第3話

 思わず、黒枝は喉を抑えた。

 鈴を転がすような――という形容が相応しい高く澄んだ声が、他ならぬ自分の口から聞こえたのだから、その反応も当然だ。


 (見る影もないじゃんか……)


 改めて、硝子棚に映る己を見る。肩まである灰色の髪、ぱっちりとした琥珀色の瞳にまだあどけない顔立ちをしている。


 幼いながら容貌はなかなか整っているが、まじまじと注意深く観察すれば髪も瞳も造り物なのが分かる。

 関節のことも含めると、今の黒枝は幼女の――しかも人形の体、ということになるだろう。


 「何だよこれ……俺の体、返してくれよ……」


 黒枝は頭を抱えて、蹲ってしまう。

 元の体に特別愛着があったわけではない。それでも長年慣れ親しんだ体だ。喪失感で打ちひしがれるのも無理はない。


 暫くすると気持ちが落ち着いてきた黒枝は、再びのろのろと腰を上げる。


 (もうどうにもならないからな……元の体も、どうせ無事じゃないだろうし)


 看板が落ちてきたときのことを思い返し、自分にそう言い聞かせる。あんなものがまともにぶつかれば、普通は死んでいるだろう。


 (こうして生きてるだけマシ、か……今の状態を生きてるって言えるならだけど)


 この体は普通の球体関節人形のように見えるが、普通の球体関節人形が喋って動けるわけがない。


 (冷静に考えると、かなりホラーだよな)


 夜中にこんなものと遭遇したら、失禁する自信がある。とはいえ今は自分自身なので問題はない。

 そもそも人形は失禁したりしない、ということは置いておいて。


 少しでも手掛かりはないか、硝子棚の中を探ってみる。道具や部品の類があることから、やはりここは作業場なのだろう。


 壁の図面に描かれているのは、どうやら今の体の設計図のようだ。状況からして、死んでいる男は人形師と思われる。

 その人形師を死に至らしめた原因は、いまだはっきりとしない。見たところ外傷はなさそうだが。


  (それに、この髪と眼は……そういうことか?)


 人形師の男は、灰色の髪と琥珀色の瞳――黒枝の体と同じ特徴だ。人形のモデルとなった少女と男は、血縁関係にあるのかも知れない。 

 男の外見年齢からして娘、もしくは姪あたりか。


 (姪だとしたら、ここに姿を見せないのも納得だけど……)


 男の兄か弟夫婦の元で暮らしているだろうと説明がつけられるが、あくまで推測に過ぎない。

 そもそも彼女が現在も人形の体と同年齢である、という前提に基づいているわけだ。

 この体は幼少期の彼女を元に造られたにすぎず、今の本人は成人している可能性もある。

 すでに独り立ちしているなら娘という線もあり得る。


 (何でこんな人形を造ったか、という疑問は残るけどな)


 とはいえ死者に訊ねることは出来ない。腑に落ちないが、今の黒枝が考えられる限界はここまでだ。

 他に判断材料があれば――と思ったとき、あるものが黒枝の目に留まった。


 死体が座っている車椅子の下に、何か落ちている。


 「本……か?」


 拾ってみると、それは革製の手記だった。この男の持ち物だろう。力尽きたとき、床に落ちたようだ。

 ずいぶんと使い古されて汚れやシミが目立つ。今まで抱いていた疑問も、これを読めば明らかになるかも知れない。


 他人の――しかも死者の秘密を覗き見ることに罪悪感を覚える。息絶えるそのときまで手放さないほど大事な物なら、尚更だ。それでも背に腹は代えられない。


 「すみません。拝見します」


 物言わぬ男にそう断り、黒枝は頁を繰った。

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