第6話 サムウェル・パターソン(後)
母と仲の良かった娼婦の伝手で、サムウェルは養子に出されることになった。彼を引き取るのは身形の良い四十過ぎた赤毛の男だ。
娼館の主人にとって厄介払いになって好都合にも関わらず、惜しむふりをして男から貰えるものは貰っておく。そのあたり、抜け目がない。
新しく父となるその男は西の王国ゼメキス出身で、今はハローランの王都に本店を構えるパターソン商会の会長を務めている。娼館もドレスや香水に化粧道具、酒や煙草などをここから仕入れていた。全国各地より腕の良い職人や開発者を引き入れているため、取り扱う商品はどれも高質であるとの評判だ。
養父はサムウェルに「無理にうちの仕事を継ぐ必要はない」と伝えた。跡継ぎが欲しくて引き取ったわけではなく、あのままでは居場所を失うだろう彼を見るに見かねてのことだと。
跡継ぎについては、亡くなった妻との間に息子が一人いるため心配はいらないという。その息子は今、商業を勉強するためゼメキスへ留学中らしい。
「何かやりたいことはないかい? 私に出来ることがあれば、何でも叶えよう」
金持ちならではの余裕だ――と冷めた感想を抱きながら、
「でしたら、僕は《調香師》になりたいです」
サムウェルの頭にあったのは、亡き母との思い出――彼女の匂いだった。
どんな不安も和らげ、心落ち着かせる不思議な匂い。他の女性にはない匂い。
その匂いが鮮烈に、脳裏にこびりついて離れない。どうにか、自分の手で再現してみたかった。
そして養父に紹介してもらった調香師の元で、サムウェルは学び始めた。
嗅覚を鍛え、香料の知識を身に付ける。だが実際に自ら香りを調合するようになったとき――彼は行き詰まった。
依頼通りの香りを作ること自体は、さほど問題はない。だがサムウェルが調香師となったそもそもの目的――母の匂いの再現については難航していた。
ありとあらゆる香料を組み合わせてみても、母の匂いとはほど遠い。何が、どこで違っているのか見当もつかない。苛立ちばかり募らせる。
そして彼は、禁断の領域に足を踏み入れてしまう。武器や劇薬など裏の人間との取引を主にしている商人と接触し、とある魔草を入手した。
陶酔、多幸感の効果がある一方で依存性が高く、多用すれば体に悪影響を及ぼす恐れもある。国内でも採取、所持、使用には厳罰を科せられる極めて危険な代物である。
よりにもよってサムウェルは、その魔草から香料を抽出し調合した。
(……これだ! この匂いだ! これが僕の知ってる、僕の母さんの匂いだ!)
偶然か必然か――出来上がったその香りは、サムウェルの記憶にある母の匂いとぴたりと一致した。
もしこれを商品化すれば――という悪魔の囁きが聞こえたが、すぐに打ち消した。いくらなんでもそんな危ない橋は渡れない。
(それにこれは僕が個人的に楽しむために、僕が作ったものなんだ。僕だけの香りなんだ)
在りし日の母の匂いを完璧に再現したこの香りは、誰の手にも渡す気はない。それはサムウェルの母に対する、強い独占欲の表れだった。
だがサムウェルにとって不幸なのは、この事実が彼の師でもある調香師の知るところとなってしまったことだ。
「お前は何てことを! 自分のしたことが分かっているのか!」
怒鳴りつける師を目にして、サムウェルが思ったのは反省でも後悔もなく『
衛兵に突き出されるか、無一文で放り出されるか――良い結果にならないのは明らかだ。
なので彼はそうなる前に、師を始末することにした。もちろん事故に見せかける偽装工作は怠らない。
かつて愛する母をその手にかけたことで、サムウェルの殺しへの抵抗は、彼自身が自覚しているよりも低くなっていた。
口封じを済ませると、サムウェルは師に代わり調香師として商会のために働き続けた。
見目の良い彼は恋人に不自由することもなく、交際した女性も数知れない。とはいえあまりに付き合った人数の多さに、一人一人の顔や性格、好みや出身の記憶も朧げな有様だ。
さすがに身を固めようと結婚してはみたものの、他の女性に気持ちが移り、長続きはしなかった。その女性とも暫く共に暮らした後に別れてしまう。結局のところ、母以外の女性を一途に想うのは自分に向かないのだと、この件でサムウェルは実感した。
そんな中たまたま所用で訪れた港街リシューで、サムウェルは運命の出会いをする。
混雑する市場で、人形を抱いて途方に暮れている幼い少女を見かけたときのサムウェルの受けた衝撃といったら――何に例えても凡庸なものになってしまうほどだ。
(母さんだ! 僕の母さんによく似ている!)
まだ小さかった頃の母は、おそらくこんな容姿だろう――目の前の少女は、彼がそう頭の中で思い描いた通りだった。
だから成長すれば、より母のように美しくなるに違いない。
(僕の母さんに似ているということは、母さんの息子である僕と血が繋がっている……つまり僕の娘ということなんだ。そうに違いない。だって、あんなに僕の母さんに似ているのだから! 無関係なはずがない!)
サムウェルはその少女が自分の娘であると、何の疑いもなく信じた。
母の面影が濃いあの子は、自分の手元に置かなければ。母のように完璧な理想の女性へと、この手で育て上げるのだ。そう決めたのだ。
実に気分が良い。これは神から自分へのご褒美だ。
(待ち遠しくて堪らないよ……僕の、僕だけのお姫様)
あの子は必ず奪い取る。どんな手を使ってでも。
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