第5話 サムウェル・パターソン(前)
ハローラン王国北西部の都市、ラスメントの歓楽街にある娼館――。
そこで男は娼婦の息子として、この世に生を受けた。客との間に出来た子供だが、それがどこの誰かまでは聞いたことはない。
母親を含めた娼婦たちに面倒を見てもらい、男は育った。彼にとって娼婦たちは皆、家族も同然だった。
「とても素敵よサム……お父さんに似て、綺麗な顔をしているわ」
サムというのは男の名前――サムウェルの愛称だ。息子の顔に触れて、母はそう彼を褒めた。だが知りもしない父親に似ていると言われたところで、嬉しくも何ともない。
(なんで僕は、女の子に生まれなかった?)
淡い金髪と澄んだ青い瞳――母から受け継いだのは、それだけだ。
母は美しい女性だった。非の打ちどころがないと言っていいほど整った容貌に、均整の取れた体つき、きめ細かな肌――サムウェルにとって、母こそが理想の女性そのものだった。
「あなたは、私たちのようにはならないで。この道しか選べなかった、私たちのようには」
母とその娼婦仲間は口癖のように言う。成長してもし男娼ともなれば、際立った美形を生かし相応の稼ぎを得ることも可能だっただろうが――彼女たちはそれを望まなかった。
母のようになりたいと考えてはいたものの、その母が自分と同じ道を歩むことを望まない――ならば、母の望む生き方を目指すのみ。
母を悲しませる選択など、ありえない。世界で最も敬い、愛する人を尊重するのは、サムウェルにとって当たり前だった。疑問を差し挟む余地などない。
そんな少年時代のサムウェルからして絶対的な存在であった母だが、彼女もまた普通の人間だった。普通の人間であるから、病に侵されることもある。
病床の母は眼窩が落ち窪み、肌は黒ずみ、かさかさに乾いた唇はひび割れ――骨と皮ばかりの痩せ衰えた姿に、かつての美貌は見る影もない。
(……違う。これは母さんじゃない。こんな母さんは見たくない)
変わり果てた母を見ているのは辛く、苦しかった。ここにいるのは自分とは無関係な別人なのだと思いたかった。
目を逸らしたくても、出来なかった。そんなサムウェルの前で、ベッドに横たわる母の唇が何事かを呟く。
意識が朦朧としているせいで、譫言でも口にしているのだろうか? 繰り返し、同じ言葉だけを何度も発している。
全身を病に蝕まれて、そんな状態で何を言っているのか――その口元に耳を寄せる。
「……し、て……」
母のものとは思えないしゃがれた声が、かすかに聞こえる。
「ろし……て……」
言葉を聞き取ることに、全神経を集中させる。
「ころ……し、て……」
『殺して』と、母はそう言っていた。
サムウェルは理解した。母はもう耐えられないのだと。これ以上は、彼女の苦しみを長引かせるだけに過ぎないのだと。
母が助かる見込みはない。彼女のために、自分が何をしてやれるのか。それは、たった一つだ。
枕を、母の頭から抜き取る。涙で視界が滲む。
(母さんの望みだ。母さんからの最後の頼みだ。だから……)
サムウェルは、母の顔に枕を押し付けた。
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