辺境の守り

 本来であれば。敵が攻め込んでくる可能性のある国境付近には信頼のおける有力貴族などを配置して防衛にあたらせるものだ。だが、ベリアーレ王国は先日亡くなった先代の王セリア・ストームガルトが一代で築き上げた国だ。信頼のおける有力貴族など存在しない。彼が最も信頼していたのは平民出のパルミーノ・アル・カドーレであるし、実際にパルミーノは将軍となって貴族の扱いになっていたが、王都で全軍を指揮する方が更に重要だったから、そういう立場になることはなかった。もしセリア二世が彼を疎ましく思いつつもその実力と功績を正しく評価していたなら、まさに彼を国境防衛に充て国の外れに領地を与えて辺境伯とでもすればよかったのだ。


 結果として、パルミーノはクオ・ヴァディスと名を変え、辺境の村にいるわけだが。


「クオさん、お帰りなさい!」


 テルミノ村に到着すると、村の入り口で子供達と遊んでいたマリルが笑顔を見せた。クオ・ヴァディスは魔獣の警戒で周辺の見回りに出ていたのでごく自然に彼の帰りを迎えたのだが、すぐに異変に気付く。ボロボロになった血まみれの服を着たルドルフを後ろに連れ、神妙な顔をしているクオ・ヴァディスの姿がはっきりと視認できたからだ。ロイがいないことと合わせて、彼等の身に良くないことが起こったのだと察したマリルはなんと声をかけたらいいのかと戸惑う。一緒にいた子供達も、不穏な空気を感じ取って静かになってしまった。


「マリルさん、ルドルフからの情報でホルド村がブリテイン帝国の軍隊に攻め滅ぼされたそうです。この村は敵の進軍経路から外れていますが、本格的な戦争になった時のことを考えておいた方がいいでしょう」


 クオ・ヴァディスは不安を煽るようなことは言いたくなかったが、現実と向き合わなければ大変なことになってしまう。最悪の事態が起こった時に少しでも被害を減らすために、出来ることはなんでもしなくては。それには、事実を包み隠さず伝えることが必要だと確信していた。王と共に国家防衛に奔走していた経験から学んだことだ。


「オイラは準備を整えたらアニキを探しに行く。アリエッタばあさんはいるかい?」


「あっ、はい。一緒に行きましょう」


 だいたいの状況を把握したマリルは、子供達も連れて雑貨屋へ同行する。村全体でどうするか考えるべきだと思ったのだ。途中で村長のベンタスも呼び、アリエッタの店で集まって話を聞くことにした。クオ・ヴァディスが悩んでいる気配も感じている。王都から来たという中年剣士が、知り合いの身を案じているのだろうと思った。凄腕の剣士なのだから、その手で守れるものは少なくないだろう。


「ああ、すぐに王都へ報せるよ。商人の伝手で早馬よりもずっと早く情報を届けられるからね」


 アリエッタはすぐに王都へ連絡をした。村人達には仕組みがよく分からないが、クオ・ヴァディスはよく知っている。魔法の力で遠くと話をすることができる道具があるのだ。それは、敵も同じ方法で連絡を取れるという意味でもある。ルドルフを取り逃がした敵軍が次に何を選択するのかと考えると、心中穏やかでいられないクオ・ヴァディスだった。




 ルドルフは新しい服や道具を揃え、今日は宿を取って明日の朝出発することになった。テルミノ村としては敵が攻めてきた時にすぐ逃げられるように荷物をまとめておくことと周囲の警戒を強めることにしている。それ以外にできることは現時点ではないからだ。クオ・ヴァディスは貴重な戦力として期待されてはいるが、軍隊が攻め込んできたら一人で立ち向かえるわけでもない。実際には相当な数の敵を相手にできる強さだが、さすがにそんなことはクオ・ヴァディスの口からは言えないし、言ったとしても本気にする村人はいない。


 そんな状況で、クオ・ヴァディスは自分の家で荷物をまとめつつ、ここで村人達の助けになるべきなのだと自分に心の中で言い聞かせていた。ベリアーレ王国一の忠臣パルミーノだったら、たった一人でも迷わず敵を倒しに向かっていただろう。そうやって幾度となく敵の侵略を阻止してきた。一人で走り出しても、いつだって敵に勝った時には多くの仲間に囲まれていた。まず動く者に人はついていくのだ。たった一人で大軍に立ち向かう、圧倒的な強さを誇る剣士の姿に、数で押し切ることができるはずの敵軍も怯み、恐れ、伏兵を疑い、消極的な対応を余儀なくされてきた。それが彼と追随する仲間達に勝利を与えることになる。パルミーノの最強伝説は、彼自身の強さだけではなく迷いなく前線に単騎特攻する勇猛果敢さによって作られてきたのだ。


 そうして悶々としているクオ・ヴァディスの耳に、家の戸を叩く音が届いた。もう日も落ちて外は暗い。村人が訪ねてくることなどあまりないはずだが、と不審に思いつつ扉に近づくと、外にいるのがマリルだと気付いた。


「どうしたんですか、もう夜ですよ」


 声をかけながら戸を開けると、マリルは薬の入った籠を手にして、扉の前に立っていた。


「クオさん……王都のことが心配なんですよね?」


 マリルはクオ・ヴァディスが悩んでいるのを見ていたと言い、彼の助けになるようにと貴重なハイポーションをあるだけ全部持ってきたのだ。ルドルフと共にブリテイン帝国軍の後を追うのだろうと確信して。


「私は……王都というより、この国のことを心配しています。自分の生まれ育った国ですから。もちろん、私を受け入れてくれたこの村のこともです。そして、ルドルフのことも」


 口に出して、改めて自分の気持ちを確認する。自分はこの国を愛しているのだ。二代目国王から理不尽に追い出されても、それでこの国全てを嫌うわけがないのだ。それどころか、国王のことも心配している自分がいる。頼れる臣下がいない状態で国家の運営は大丈夫なのだろうか、強大なブリテイン帝国に攻め込まれて心細くないだろうか。セリア二世のことは幼い頃からずっと見てきたのだ、どんなに邪険に扱われても、親の目線で彼を見てしまう。この村で穏やかな生活をしてきたことで、追放されたショックが薄れ、国王に向ける気持ちに整理がついてきたこともあるのだろう。


「クオさんがどれくらい強いのか、私には分かりません。戦いに行ったらとても危険なのだろうとも思ってはいますけど、それもどれぐらい危険なのか、私には知る由もありません。でも、どうか無事に帰ってきて欲しいんです。危なくなったら逃げてくださいと言うぐらいは、許されますよね?」


 マリルは勘違いしている。クオ・ヴァディスは村に残ろうと考えていたのだ。彼女はクオ・ヴァディスがルドルフと共に旅立つと思っている。家の中には旅立ちの荷物もまとめられているので、勘違いしない方がおかしいのだが。


 しかし、このやり取りは迷っていたクオ・ヴァディスの背中を押すのに十分すぎた。彼女の勘違いを指摘するのも気が引ける、と思ってしまうのは自分の決断の責任を他人に押し付ける弱さだろうか。


「分かりました、約束します。絶対にこの村に戻ってきますよ。だから村の皆さんもどうかご無事でいてください」


 こうして、クオ・ヴァディスはルドルフと共にホルド村へ向かうことを決めたのだった。

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