第3話:地獄の記憶

 1年前。

 絶望的な戦況。

 グレートエスケープ。

 炎が広がり、そこら中にモンスターと魔導師と防衛隊員の死体が転がっている。避難民の誘導は済んでいない。

 魔導兵装を使用できない人達で構成された防衛隊も、頑張ってくれているが、それでも厳しい状況だ。


 ゴブリンやオークといった下級モンスターは防衛隊で倒せているが、それ以上となると魔導師の力が必要となる。ゴーレムやワイバーン、スライムなどだ。しかし魔導師の数が足りていない。


 ナインボールは、モンスターの中でも最上位に該当する動く要塞『ダンジョン』の破壊任務帰りだったこともあり疲弊していた。それに加えて普通のモンスターの数が多い。戦域は広範囲にわたっているので一人一人の負担も増えるのに、連携は取り辛くなる。


「ぐあああああ!?!?」


 また一人、モンスターによって防衛隊の人が殺された。ナインボールと、その相棒であるミカエルは、タッグを組んでお互いをカバーし合いながらモンスターを殲滅しているがどうしても防衛線をすり抜けていってしまう。


「スライムだ!! スライムが出たぞ!! 魔導師! 早く対処を!!」

「私が!」


 ミカエルが飛び出してスライムを素早く処理する。そしてその場から離れると、射撃が開始されてモンスター群に弾丸が命中する。

 魔導師は魔法を使用するモンスターを担当して、それ以下は防衛隊に任せる。

 それでなんとか防衛線を維持していた。しかしあまりにも無尽蔵なモンスターに耐えきれないのは目に見えていた。


「ナインボールさん、ここは一旦引きましょう」

「ですが、防衛隊の人達が」

「この戦線は維持できない。司令部も陥落した。ここで戦う意味はないし、物量は底なし。今の戦力では勝てません」

「……っ、わかりました」


 その時、スライムの熱線がミカエルの腹を貫いた。


「ぐぅッ!?」


 ミカエルは地面を転がる。血が飛び散る。


「ミカエルさん!!」


 ナインボールは慌てて駆け寄る。


「なんてことだ、血がこんなに」

「……私は置いていって。私の命を君に託す。君の力で、私のような人を救ってほしい。だれかの光になれるように」


 背後の防衛隊が叫んでいる。上級モンスターである巨人が、スライムの群れを連れて現れたようだ。戦わなければならない。そうしないとみんな死ぬ。いや、戦っても死ぬだろう。逃げなければならない。


 防衛隊がモンスターによって蹂躙されていく。スライムの魔法は人の体を簡単に貫き、焼き尽くし、死滅させる。


「死力を尽くして任務にあたれ、生ある限り最善を尽くせ、決して犬死するな。その言葉を胸に、これから戦っていくんだ。辛くても、悲しくても、弱さに打ちのめされそうになっても頑張るんだ、前を向け。空を見ろ」

「はい。今までありがとうございます」


 ナインボールは涙を流しながらミカエルの手を離した。

 モンスターを恐れず、死も厭わず戦っている防衛隊を見捨てて、逃げた。

 走った。走った。走った。

 涙が溢れて、後ろへ流れていく。

 そして最後に一度、振り返った。

 その時、モンスターに四肢を掴まれ、引きちぎられながら捕食されるミカエルの姿が――。


「大好き。初恋だった」


 口元がそう動いた気がした。



『ナインボールさん、大丈夫?』


 そこでは現実に戻った。

 死人がいるこの視界が現実だとは思えないが。

 目の前にはミカエル・ブラックがいた。肌が透き通った半透明の存在となって笑っている。

 ナインボールはミカエルが死んでから、ミカエルの幻覚と幻聴を見るようになっていた。彼女は優雅に語る。まるで本物のように。


『顔がやつれてる。無理をしてますか?』

「体調管理は万全です。ただ、あまり食事が喉を通らないは……困っている」

『それは良くないですね。何が食べたいですか? 食べさせてあげます』

「貴方は幻覚なのに、そんなことできるんですか?」

『さぁ、どうだろう。やってみないとわかりませんけど』

「貴方がいるということは私はまだ引きずっている、ということなのだろうか?」

『私がいるということはそうだと思います。それだけ想われていると考えると私としては嬉しいですが。本当はもっと笑顔を見せてくれるともっと嬉しい』

「笑顔……できていない?」

『作り笑いなら見えます。でも、私が言っているのは心からの笑顔です。何も考えず、嬉しくて笑ってほしい。そんな顔を見せてほしい』


 ミカエルの手が、ナインボールの顔を触る。


「心が止まっているんです。何も感じない。義務感や使命感はあるんだ。だが休んでいたり、娯楽を楽しもうとすると、凄く胸が苦しくなる」

『どんな風に?』

「ぎゅーっと。申し訳なくなる。死んでいった人達、守れなかった人達、そんな人達がいるのに生きていて良いのかって」


 ナインボールは膝から崩れ落ちる。

 ミカエルは優しく抱きしめた。


『ナインボールは生きてていんです。幸せになって良いんだ。私がそう言うんだから、従いなさい』

「でも、こうも思うんです。救われたくて、ミカエルさんの幻覚を見て、自分を救わせようとしているんじゃないかって」

『考え過ぎです。これは私の本心。誰かに頼って、頼られて、迷惑かけて、かけられて、そんな生活を送ってほしい』

「それできたら、どんなに」


 ナインボールの目の前から、ミカエルが消える。背後のドアが開いて、ルームメイトのルシフェリオン・ゴールドが現れた。ルシフェリオンは地面に膝をついているナインボールを見て、驚いた顔をした。


「どうしたのナインボールさん」

「なんでもないです。少し疲れただけですから」

「ナインボールさんは臨時遠征を良く行っているからね。体調管理には気をつけないと駄目だよ」

「ああ、その通りだ」

「寝るなら布団で寝てくれ」


 ナインボールはルシフェリオンに連れられて布団に押し込まれた。

 そこでゆっくりと目を閉じる。

 意識が宙に浮かんで、そこから再現されるのは戦いの記憶だ。

 守れなかった記憶。

 致命的負傷を負った魔導師や人間が死ぬまで戦う中で、逃げた記憶。

 ナインボールは、多くの戦場を渡ってきた。

 絶望的な戦場で、心折れた者達を立ち上がらせて戦わせたり、目の前で親しい人が死んだり、初陣でパニックなって暴走した者達を見捨ててきた。


 それは外だけみれば味方を鼓舞して戦わせるジャンヌ・ダルクに見えただろう。

 勝利の女神。

 好意的な感情が多いのは当たり前だ。生きたものしか言葉を話せない。だからそれを受けても何も思わない。

 助かった者も、一緒に戦った者もみんなナインボールに好意を持つ。助けてくれたから、力を貸してくれたから、恐怖を消してくれたから。

 死んだ者は何も言えない。痛みをなくして戦わせたのは人の記憶には残らない。


 誰かの為に。

 少しでも人を生かす為に。

 零れ落ちる命を減らす為に。

 生ある限り最善を尽くす。

 それは機械仕掛けの人形に似ていた。

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