第4話 二人の尾行捜査
翌日からアーシャとウィルバートの二人は、ライザの尾行と周辺調査を始めた。尾行中はウィルバートが、土魔術で二人の気配を薄めてくれる。さすがは現役の騎士だ。魔術の練度が高い。
「ライザの行動パターンは、ワンパターンね」
「いっそ不自然なほどだ」
「うん。そう思う。学校が終わると、必ずまっすぐ家に帰って、それ以上一切動かない。カイルの身が空いている時だけ、彼の実家の公爵邸へ行って、びっしりと二人きりで過ごして帰る……その繰り返しね」
「尾行しがいがないけど、向こうも隙を見せないように注意しているんだろう」
ちなみに、かなり浮かれているとはいえ、カイルはさすがだった。今のところ、機密情報を一切漏らしていない様子なのだ。だが念のため、カイルに渡すリオンの行動予定表はブラフのものにしている。シャロンの予定も彼には漏らさないよう、細心の注意を払った。
アーシャは貴族女性たちにも、ライザに関する聞き取りを行った。皆が共通して話すのは、「大人しい」「穏やか」といった彼女の性質である。しかし気になったのは、皆が口を揃えて「趣味や私生活をよく知らない」「家に招かれたことはない」と言うことだった。彼女は侯爵令嬢にしては、あまりにも存在感が薄すぎるのだ。間者である可能性は十分にあった。
例のキャラバンの調べは、騎士団が少数で進めている。扱っている数多の商品の中に、確かにローニュ帝国産のものが混ざっており、一ヶ月に一回程度は、帝国と物品のやり取りをしているようだった。品物の中に、暗号などを仕込んでいる可能性が高い。騎士団はその物的証拠を押さえるため、静かに動いているところだ。
その日も尾行を終え、ライザの家の前から撤退した後、ウィルバートは考えながら言った。
「例のキャラバンが怪しいのは、もう確定事項だけど……キャラバンだけ追い詰めても、仕方がない。それでは尻尾切りをされて、敵に逃げられるだけだ。入手したいのは、ライザが帝国の指示を受けている証拠だ」
「でも、侯爵家を罪に問うとなれば……それなりにしっかりとした物的証拠が必要になるわね」
「ああ。状況証拠だけじゃダメだ。やり取りの文書を押さえるか……または肉声の記録を、この魔道具でとりたい」
ウィルバートは小型カメラを取り出した。魔導式のものであり、肉声が録音できる。また、ごく短時間であれば動画も撮れる優れものなのだ。
「あのキャラバンは、週一の頻度でノートン侯爵家に出入りしてる。それだけでも、もう十分に怪しいけど……証拠には全然足りないってことね」
「そういうこと。でも、ずっと張っていればいつか必ず綻びは出る。辛抱強く続けよう」
ウィルバートはアーシャの頭をさらりと撫でて言った。
「今日もお疲れさま。アーシャ、よく頑張ったね」
「……っ、うん」
最近、いつもこうなのだ。彼は隙があればアーシャに少し触れ、思い切り甘やかしてくる。こんな甘やかし方、ゲームでウィルバートを攻略した時すら、していなかったのに。
アーシャは熱くなる頬を押さえながら、小さく俯いた。ウィルバートはその様子を、ただ心底愛おしそうに見つめているのだった。
♦︎♢♦︎
「今日はすごく動くわね」
「デートだデートだってカイルが騒いでくれたお陰で、尾行はしやすい。良かったよ」
その日は休日だった。多忙のカイルが珍しく丸一日休日を取れたとかで、カイルとライザは昼からデートに繰り出したのだ。
事前に情報を掴んでいたお陰で、ウィルバートとアーシャは完璧に変装している。リオンの魔法で髪と目の色を変えてもらい、ウィルバートは分厚い眼鏡を、アーシャは帽子を被って顔も隠しているのだ。
不自然に見えないよう、自分たちもデート中の婚約者同士という設定にして、べったりと腕を組んでいる。中性的な美貌のウィルバートだが、腕は意外とがっしりしていて、やはり男の人なんだなと思った。アーシャはドキドキするのを何とか抑えながら、尾行を続けていた。
今は流行りのカフェに入って、二人が注文をしているところだ。店内の壁はミントグリーンで統一されていて、家具類は全部真っ白。そこに色とりどりの花が飾られていて、とても可愛い空間だった。デート目的じゃないと、絶対に来にくいような店だ。
「僕たちも注文しよう。好きなものを選んでいいよ」
「あ。う。えっと、どうしよう……?」
こんな素敵なお店に入った経験がほとんどないので、緊張してしまう。遊びじゃないんだから早く決めないとと思い、アーシャは焦った。しかしウィルバートは優しく微笑み、フォローしてきた。
「僕は、このビーフシチューにしようかな。でも、こっちの甘いパンケーキも捨てがたい」
「そ、そうね。どっちも美味しそう」
「アーシャは、どちらも平気?」
「私、好き嫌いは全然ないから……」
「じゃあ、一つずつ頼んでシェアしよう。とりわけ皿も頼むから、大丈夫だよ」
ウィルバートは呆れた様子も全然なく、サッと注文を済ませてくれた。あまりにもスマートなので、呆気に取られる。
「こういうとこ、慣れてるの……?」
「ううん、私用では来たことないけど。任務とかで来ることは、よくあるから」
「そっか……」
私用ではないと聞いて、なんだかホッとしている自分が――――アーシャは不思議だった。
不自然にならないよう、当たり障りないことを話しながら、カイルとライザの動向を見張る。なんだかカイルが一生懸命喋っていて、ライザはそれに受け答えしながら、微笑んでいるだけだ。カイルは、あれで幸せなんだろうか。段々可哀想になってきた。
「二人がゆっくりするようだったら、デザートも頼もう。エリスは、この中だったら何が好き?」
ウィルバートが、エリスという偽名を使って話しかけてくる。アーシャは綺麗なメニューをうっとりと眺めながら言った。
「どれも素敵で、とても選べないけど……苺のタルトかなあ。あの、宝物を食べているみたいな感覚が好きなの」
「分かるよ。艶々していて、子供の頃は憧れた。あまり食べさせてもらえなかったけど」
「そうよね。子供の頃、親にねだって困らせたことが沢山あるわ」
ふふっと笑いを溢すと、ウィルバートの白磁の目元が赤く染まった。アーシャも釣られて赤くなる。二人の間には、非常にもだもだとした空気が流れた。
その後も子どもの頃の思い出なんかを話しながら、二人は夢みたいに美味しいランチを食べた。パンケーキの上にはハチミツ入りのバターが乗っており、特に絶品だった。なんだかこれでは、まるで自分たちも本物のデートをしているみたいだ。
カイルとライザはデザートまでしっかり食べてゆっくりしたので、二人とも苺タルトまで楽しんでしまった。艶々の苺を少しずつ、美味しそうに食べるウィルバートは、どこか少年じみていて、可愛いなと内心思った。
その後カイルたち二人は、雑貨屋などを見た後、観劇をしに行った。貴族席で観劇をするという情報は事前に入手していたので、チケットは押さえてある。ウィルバートと隣り合う席に座って、生のお芝居を間近で見た。
演目は、好き合った恋人同士が戦争によって引き裂かれ、すれ違ってしまう悲恋のお話だった。生の迫力に引き込まれ、思わず魅入ったアーシャは、ぽろりと泣いてしまった。慌てていると、ウィルバートが横から優しくハンカチを涙に当ててきた。
「ご、ごめんね、私…………」
「良いんだ。君は涙も、綺麗だね」
「……っ!」
「僕は今日、色んな表情の君が見られて嬉しい。これは本音だよ」
ウィルバートはその金の目を細め、柔らかい声を出してきた。なんだかアーシャは余計に涙腺が緩んでしまい、ぐずぐず泣いてしまったのだった。
しかし――――異変は、観劇を見終わった後、二人が市場を歩き始めた時に起こった。ライザが、チラチラとこちらを確認し始めたのである。
「さすがに勘付かれたか」
「普通の貴族令嬢じゃないことは、ほぼ確定ね」
「ああ、ほとんどクロだ」
ライザは公園へとカイルを誘導した後、飲み物を買ってくるとでも言ったのだろうか……ベンチに座ったカイルと別れて、こちらへと真っ直ぐに向かってきた。瞬時に土魔術の隠蔽を強め、風魔術で速度を増幅して距離を取る。しかし向こうも急激に速度を上げ、追ってくるのが分かった。
「路地に隠れるよ」
「うん!」
二人は裏路地に入り込み、物陰に隠れた。ウィルバートにしっかりと体を包み込まれ、しっと口に手を当てられる。そのあまりの密着具合に、アーシャの心臓はドクドクと煩い音を立てた。
――な、なんか、シトラスみたいな、ものすごく良い匂いがする……!!
それどころではないのだが、気になる異性と密着しているという状況に緊張してしまう。アーシャが縮こまって息を潜めている間にも、ウィルバートは風魔術の身体強化を使いながら、向こうの動向を入念に探っていた。
永遠にも感じられるような長い時間が過ぎていき、ウィルバートがほっと息を吐いた。
「撒けた。もう、大丈夫だよ」
「…………っ」
「っ!ごめん!」
ウィルバートは今になって近すぎる距離感に気づいたようで、ずざざっと大きく距離を取った。
「ごめん。本当に……!わざとじゃなかったんだ!」
「わ、分かってるわ!仕方ないことだったもの!」
「う、うん。でも、ごめんね」
アーシャは俯きながら、か細い声を出した。
「い……嫌じゃ、なかったから」
「……!」
ウィルバートの美しい金の瞳が見開かれたのが分かる。アーシャは気まずい空気をどうにかしようと、明るい声を出した。
「これから、どうしようか?」
「……今日尾行をするのは、もう無理だ。家まで送ってくよ」
「分かったわ。一人でも帰れるよ?」
「危険があるかもしれないから、送らせてくれ」
「……うん、それもそうね」
「向こうの動きは、明らかに素人じゃなかった。こちらは隠蔽魔術を使っているのに、気配に気づいたんだ。その上、瞬時に速度を上げて捕らえようとしてきた。ただの令嬢が、短期間だけ間諜の役割をしているんじゃない。あれは……幼い頃から、訓練されている者の動きだ……」
「侯爵家が長年他国のスパイをしているなんて、大変な事態ね……」
「うん。今日勘付かれてしまった以上、これからは危険度が跳ね上がる。アーシャ、明日からは学校への送り迎えもするよ」
「え……良いの?」
「仕事のうちだから。…………それに、心配だから」
ウィルバートはまた、さらりとアーシャの頭を撫でた。何だか最近この動きをされると、嬉しいような、心がさわさわするような……そんな気持ちになるのは、何故なのだろうか。
それに、捜査を始めてからというもの、ウィルバートとの距離が急激に近づいている気がする。今日はまるでデートのようなことをした上、抱き締められて密着までしてしまったのだ。
明日から、彼に一体どんな顔で会えば良いのかと思い、アーシャは困り果てたのだった。
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