第4話 ロイス・シャーウッドの手記(前)
私は最初、人形師というものに特別な思い入れがあったわけではなかった。
シャーウッド家は代々、優秀な人形師を輩出してきた家系だ。
父の後を継いで人形師になると決めたのも、この家に生まれたからには、そうするのが自然だと思ったからに過ぎない。
性格的に独りで黙々と一つのことに没頭している方が性に合う、というのもある。
父に憧れたわけでも、人形師の仕事に魅力を感じたわけでもなかった。
そんな息子の心も知らず、堅物な父の口元が微かに緩んだのを、今でも鮮明に思い出せる。
決して良い弟子とは言えない私を父は見放さず、丁寧に根気強く教えてくれた。
聞くと父は若い頃に三人の弟子をとっていたという。三人とも今では自立して、各地に自分の工房を構えているらしい。
皆、自慢の弟子たちだと語る父は、どこか誇らしげだった。
今まで、父がそんな顔を見せたことはなかった。私の知らない父の一面を垣間見たような気がした。
同時に、父にそんな顔をさせた三人の弟子たちが少し羨ましかった。
こんな私でも、父にとって誇れる存在になれるだろうか――このとき、初めてそう思った。
だから寝る間も惜しんで学び、必死で父の技術を吸収した。
地味で陰気で、何の取り得もない私に目標が――父の自慢の息子になりたい、という目標が出来た。
そんなある日、父はふと私にこう言った。
「私の息子だけあって飲み込みが早い……さすがだな、ロイス」
父が私を褒めたのは、このときが初めてだった。
私を見つめる父は、かつて三人の弟子について語ったときのように、誇らしげな顔をしていた。
最初は何となく継ごうとした人形師だったが、今は違う。
この家に生まれて、人形師を目指して良かったと、心の底からそう思った。
これからもっと知識も技術も磨いて、いつか父と並び立つような人形師になりたい、そんな夢を抱いた。
だが、その数日後――父は、死んだ。
道に飛び出した子供を助けようとして、馬車に轢かれたのだ。
あまりに唐突な死に、私は現実をなかなか受け入れられなかった。
まだ父から学びたいことはたくさんあった。それなのに――なぜ。
何をする気力も湧かず、工房に足を踏み入れることないまま、だらだらと無為に日々を過ごした。
そんなときに、我が家の扉を叩く者いた。重い腰を上げて私が扉を開くと、そこに鳶色の髪にはしばみ色の瞳をした小柄な少女が立っていた。
エリナ・キャンベル――幼い頃からよく一緒にいて、私にとっては妹のような存在だった。私が人形師として修業を始めてからは疎遠になっていたが。
私を見たとたん、エリナは言葉を失ったようだった。よほど酷い顔をしているのだろう。
「何の用だ?」
なかなか用件を切り出さないエリナに苛立つ。このときの私には、彼女を気遣う余裕までなかった。
「あの……ロイスのことが、心配で」
ようやく彼女は口を開いた。それに対し私は、
「この通り生きてる。気が済んだなら、もう帰れ」
冷たく言い捨てて、エリナの返答も待たず扉を閉ざした。
彼女に酷いことを言ってしまった。彼女は何も悪くないのに。
分かってはいても私は、誰とも関わりたくなかった。ただ、一人にしてほしかった。
それでもエリナは度々、我が家を訪れるようになった。
扉を叩く音に窓から彼女の姿を確認すると、無視を決め込み諦めて帰っていくのを待つ――その繰り返し。
そのうちいつかは見切りをつけるだろうと思っていた。だがエリナはなかなかしぶとかった。
昔から穏やかそうに見えて、わりと頑固なところがある。彼女も意地になっているのだろう。
それはどちらが先に折れるのか、二人の勝負だった。
そんな勝負も、やがて決着の日がやってきた。
いつものように扉を叩かれても見向きもせずにいると、外からぱらぱらと雨音が聞こえてきた。
雨音は次第に激しくなり、ついには雷鳴まで轟く。
そういえばエリナは昔から雷が本当に苦手だったな、とふと思い出した。小さい頃我が家に泊まったとき、怯えて泣き出したのを落ち着かせるのに苦労したものだ。
とはいえ雨が降り出した時点で、今日のところはさすがに帰っているはずだろう。
何となく家の前を確認するため窓に近づき、外を見て――私は目を疑った。
エリナは、まだそこにいた。家の前、扉に背を預けて座り込んでいる。
抱えている袋からは食材らしきものが覗いている。私の様子を見て、あまりちゃんと食事を摂っていないと考えたからだろう。
俯いているため、表情は見えない――が、その肩は微かに震えている。震えていることに、気付いてしまった。
あれほど雷を怖がっているのに、なぜ帰らないのか? なぜ諦めないのか?
意地になるにも程がある。そこまでする理由がどこにあるのだろう?
邪険に扱われていると分かっているなら、私のことなど放っておけばいいのに。
私は求めていないのに。そんなこと望んでいないのに。
気付けば私は、扉を開いていた。受け入れるつもりはない。別に強引に追い返してもいいが、雨に濡れたせいでもし体調を崩し、私が悪者になっては堪ったものではない――そう自分に言い訳をしながら。
「いつまでいるんだ? 早く入れ」
声をかける私に、エリナは驚いたようにぴくりと震えて振り向く――そして、
「……私の、勝ちだね」
強がって笑う彼女に、到底こいつには敵いそうにないなと――私は思った。
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