前はまた厨房に入り込んで!貴婦人たるものそんな真似を止めなさいと、何度言ったらわかるんだ!!!」

「お父様、でもこれは、私の――――」

「ええい、うるさいうるさい!!もういい。いい加減、フーバー子爵のところに嫁いでもらうからな!!今日、フーバー子爵とお会いする約束を取り付けたのだ!!そこで婚約を成立させる!!」

「ええ!?ちょっと待ってよ、その話なら受けたくないって、私――!!」

「アデル!!事業が失敗して、うちにはもう後がないんだ!!フーバー子爵は借金の肩代わりを約束してくれている!!大人しく付いてこい!!」


 父は乱暴にアデルの腕を鷲掴み、ずんずんと家の玄関に進んで行った。非力な令嬢であるアデルは抵抗することもできず、よろけながら父についていった。リナは慌てて後ろに着いてきたが、使用人という身分上、父に歯向かうことはできない。

 ――まだ本格的な婚約まで、話は進んでいないはずだったのに……あまりの急展開に眩暈がする。


 ――嫌だ。

 嫌だ!!

 少女の愛人を沢山侍らせた変態老人に嫁ぐなんて、いくら何でも嫌だ!!

 

 アデルは心の中で叫ぶが、父が勢いよく玄関の扉を開けた。外には既に馬車が付けられている。


「嫌よ!お父様!!嫌!!私嫁ぎたくない!!離してよ!!」

「お前はいつもいつも、そうやって生意気な口を聞きやがって!今日こそ私の言うことをきっちり聞いてもらうぞ、アデル!!」


 嫌がるアデルを父が無理やり馬車に詰め込もうとした――――その時である。


「これは一体何事ですか!」


 いつの間にかアデルたちのすぐそばには大きな白馬がいて、影を落としていた。その上に乗った大柄な人物から、突然待ったの声が掛けられたのである。


「何者だ!!我が家の問題に首を突っ込むことは、断じて許さ………………」


 アデルの父は勢いよくその人物に言い返そうとして、顔を上げた。だがその途端、相手の人物が何者であるかを認識して、言葉を失ったようだった。アデルも次いで、顔を上げる。逆光になっていたが、立派な馬には家紋も付けられており――彼が誰なのか、はっきりと分かった。


 彼は、昨日出会ったばかりの――ユリウス・ローゼンシュタイン公爵その人であった。


「非力な女性を無理やり従わせるとは、実の親御様とあっても許されぬ狼藉です。私はそのお嬢様に、大切なお話があって参りました。少々……お時間を頂いても?」


 よく通る涼やかな声が告げる。呆気にとられていたアデルの父は何とか再起動し、ぽかんとしながら声を出した。


「あ、あ、貴方様は、もしや…………」

「ああ、申し遅れました」


 ユリウスはしなやかな動きで馬から降りると、丁寧な騎士の礼をとりながら告げた。


「私はローゼンシュタイン公爵。ユリウス・ローゼンシュタインです。以後お見知り置きを」


 それから、有無を言わさぬ声で告げる。


「突然お邪魔したことはお詫び申し上げます。ご家庭のご事情があることもお察し致しします。しかし、もう一度言う。私はお嬢様、アーデルハイト嬢に用があって参りました。――――少々、お時間を、頂いても?」



 それは、人に為されるがままだったアデルの運命が、確かに動き出した瞬間だった。

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