最終話

 瞼に暖かな日差しを感じて、モニカ・キャンベルは目を覚ました。

 寝床に入ってから、朝を迎えるまで刹那の時間だった。思っていたよりも疲労が溜まっていたようだ。

 確かにここ最近は多忙を極めていた。実家の飲食店が経営難に陥り、立て直すのに必死だったからだ。


 モニカは成人を迎えてすぐ実家を出て、王都で職に就き暮らしていた。そんな彼女の元に、姉――エリナの訃報を伝える手紙が届いたのだ。それで六歳になる娘のソフィーを連れ、急ぎ実家に帰ってきたのだった。


 ソフィーは王都で結婚した夫との間に出来た子供だ。妊娠が判明したのは、夫が余所で作った女と駆け落ちした後だった。そのためソフィーは父親の顔を知らない。


 久しぶりに顔を合わせた両親は、酷く憔悴していた。孫娘と長女を相次いで失ったのだから、無理もない。当然、店の方は休業を余儀なくされた。


 自分が両親を支えなければ――このとき、モニカは決意した。それはつまり、実家の飲食店を彼女が継ぐことを意味していた。


 営業再開後は順調とは言い難かった。遠のいた客足を取り戻すのは、並大抵のものではない。店は閑古鳥が鳴き、収入は激減。このままでは閉店という危機にまで追いやられていた。


 この店を潰すわけにはいかない。これ以上、両親に大切なものを失う悲しみを味わわせてはいけない――そのために必要な努力なら、何一つ惜しむことはなかった。


 その甲斐があってか、最近では徐々にではあるが客足は戻りつつあった。新たに雇った従業員もよく働いてくれている。


 それまでは疲れなど感じている余裕はなかったが、夢を見ることもなく朝までぐっすりとは、やはり体は正直なのだろう。


 ――と、天井を仰いでいた顔を隣に向けた。先ほどから、すやすやと可愛らしい寝息が聞こえている。


 左腕にしがみつくようにして、ソフィーが眠っている。いつの間にかベッドに潜り込んでいたらしい。

 甘えたい年頃だろうに、忙しくてなかなか構ってあげられなかった。友達でも出来たら、少しは寂しさも紛れるだろうが――。


 「ごめんね。ソフィー」


 愛しげに娘の頭を撫で、起こさないよう気を付けながら、モニカはベッドから立ち上がる。顔を洗い着替えていると、家の扉が叩かれる音がした。こんな早朝に、どうしたというのだろうか?


 廊下に出ると、ちょうど母と鉢合わせした。


 「いいわ、私が出るから。店の準備があるでしょう?」


 頷き、来客の応対は母に任せて店に足を運ぶ。


 店の前にある落ち葉やゴミを掃いていると、表の通りを歩いていく母の背中が見えた。白い制服を着た男たちに連れられている。


 (衛兵……? いったい何が?)


 只事ではない予感に不安が芽生えるも、店を疎かには出来ない。母には後ほど訊ねることにして、頭を切り替える。


 この店の行く末は、自分の双肩にかかっているのだから。







 最後の客を見送り、店仕舞いをする。調理スペースの奥にある扉を潜り、勝手口から家に上がった。すると待っていたかのように、母が顔を出す。


 「お疲れ様。あなたに話したいことがあって……いいかしら?」


 「うん。今朝のことでしょ? 私も気になっていたし」


 二人で居間に移動する。丸テーブルを挟んで肘掛け椅子、奥が暖炉になっている。左手隅に小物類を飾る棚が――、


 「お母さん、あれはどうしたの?」


 棚の上に、見慣れない人形が置いてあった。どこか姉のエリナを思わせる容貌だ。


 「あの人形ね……そのことも含めて説明するわ」


 とりあえず肘掛椅子に向かい合って座る。


 「実は昨夜遅く、ロイスの家に泥棒が入って」


 「義兄さんの?」


 義兄の家は代々人形師をしていて、作業に集中するため街外れで暮らすようになったと聞いている。


 「ええ。犯人は二人組で、逃げているところを巡回中の衛兵が捕まえたらしいわ」


 おそらく人目につかないと高を括っていたものの、運悪く衛兵の目に留まったのだろう。

 衛兵が家を訪れた理由は、それで得心がいった。だが――、


 「義兄さんは、無事だったの?」


 「衛兵が安否を確認しようとしても反応がなくて、止むを得ず割れた窓から家に入ってみたら……」


 母の表情が暗くなる。嫌な予感がした。


 「まさか、その泥棒に……?」


 母は首を横に振る。安心しかけたモニカだが、


 「工房で、冷たくなっていたって……死んでから数日は経っているから、泥棒の仕業ではないらしいわ」


 (義兄さんが? 死んだ?)


 まだ幼かった頃、モニカは義兄をいつも避けていた。不愛想なところが怖くて、近寄り難かった。

 姉がなぜそんな義兄と仲良くしているのか理解できなかった。朗らかな性格の姉とは合わないだろう、と。


 大人になった今なら分かる。義兄はただ不器用なだけだったのだ。姉が選んだ男が、悪い人間なはずがないのだ。

 男を見る目がないのは、むしろ自分の方だというのに。

 もっとちゃんと義兄と向き合えば良かったと、今更ながら悔やまれる。


 「それでね」と、母は人形の方に目を向ける。


 「ロイスが家に遺した物を引き取っても構わないって言うから、あの人形を」


 つまり人形は、義兄の遺品というわけだ。


 「本当に、クロエそっくり……」


 母は涙ぐみ、鼻をすする。姪の存在は手紙で知らされていたが、実際に会ったことは一度もなかった。

 だからモニカは、そんな母に何と声をかけるべきか分からなかった。


 「ママ……」


 沈黙を破ったのは、彼女の娘の声だった。見ればいつの間にか居間に顔を出している。


 「どうしたのソフィー? 眠れないの?」


 こくんと頷き、近寄ってくる。口には出さないが、心細いのだろう。落ち着きがなく、ちらちらと棚の方を見ている。

 察した母は「ああ」と呟くと立ち上がり、棚に向かうと人形を手に取り戻ってくる。


 「ソフィーは、この人形が気になってしょうがないみたいね」


 差し出された人形に手を伸ばしかけ、ソフィーはこちらの様子を窺う。頷いてみせると、ぱっと表情を輝かせて人形を抱きしめた。

 忙しさにかまけ、娘にどれだけの我慢をさせてきたのだろう――罪悪感で、モニカの胸は痛む。


 「この方が、きっとロイスも喜んでくれるでしょう」


 孫娘を見つめながら、母は目を細める。

 人形の存在が、ソフィーの寂しさを少しでも埋めてくれるのであれば、それに越したことはない。

 本当は自分が、もっと一緒に過ごしてあげるのが一番だが。


 「ねぇねぇ! この子、名前はあるの?」


 声を弾ませて訊ねるソフィーに、


 「クロエよ。大切にしてあげてね」


 答える母に、ソフィーは「うんっ!」と満面の笑みで頷いた。

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